第43話 不登校

文字数 1,750文字

 十六歳のときにはじめてアルバイトをしました。
 そこで出会ったのが、同い年のなでしこちゃん(仮名)。

 話してみると、なんと、同じ中学校に在籍していたことが判明。わたしはぼんやりしたこどもだったので、クラスメイトならともかく、ほかのクラスの生徒の顔までは覚えていません。
 なでしこちゃんはニコニコしながらいいました。

「私、不登校で学校行っていなかったから」

 ほんとうに、ほぼ三年間、登校しなかったそう。
 わたしは三年生の一年間、ほとんど学校に行っていなかったので、妙な親近感を覚えました。
 なでしこちゃんは定時制高校に通いながらアルバイトをしていて、いろんな年代の生徒がいて楽しいといっていました。

 なでしこちゃんは、いつもニコニコ。かわいくて、ニコニコしながらも、わりとはっきりものをいうところがおもしろくて。お互いの家に遊びに行くくらい仲良くなりました。

 なでしこちゃんのお家は立派な一軒家。
 専業主婦だというお母さんが出迎えてくださいました。
 広いリビングでお菓子を食べながら、ひたすらお話ししたりテレビを観たり。

「そういえば、なんで学校行かなかったの」
 聞かないほうがいいのかなとも思ったけれど、なんとなく、聞いても大丈夫だとも思ったので聞いてみると、
「うち、兄妹みんな学校行ってないから」
 とのこと。
 三人兄妹、全員揃って不登校だったそう。

 そうか、たしかに、ほかの兄妹が学校行っていなかったら、自分も行かないかも。そう納得しました。

 やがて、なでしこちゃんが定時制高校を卒業するとともに、就職のためアルバイトを辞めることに。
 当時はまだポケベルとかの時代。わたしはそのポケベルすら持っていません。連絡先を交換することもなく、しだいに疎遠になりました。

 何年か後、たまたまデパートでばったり出会って、
「わー、ひさしぶりー!」
 とキャッキャしたのもいい思い出です。
 そのときのなでしこちゃんはお母さんといっしょに買いものに来ていて、いまはべつの会社で働いているとのことでした。

 学校に行かなくても、なでしこちゃんはお仕事をして生活しているし、わたしも猫たちを養えるくらいのカツカツの甲斐性はあるつもりです。


 親しくしていただいている方のエッセイで、不登校のこどもたちへのメッセージを拝見して、なでしこちゃんのことを思い出しました。

 学校が人生のすべてではないし、学校に行かなくても勉強はできます。いまはインターネットもありますし、自分に合った勉強方法や進路を探すこともできます。

 そのいっぽうで、学校へ行くことが救いになるこどもも存在するのではないかなと想像しております。

 つまり、家にいるほうが落ち着けない。勉強できる環境ではない。もっといえば、身の危険を感じるといった家庭環境であったり。学校にいるあいだはそこから避難できる、というような。
 給食が貴重な栄養源という子もいると聞きます。
 こちらはかなり切羽詰まった状況ですし、公的機関などの介入が必要だと思いますが、こども自身が助けを求めて声をあげるのはものすごくハードルが高いです。

 そういう状況にあるこどもには、だれかに助けてもらうという発想自体がそもそもありません。知識や情報がないというのもありますが、もし現状に変化が起きるとしても、いまよりもっとひどい目にあうかもしれない、という可能性が真っ先に頭に浮かんでしまいます。
 この「いまよりもっとひどい目にあうかもしれない」というのは恐ろしい呪いのようで、逃げるという選択肢を奪います。
 おとなでもそうですよね。
 いまより悪くなる可能性があるのなら、いまのままのほうがいい。そう思って、現状を変えることに抵抗を感じてしまったり、仕方ないと諦めてしまったり。

 あるいは、自分の代わりにほかの兄弟が犠牲になることを恐れたり、自分が第三者に保護されることで家庭内での労働力が減ってしまうと、そんなことにまで気を回したり。
 そこまでこどもに背負わせるのはぜったいに違う、と思うのです。

 家でも学校でも、落ち着いて生活や勉強ができる環境をこども自身が選べるといいなと思いますし、それを提供し守るのが、わたしたちおとなの役目だとも思います。

 こどもから搾取するのではなく、与えるのがおとなの役割。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み