第48話 余白を愛する
文字数 2,012文字
いまどきの傾向として、わかりやすい物語、短時間ですっと頭に入ってくるストーリーなどが好まれているそうです。
YouTubeなど、短時間で視聴できる動画コンテンツが広く普及した影響でしょうか。
ライトノベルや流行りの異世界転生ものなどは、タイトルを見た瞬間、どんな内容なのかほぼわかるような長文タイトルのものが増えているように感じます。
わかりやすいものは、わたしも好きです。気負わずにサクッと読み進められるし、ストレスも少ない。
ただ、それだとなんだかもの足りない、という気持ちになるのも事実で。
物語を楽しむうえで、至れり尽くせり、なにもかもをわかりやすく丁寧に書かれていると想像する余地がなくてつまらないとも思ってしまうのです。
贅沢 なのかもしれません。
わたしは余白が好きです。
書かれていないものを想像するのが好き。
登場人物のちょっとした表情の描写、沈黙、間 、そういったわずかな情報から、彼の、彼女の心理を想像するのが好きです。
文章を読み解く能力というのは、数多くの文章を読んではじめて身につくものなのでしょうか。
最近よくTwitterを覗 くのですが、たとえば、あるツイートに対してのリプライで、明らかにそういう意味で書かれたものではない、という内容に対して、おそらくリプライしたご本人はまじめに、なんだかズレた見解を述べられているのを目にすることがあります。
それに対して親切な方が、
「これはそういう意味で書かれたものではないと思いますよ」
と指摘されると、気を悪くしたのか逆上気味に反論していたり。
ひとそれぞれ、受け取り方はさまざまです。言葉は、数学と違って答えはひとつではない。それはわかります。
ただ、書かれていることの意味をある程度、推し測る能力というのは必要とされるのではないかと思うのです。
すこし話がズレますが、わたしは以前、べつのサイトで創作活動をしていました。そこで、たくさんの創作仲間の方や読者の方に出会うことができました。
わたし自身は、幸いにも、誹謗中傷などを受けたことはないと記憶しておりますが、ほかの方のサイトにお邪魔して、これはちょっと理不尽では、と感じたできごとがあります。
いわゆる、バッドエンドの物語を書かれていた方の作品を読んだ読者の方が、
「バッドエンドとは思わなかった。知っていたら読まなかった。不愉快です。読む前にわかるように明記してほしい」
というようなクレームを入れているのを目にしたのです。
いや、あらかじめそれを明記したら、読む前からネタバレになるのでは?
とわたしは思いました。
もちろん、これもひとそれぞれの感覚があるのは承知しているつもりです。バッドエンドが苦手、耐えられない、いわゆる地雷、そういう方もいらっしゃるでしょう。
でも、その作品を選んで読もうと思われたのは、ご自身の判断なのでは?
自己責任、とまではいいませんが、思っていたのとは違う結末を迎えたからといって、作者の方に文句をいうのは筋違いというものでは、とわたしは感じました。
たしかに、プロの方が書かれた物語でも、読んだあと胸くそ悪くなって後悔する、ということは正直あります。(言葉が悪くてすみません)
でもそれはわたし個人の意見。
その作品を好きだという方も存在するはず。
自分個人の感想として「読まなければよかった」といいたくなる気持ちは理解できますが、それを作者へぶつけるのはお門違いと感じてしまいます。
ただ、それもあくまでわたし個人の見解。
そうではないひともいるのが現実。
さらに話は脱線しますが(どこまで行くつもりだ)、お正月に売り出される福袋。いつからか、購入する前に中身がわかるのがあたりまえのようになってきました。ご親切に「この福袋にはこれらのアイテムが入っていますよ」と展示されていたり。
そうではないものもあるのかもしれませんが、当たりハズレを楽しむのも福袋を買う楽しみのひとつだと思っているので、買う前に失敗を避けられるのはありがたいのですが、すこしつまらない、とも思ってしまいます。
(福袋は売れ残りの詰め合わせ、という話も聞きますが、なにかひとつくらいは当たりが入っているだろうと勝手に期待しております)
