第38話 話したがりと聞きたがり

文字数 3,284文字

 先日、職場のスタッフさんが、とつぜん退職することになりました。
 就業規則では、退職希望日の二週間まえまでに申告すること、とありますが、今回は事情が事情ということもあり、退職希望日が申告日の三日後という、本来なら非常識かつ、ありえない話ですが、そのまま受理されてそのひとは退職されました。

 もともと、そのひとはなにかあればすぐに
「辞めます」
「辞めようかな」
「私なんか辞めたほうがいいかも」
 と安易に口にするような、いわゆる「辞める辞める詐欺」みたいなところがあったので、オオカミ少年よろしく、今回もその流れなのかなと思っておりました。
 ようやく本番が来たんだな、と思いました。

 以下、けっこう辛辣(しんらつ)なことを書いてしまいますが、そのひとと数年間いっしょに働いてきて、かなりの尻拭いをさせられてきた経験があるので、ここで書いてしまってこの話にはケリをつけたいと思います。
 お見苦しい点があるかと思いますが、どうぞご容赦ください。

 そのひとの年齢は、還暦を過ぎたくらい。
 ものすごくおしゃべりで、とにかく四六時中だれかしらの悪口を延々(えんえん)といい続けているようなひとで、仕事ぶりは、やる気はあるけれど基本的にすべてが雑。四角い座敷をまるく掃くタイプ。
 アルバイトで掛け持ちをされていて、そのもうひとつの職場にものすごく

が合わない相手がいるらしく、毎日のようにそのひとについての悪口をいうのです。
 わたし以外にも、そのひとといっしょに働いたことのあるスタッフさんは全員、この悪口を毎日のように聞かされていました。
 人間ですから、たまに愚痴を吐く、くらいのことはだれにでもあります。そのくらいなら、うんうんと聞くくらい、なんてことはないのです。
 ですが、このひとの場合、ほんとうに毎日、口を開けば悪口ばかり。よくそんなに不平不満が出てくるな、といっそ感心するくらいで。

 正直、みんな辟易(へきえき)していました。
 何度か、助言めいたことをいったり、悪いほうに考え過ぎなのでは、というようなことをみんなで代わる代わるいってみたりしたのですが、まったく効果はなく。
 とにかく相手が悪い、の一点張りなのです。
 自分は(しいた)げられている、相手に嫌われているから嫌がらせをされているに違いない。
 この思い込みが根底に根強くあるようで。
 思い込み、と表現しましたが、何年も同じような話を聞かされてきて、これはおそらくこのひとの被害妄想がほとんどで、もちろん実際になにかしらの確執は存在するのでしょうけれど、なにもかもを悪いほうに悪いほうにとらえているのでは、というのが、わたしやほかのスタッフさんたちの見解でした。
 どう見ても、おとなしくやられっぱなしの性格ではないからです。

 いじめなどの被害者に
「いじめられる側にも問題がある」
 みたいな無神経なことを平気でいう人間は好きではありませんし、なぜ加害者側からものをいうのか、ふつうは被害者に寄り添うものでは? とつねづね不思議に思うのですが、こと今回の件に限っては、このひとの日ごろからの言動を(かんが)みるに、百パーセント相手側に非がある、とはとても思えないのが実際のところで。
 ことば尻が荒く、過去にお客さんからも何度かクレームがあったほどなので、想像するに、相手側もそういった態度を受けて、互いに売り言葉に買い言葉みたいなことになっているのでは、と推測できます。
 つまり、身から出た(さび)

 たとえば、解決策を提示しても、聞かないのです。現状に強い不満を持ちながらも、かといって現状を変えることは望んでいない。そんな矛盾。
 環境を変える手間よりも、不満だらけの現状を維持することを、すでに本人が選択しているわけです。
 だから、毎日のように吐き出しているのは、ほんとうにただの愚痴。それをまともに受けとめて同情して、じゃあなんとか良い方向へ道を探ろうとしても、それはいらないとはねつけられるのです。
 本人は、さんざん愚痴を吐き出して
「ああ、スッキリした」
 といっていましたが、悪口という毒を浴びている周りはみんな閉口(へいこう)するばかりで。

