第16話 だれかのせいにした瞬間から自分がすり減っていく

文字数 2,593文字

 ニュースなどを読んでいると、世のなかに発生する()めごとの大半(たいはん)は、責任の所在を追及、あるいはたらい回しすることによってこじれているような気がします。
 極論でしょうか。
 そうかもしれません。

 自分の非を認めたくない。
 謝りたくない。
 できれば責任転嫁(せきにんてんか)したい。
 そんな思いが透けて見えるように感じるときがあります。

 悪いことをしたら反省して謝る。
 たったそれだけのことができないひとのなんと多いことでしょう。
 人間ですから、過ちを犯すことはあります。死ぬまで一度も、これっぽっちもやらかしたことなどない、なんていう人間はまずいないと思います。
 人間はなにかしらやらかしちゃう生きものなのです。
 問題は、そのあと。
 やらかしたあとのふるまいでそのひとの真価(しんか)が決まるのです。

 謝りたくない、というのはどういう心理なのでしょう。
 自分はぜったいに間違っていない、だから謝る必要などない、という考えなのでしょうか。あ、もちろんこれは、非があきらかな場合を想定したものです。もはやいい逃れのしようがないほど罪があきらかであるにもかかわらず、かたくなに認めない、だんまりを決め込む、あるいはこの()に及んで「自分のせいではない」などと責任逃れをしはじめる、といった場合。
 なぜ、そこまで自分のしたことから目を背け続けるのでしょう。
 ある程度、地位のある立場の人間によく見受けられる光景ですが。たとえば政治家とか。

 謝りたくないなら最初からやらなければよいものを、と思わずにはいられません。
 
 身近な人間関係でも、こういうひと、存在します。
 なにがなんでも謝りたくない、というひと。
 プライドが傷つくのでしょうか。
 頭を下げたくらいで価値が下がる程度のプライドなど大したものじゃない、と思うのですが。

 あと、これはほんとうに極論というか、わたしがドライなためにそう思うのだと自覚があるのですが、自分の思いどおりにならないことを周りの環境のせいにするのが、あまり好きではありません。
 極端な例でいうと、無差別にひとを襲った犯人が「周りとうまくいかずにむしゃくしゃしてぜんぶ壊してしまおうと思った」みたいなアレです。

 もちろん、生まれた環境によって、その後の人生が左右されるというのは事実です。どんなにもがいても抜け出すことができなくて絶望のあまり自分の境遇を恨み、他人を妬ましく思うこともあるでしょう。自分の力だけではどうにもならないこともあるのが浮き世のつらさ。それはわかります。
 簡単に、わかるなんていうな、と思われるでしょうか。

 わたしは自分を不幸だと思ったことはありませんが、子どものころはよく、ほかの子をうらやましく思っていました。
 お父さんとお母さんがいて、ちゃんとしたおうちがあって、いいな。
 学校行事などは総じて地獄でした。当時はまだ片親の家庭は珍しいほうでしたし、いても、わが家とは反対の母子家庭がほとんどでした。男手ひとつで娘を育てたわたしの父親はさぞかし大変だったと思います。

 わたしの母親は本格的に出奔(しゅっぽん)するまえにも、たびたびよその男のもとをふらふらしていて、わたしも問答無用で連れ回されていたので、一時期、住む場所がなくてふらふらしていたこともありました。
 母親が衝動的にわたしを連れて家を飛び出したこともあり、そのときは、家が見つかるまでよその男の車での生活を余儀(よぎ)なくされたこともあります。当然、ランドセルもないので学校にも行けず。
 後日、父親のところへランドセルと教科書を取りにいったら、玄関からランドセルや教材を駐車場へ放り投げられて、それを拾って、よその男の車に戻った記憶があります。それをひどいとは思いません。逆に、父親は、よくランドセルを渡してくれたなと思います。母親とわたしの顔など二度と見たくなかったでしょうに。

 その後、結局、よその男ともうまくいかなくなり、新しい家を探しつつ、()りずに父親のもとへ残りの荷物を取りにいった際、どうしてそうなったのか、父親と母親がよりを戻すことになり、ふたたびもとの家での生活が始まりました。
 そうして、その後、今度は母親ひとりで、またべつのよその男と出奔し、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、いまに至ります。

 世のなかには、どうしようもないおとながいる、というのを、わたしはこの母親とよその男たちから学びました。
 まともだったのは、父親くらいです。

 母親はたぶんちょっとおかしくて、衝動的にことを起こすのです。
 わたしは子どものころにとつぜん母親から川に突き落とされたことがあります。たぶん、わたしのいったことが気に入らなかったとか、そういう理由ではないかと思います。たまたま通りかかったひとが助けてくれたのは覚えているのですが、ずぶ濡れのまま母親のいるはずの家に帰ったかどうか、その部分の記憶はありません。
 そのせいか、わたしは水に入るのが苦手です。小川のせせらぎなどは好きで、ずっと眺めていられるのですが。
 お風呂や温泉は好きですが、海やプールは嫌い。水量の多い冷たい水に浸かるのが苦手です。浜辺や浅瀬なら大丈夫。学校のプールの授業はできる限り休んでいました。先生やほかの生徒たちにはサボっていると思われていたと思います。

 もう過去のことなので、水に流したいところですが。

 わたしは自分が不幸だとは思いません。
 いまはこうして自分で稼いだお金で、屋根がある安全な家に猫たちと暮らすことができているし、好きな本もたくさん読めます。

 きっかけはつらいものでしたが、いまの家に引っ越してきてほんとうによかったと思っています。それまで住んでいたアパートは、父親との思い出はありましたが、同時に、母親の記憶もわずかながら残っていたからです。
 いまの暮らしは、わたしが自分で選んで手に入れたもの。
 わたしがいままでいろいろなものをうしなってきたのは、だれのせいでもない。きっと、そういう運命だったということ。
 わたしの人生に起きたできごとを、ほかのだれかのせいにはしない。先のことはわかりませんが、すくなくとも、いまのところは、そう思います。


 茨木のり子さんの『自分の感受性くらい』という詩をご存じでしょうか。有名な詩だと思います。
 誇り高いこの詩がとても好きで、同時に、わたしの戒めでもあります。この詩を読んで、感じたことが、今回の日記のタイトルなのです。
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