第9話 タイムスリップ、あるいは異世界召喚
文字数 3,214文字
いまは異世界転生ものが人気のようです。
原因 はわからないけれど、前世(現代)でプレイしていたゲームの世界の登場人物に生まれ変わっちゃった! みたいなお話を書店や電子書籍サイトでよく見かけます。
ついつい読んでしまいます。大まかなテンプレート設定がありながらも細部はいろいろと個性があって、おもしろいです。
これまでにも、そういった物語は数多く描かれてきました。
たとえば、タイムスリップ。
たとえば、異世界への召喚 。
どちらにも共通するのは、それはある日とつぜん発生する、ということ。
いったいなにが起きたのかわからないまま、だけどいま自分がいる場所は、それまで生きてきた世界ではない、ということだけはたしかで。そして多くの場合、その主人公は命を狙われたり、事件に巻き込まれたりするのです。
もし、いざ自分がそんな目にあったらパニックを起こすか、わが身の不運を嘆いてしまうに違いないのですが、読者として読むぶんには大好きなジャンルです。
篠原千絵さんの『天 は赤い河のほとり』
ひかわきょうこさんの『彼方 から』
赤石路代さんの『AMAKUSA1637』
高尾滋さんの『ゴールデン・デイズ』
少女漫画ばかりなのは、わたしがほとんどそれしか読まないためです。子どものころから主に少女漫画を読んで育ちました。活字の本に目覚めたのはだいぶあとで、中学生のころでしょうか。
同じ少女漫画でも、ちょっと毛色が異なる、川原教授節炸裂 の『バビロンまで何マイル?』も好きです。わたしがチェーザレ・ボルジアという人物をはじめて知ったのは、この川原泉さんの『バビロンまで何マイル?』か、さいとうちほさんの『花冠 のマドンナ』のどちらかだったと思います。
タイムスリップ、あるいは異世界召喚ものの物語で、わたしがもっとも興味深いのは、物語のラスト、主人公がどんな決断をするのか、ということです。
つまり、元の世界に戻るのか、それともそのままこの世界で生きてゆくことを選ぶのか。
これはあくまで、流行 りの異世界転生ものは、転生というからにはその選択肢は存在しないもの、とわたしは現時点で認識しているので、そこが大きな違いでしょうか。
まさかの夢オチ(すべて主人公の見ていた夢のなかでのできごとでした。)、というパターンでなければの話ですが。
それまであたりまえに暮らしていた世界が一瞬で遠ざかり、二度と帰れないかもしれない場所となる。その絶望たるや、想像を絶するものがあります。
上記の作品以外にも、小説では、小野不由美さんの十二国記シリーズ一作め『月の影 影の海』。こちらは異世界召喚ものといってもよいでしょう。ふつうの女子高校生であった中嶋陽子が無理やり異世界へ連れていかれ、しかもその先ではほんとうにひとりぼっち。だれも助けてはくれないし、何度も何度もひどい目にあう。読んでいて苦しくなるくらい、途中までは救いがないお話だったという印象が強く残っています。
そして同じく、小野不由美さんの『魔性の子』。
こちらはもともとシリーズ外の独立した作品として発表されていましたが、のちに十二国記のなかでも重要な位置を占める物語となりました。
主人公は男子高校生の蒿里要 。子どものころに神隠しに遭い、そのあいだの記憶がない。そんな彼の周囲では不穏な事件が相次ぎ、彼に近づくと祟 られるという噂が立つ。
彼らふたりに共通するのは、この世界での生きづらさ。自分はどうもほかのひとたちとは違う。どうやっても馴染めない異質さをずっと感じながら生きていること。それもそのはず、
タイムスリップ、あるいは異世界召喚の物語とまではいかなくても、それまで暮らしていた世界とはまったく文化の異なる未知の世界へ飛び込んでいく物語も多くあります。
わたしにとって、いちばん強烈に印象に残っている物語は、玉岡かおるさんの『天涯 の船』上下巻です。かなりのボリュームの単行本でしたが、ほとんど徹夜で一気読みした記憶があります。
はじまりは、明治十七年の日本。十二歳の少女・ミサオは、姫君の身代わりとして米国への留学船に乗り込んでいた。ほんもののお姫さまである三佐緒 に心酔する乳母のお勝は、身代わりのミサオを目の敵 にして、筆舌 に尽くしがたい陰湿な虐待を繰り返していた。お勝によるひどい仕打ちと船酔いに苦しめられ、絶望の淵 に追いつめられたミサオは、海に身を投げることを決意する。
そこで、ひとりの男と出会う。桜賀光次郎。運命の出会いであった。
