第3話 呪いをかける

文字数 1,492文字

 わたしは自分自身にひとつの呪いをかけています。
 自分が大事に思う相手はいずれみな、わたしのもとからいなくなる、という強力な呪いです。これは子どものころに漠然と感じていた不安がもとにあり、年月が過ぎておとなになったいま、この呪いの効力を実感しています。

「呪いというのは、かけられた人間がそれを信じた瞬間から発動する」
 という主旨のことを京極夏彦さんの著書のなかで中禅寺秋彦氏が述べていたように記憶しておりますが、まさしくそのとおりで。

「まさかそんな、いやでも、もしかしたら」とわずかでも揺らいだ隙に、呪いは確実に発動するのです。

 幼いころ、わたしには両親がおりましたが、ちいさなわたしはなぜか漠然と「もしお父さんとお母さんがいなくなったらどうしよう」という不安に駆られて泣き出すことがありました。ものごころがついてまもないころのことだったと思います。どうしてなのかはわかりません。
 なにもうしなったことなどないのに、なにかをうしなうという概念をすでにぼんやりと理解していたのが、われながら不思議に思います。
 そしてその不安はやがて現実のものとなります。

 泣きながらも、ああやっぱり、と心のどこかで冷静な自分がいました。こうなることはわかっていた、と。まるで、まえもって覚悟をしておくことで、いざそうなったときに受ける衝撃を和らげようとするかのように。

 図子慧さんの『雨の日、ぼくは釣りに行く』という小説のなかで、登場人物の新庄少年が、自分が好きになった人間はみんな消えてしまうのだと思った、という描写があり、それを読んだとき、ああ、同じことを考えているひとがいる、と共感したものです。作中で彼がしでかしたことにはまったく共感はできませんでしたが。

 わたしのこの呪いは、たぶん一生解けることはありません。呪いを解けるのは、それをかけた本人だけ。わたし自身にこの呪いを解く気がないので、ずっとこのままです。
 いつかうしなうくらいならだれも好きになりたくない、とまでは思いませんが、もし好きになったとしても、このひともいずれ去ってゆくのだろうな、とあらかじめ覚悟をしてからその手を取ります。これは恋愛だけではなく、友人知人、好意を抱いたあらゆる関係性の相手すべてに対してです。いまわが家にいる猫たちもです。猫たちに関しては、この子たちを虹の橋に送り出すまではわたしは絶対に先に死ねない、と思っています。家族のいない飼い主が先立つと、取り残されたペットたちの多くは路頭に迷うか、それ以上に悲惨な目にあう可能性が高いためです。

 現実の世界ではじめて、わたし以外にこの呪いを自分にかけているひとに出会いました。間接的にですが。わたしとまったく同じことをいっているひとがいる、ととても驚かれました。おそらく似たような境遇の方ではないかと想像しています。
 わたしは自分を不幸だと思ったことはないし、当然、同じ呪いに縛られているらしいその方のことも、不幸だとは思いません。この状態が自分にとってはふつうだからです。悲観的だとはまったく思いません。

 あまりに孤独だ、といわれることがたまにありますが、孤独というのは悪いことでしょうか。わたしはそうは思いません。そもそも、孤独を知らなければ小説など書いていません。小説というのは、だれともわかりあえないなにかを持っているひとが書くものではないでしょうか。いえ、もちろん、わたしがそう思っているだけであって、そうでない方もいるかもしれません。どちらでもよいのです。

 この呪いがわたしのアイデンティティーのひとつであることは確かです。ただそれだけの話なのです。
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