 そのひとが退職して、人手不足に拍車がかかったのは事実ですが、それ以上に、もうあの悪口雑言を聞かされなくてすむ、という解放感があります。
 かなりストレスだったんだな、と気づきました。

 先日、そのひとが制服を返しに来た際に、すこし立ち話をしました。
「お寺に行こうと思う」
 と急にいいだすので、出家して尼さんにでもなるのかと思ったら、わたしたちのいる職場を辞めたせいで、悪口や愚痴を聞いてくれる相手がいなくなったため、お寺のお坊さんに話を聞いてもらおうかと考えているとのことで。それはそのひとのお母さまからの助言だそう。
 うん、いいと思う。
 しっかりお布施を用意して、たっぷり愚痴を聞いてもらって、それ以上の法話を聞いてきたらいいと思う。
 いまのまま、
「自分は悪くない。悪いのは自分以外」
 とすべてを周りのせいにして毒を吐き続けていたら、あとはもう腐っていくだけだから。余計なお世話かもしれないけれど、お坊さんのありがたい説法を聞いてすこしでも改心したほうがいいと思います。

 この話を、いっしょに映画を観に行った友人に話したら
「えー、じゃあ桐子ちゃんたち、みんなお坊さんの役目を果たしてたんじゃん!」
 と爆笑していました。
 ほんまそれよ。

 無料(ただ)で相手の時間を奪うことの罪深さを、このくだんの本人はきっとこの先も知ることはないのだろうな、と思いました。


 世のなかは、自分の話を聞いてほしい人間であふれかえっています。ただひたすらに自分の話を「うんうん」と肯定して聞いてほしい、そんなひとたちで。

 以前、知り合いの二十代の女性がいっていた話で、
「自分は飲みに行くときは男のひとといっしょに行きます。女のひとは、話の途中で『それで私もね~』みたいに話題を持っていってしまうからイヤだし、その点、男のひとだと、ずっと『うんうん』と黙って話を聞いてくれるから」
 というのを聞いて、へぇ、と感心(?)したのを思い出しました。
 会話をしたいわけではなく、ただひたすら自分が一方的に話したいだけ。
 つまり、相手をサンドバッグにして一方的に殴り続けたいだけなのだな、と。

 好きな相手や興味のある相手の話ならともかくとして、さほど関心のない赤の他人の話など、聞きたい人間はたぶんあまり多くはないと思われます。
 でも、聞いてほしいほうは、そうは思わないのですよね。
 なぜか、自分の話を聞いてもらって当然、なんなら、話してやっているんだというくらいの謎の上から目線を持っていたりします。
 今回、退職したひとも「自分の愚痴を聞いてもらって当然」と思っているタイプでした。
 そういうひとは、対価を支払って、そういったサービスを受けるべきだと思います。時間単位でいくらで対応します、みたいなビジネスも存在しますよね。
 ただ話を聞いてもらうのにお金を払わないといけないのか、というひとは、時間の価値というものをご存じないのだと思います。
 自分が暇をもて余しているから、他人もそうだ、と考えているのかもしれません。

 逆に、やたらと他人の話を根掘り葉掘り聞きたがるひとも存在します。
 じゃあ、話したがりなひとは、そういう聞きたがりなひとに話を聞いてもらえば、互いの需要と供給が一致して万々歳では、と思うのですが、そうはいかないのがおもしろいところで。
 話したがりなひとは、どうやらいちおう相手を選んでいるのですよね。だれでもいいというわけじゃない。
 とにかく、否定せずに自分の話を聞いてくれるひと。
 自分の話に対して辛辣なことをいってくるような相手には、まず話さない。あと、口が軽いひととかも。


 いい気になってひたすら自分の話をして、相手を退屈させているかも、不快にさせているかも、ということに気づかないようでは困りもの、と思いつつ、わが身を振り返ってヒヤリとします。

 ひとの振り見てわが振り直せ、ですね。



 楽しくない話に最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございます。
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