ミサオという、なんの身分もない下働きの少女が異国へ渡り、そこでうつくしく成長し教養を身につけ、立派な淑女 として花ひらく。そして、互いに惹かれあう運命の相手と出会いながらも、これまた運命のいたずらにより、すれ違い続け、ミサオはべつのオーストリア貴族の男のもとへ嫁いでいくことに。
それからさらに待ち受ける怒涛 の展開。
息をするのも忘れるくらい、のめりこんで読み耽 りました。
ひとりの少女の数奇な運命。
はじめ、なすすべもなくいたぶられていたちいさな少女は、やがて持ち前のすこやかさと賢さを発揮して、異国での未知の暮らしを謳歌 し、みずからの意思で新たな人生を切りひらいていきます。
あまりにも波乱万丈な人生。けれども、幾たびも訪れる嵐に決して負けない、しなやかな強さ。
このミサオには実在のモデルがいて、クーデンホーフ光子という女性だそうです。
ちなみに、ミサオの運命の相手・桜賀光次郎のモデルは松方幸次郎。川崎重工業(旧川崎造船所)の初代社長で「松方コレクション」でも知られます。
それまで暮らしていた世界とはまったく文化の異なる未知の世界へ飛び込んでいく物語は、じつは、もっと身近でも起こりうるものだと思うのです。
海を渡って異国の地を踏むのはもちろんのこと、国を出なくても、住み慣れた土地を離れて新しい土地へ移ること、知らない場所での生活をはじめること。
それは、ある日とつぜんなんの前触れもなく起きるタイムスリップや異世界召喚とは違うけれど、身近な、新しい冒険のはじまりのようなものではないでしょうか。
土地が変われば文化も変わります。たとえ同じ国のことばを使っていても、気候や食べもの、ならわしや作法などは地域によってさまざまです。だからきっと、ひとは旅をする。どこへ行っても同じ景色、同じ風景、同じ文化、同じ食べものばかりだったら、わざわざそこへ出かけていく意味はあるでしょうか。
結婚も、身近な、文化の異なる未知の世界へ飛び込んでいく、その最 たるものかもしれません。家庭という、ひとつひとつ異なる世界で暮らしてきたふたりが、お互いの文化を持ち寄って新しい世界(家庭)を築いてゆくのですから。
サメマチオさんの『きみの家族』という漫画を思い出しました。
それまで暮らしていた世界とはまったく文化の異なる未知の世界へ飛び込んでいく物語は、いままさに、現実のほうが、これまでとは異なる未知の世界へと変化しているところ、といえるのかもしれません。
文化を生活様式に置き換えるとわかりやすいでしょうか。
いまはコロナの影響で、外出をなるべく控えるようにとのお達しもあり、ちょっとの遠出や旅にでることも難しい状況かと思います。
だけど、本が、物語があれば、わたしたちは家にいながらにして、どこへでも、どんな世界へでも旅立つことができます。寝食を忘れて、夢中になって、その世界を冒険できる。
物理的な移動は困難でも、心はいつでも、どこへでも、飛び立つことができます。不安な朝も、孤独な昼も、眠れない夜も、本が、物語が、そして一枚の紙とペンさえあれば、どんな世界へも自由に羽ばたいてゆける。
これが、わたしの、わたしたちの翼。
ついつい読んでしまいます。大まかなテンプレート設定がありながらも細部はいろいろと個性があって、おもしろいです。
これまでにも、そういった物語は数多く描かれてきました。
たとえば、タイムスリップ。
たとえば、異世界への
どちらにも共通するのは、それはある日とつぜん発生する、ということ。
いったいなにが起きたのかわからないまま、だけどいま自分がいる場所は、それまで生きてきた世界ではない、ということだけはたしかで。そして多くの場合、その主人公は命を狙われたり、事件に巻き込まれたりするのです。
もし、いざ自分がそんな目にあったらパニックを起こすか、わが身の不運を嘆いてしまうに違いないのですが、読者として読むぶんには大好きなジャンルです。
篠原千絵さんの『
ひかわきょうこさんの『
赤石路代さんの『AMAKUSA1637』
高尾滋さんの『ゴールデン・デイズ』
少女漫画ばかりなのは、わたしがほとんどそれしか読まないためです。子どものころから主に少女漫画を読んで育ちました。活字の本に目覚めたのはだいぶあとで、中学生のころでしょうか。
同じ少女漫画でも、ちょっと毛色が異なる、
タイムスリップ、あるいは異世界召喚ものの物語で、わたしがもっとも興味深いのは、物語のラスト、主人公がどんな決断をするのか、ということです。
つまり、元の世界に戻るのか、それともそのままこの世界で生きてゆくことを選ぶのか。
これはあくまで、
元の世界に戻れるという選択肢が残されている場合
に限りますが。その点、いままさかの夢オチ(すべて主人公の見ていた夢のなかでのできごとでした。)、というパターンでなければの話ですが。
それまであたりまえに暮らしていた世界が一瞬で遠ざかり、二度と帰れないかもしれない場所となる。その絶望たるや、想像を絶するものがあります。
上記の作品以外にも、小説では、小野不由美さんの十二国記シリーズ一作め『月の影 影の海』。こちらは異世界召喚ものといってもよいでしょう。ふつうの女子高校生であった中嶋陽子が無理やり異世界へ連れていかれ、しかもその先ではほんとうにひとりぼっち。だれも助けてはくれないし、何度も何度もひどい目にあう。読んでいて苦しくなるくらい、途中までは救いがないお話だったという印象が強く残っています。
そして同じく、小野不由美さんの『魔性の子』。
こちらはもともとシリーズ外の独立した作品として発表されていましたが、のちに十二国記のなかでも重要な位置を占める物語となりました。
主人公は男子高校生の
彼らふたりに共通するのは、この世界での生きづらさ。自分はどうもほかのひとたちとは違う。どうやっても馴染めない異質さをずっと感じながら生きていること。それもそのはず、
彼らのいるべき、生きるべき世界はここではなかったのだから
。タイムスリップ、あるいは異世界召喚の物語とまではいかなくても、それまで暮らしていた世界とはまったく文化の異なる未知の世界へ飛び込んでいく物語も多くあります。
わたしにとって、いちばん強烈に印象に残っている物語は、玉岡かおるさんの『
はじまりは、明治十七年の日本。十二歳の少女・ミサオは、姫君の身代わりとして米国への留学船に乗り込んでいた。ほんもののお姫さまである
そこで、ひとりの男と出会う。桜賀光次郎。運命の出会いであった。
ミサオという、なんの身分もない下働きの少女が異国へ渡り、そこでうつくしく成長し教養を身につけ、立派な
それからさらに待ち受ける
息をするのも忘れるくらい、のめりこんで読み
ひとりの少女の数奇な運命。
はじめ、なすすべもなくいたぶられていたちいさな少女は、やがて持ち前のすこやかさと賢さを発揮して、異国での未知の暮らしを
あまりにも波乱万丈な人生。けれども、幾たびも訪れる嵐に決して負けない、しなやかな強さ。
このミサオには実在のモデルがいて、クーデンホーフ光子という女性だそうです。
ちなみに、ミサオの運命の相手・桜賀光次郎のモデルは松方幸次郎。川崎重工業(旧川崎造船所)の初代社長で「松方コレクション」でも知られます。
それまで暮らしていた世界とはまったく文化の異なる未知の世界へ飛び込んでいく物語は、じつは、もっと身近でも起こりうるものだと思うのです。
海を渡って異国の地を踏むのはもちろんのこと、国を出なくても、住み慣れた土地を離れて新しい土地へ移ること、知らない場所での生活をはじめること。
それは、ある日とつぜんなんの前触れもなく起きるタイムスリップや異世界召喚とは違うけれど、身近な、新しい冒険のはじまりのようなものではないでしょうか。
土地が変われば文化も変わります。たとえ同じ国のことばを使っていても、気候や食べもの、ならわしや作法などは地域によってさまざまです。だからきっと、ひとは旅をする。どこへ行っても同じ景色、同じ風景、同じ文化、同じ食べものばかりだったら、わざわざそこへ出かけていく意味はあるでしょうか。
結婚も、身近な、文化の異なる未知の世界へ飛び込んでいく、その
サメマチオさんの『きみの家族』という漫画を思い出しました。
それまで暮らしていた世界とはまったく文化の異なる未知の世界へ飛び込んでいく物語は、いままさに、現実のほうが、これまでとは異なる未知の世界へと変化しているところ、といえるのかもしれません。
文化を生活様式に置き換えるとわかりやすいでしょうか。
いまはコロナの影響で、外出をなるべく控えるようにとのお達しもあり、ちょっとの遠出や旅にでることも難しい状況かと思います。
だけど、本が、物語があれば、わたしたちは家にいながらにして、どこへでも、どんな世界へでも旅立つことができます。寝食を忘れて、夢中になって、その世界を冒険できる。
物理的な移動は困難でも、心はいつでも、どこへでも、飛び立つことができます。不安な朝も、孤独な昼も、眠れない夜も、本が、物語が、そして一枚の紙とペンさえあれば、どんな世界へも自由に羽ばたいてゆける。
これが、わたしの、わたしたちの翼。