先ほどの「自分が思っていたのと違った」作品へのクレームのように、中身がわからないドキドキ感よりも、あらかじめリスクを避けたい心理のほうがメジャーになってきたのでしょうか。
わたしも手堅いものが好きですが、物語や福袋のような夢のあるものは、たとえ選択に失敗しても、それを含めて楽しめる余裕を持ちたいなと思います。
あ、脱線したまま終わってしまった……。
***
この『桐一葉』は、50話でいったん完結する予定です。
あと2話のテーマはすでに決まっているので、近々更新できればと思います。
引き続き、最後までお付き合いいただけますとうれしく思います。
YouTubeなど、短時間で視聴できる動画コンテンツが広く普及した影響でしょうか。
ライトノベルや流行りの異世界転生ものなどは、タイトルを見た瞬間、どんな内容なのかほぼわかるような長文タイトルのものが増えているように感じます。
わかりやすいものは、わたしも好きです。気負わずにサクッと読み進められるし、ストレスも少ない。
ただ、それだとなんだかもの足りない、という気持ちになるのも事実で。
物語を楽しむうえで、至れり尽くせり、なにもかもをわかりやすく丁寧に書かれていると想像する余地がなくてつまらないとも思ってしまうのです。
わたしは余白が好きです。
書かれていないものを想像するのが好き。
登場人物のちょっとした表情の描写、沈黙、
文章を読み解く能力というのは、数多くの文章を読んではじめて身につくものなのでしょうか。
最近よくTwitterを
それに対して親切な方が、
「これはそういう意味で書かれたものではないと思いますよ」
と指摘されると、気を悪くしたのか逆上気味に反論していたり。
ひとそれぞれ、受け取り方はさまざまです。言葉は、数学と違って答えはひとつではない。それはわかります。
ただ、書かれていることの意味をある程度、推し測る能力というのは必要とされるのではないかと思うのです。
すこし話がズレますが、わたしは以前、べつのサイトで創作活動をしていました。そこで、たくさんの創作仲間の方や読者の方に出会うことができました。
わたし自身は、幸いにも、誹謗中傷などを受けたことはないと記憶しておりますが、ほかの方のサイトにお邪魔して、これはちょっと理不尽では、と感じたできごとがあります。
いわゆる、バッドエンドの物語を書かれていた方の作品を読んだ読者の方が、
「バッドエンドとは思わなかった。知っていたら読まなかった。不愉快です。読む前にわかるように明記してほしい」
というようなクレームを入れているのを目にしたのです。
いや、あらかじめそれを明記したら、読む前からネタバレになるのでは?
とわたしは思いました。
もちろん、これもひとそれぞれの感覚があるのは承知しているつもりです。バッドエンドが苦手、耐えられない、いわゆる地雷、そういう方もいらっしゃるでしょう。
でも、その作品を選んで読もうと思われたのは、ご自身の判断なのでは?
自己責任、とまではいいませんが、思っていたのとは違う結末を迎えたからといって、作者の方に文句をいうのは筋違いというものでは、とわたしは感じました。
たしかに、プロの方が書かれた物語でも、読んだあと胸くそ悪くなって後悔する、ということは正直あります。(言葉が悪くてすみません)
でもそれはわたし個人の意見。
その作品を好きだという方も存在するはず。
自分個人の感想として「読まなければよかった」といいたくなる気持ちは理解できますが、それを作者へぶつけるのはお門違いと感じてしまいます。
ただ、それもあくまでわたし個人の見解。
そうではないひともいるのが現実。
さらに話は脱線しますが(どこまで行くつもりだ)、お正月に売り出される福袋。いつからか、購入する前に中身がわかるのがあたりまえのようになってきました。ご親切に「この福袋にはこれらのアイテムが入っていますよ」と展示されていたり。
そうではないものもあるのかもしれませんが、当たりハズレを楽しむのも福袋を買う楽しみのひとつだと思っているので、買う前に失敗を避けられるのはありがたいのですが、すこしつまらない、とも思ってしまいます。
(福袋は売れ残りの詰め合わせ、という話も聞きますが、なにかひとつくらいは当たりが入っているだろうと勝手に期待しております)
先ほどの「自分が思っていたのと違った」作品へのクレームのように、中身がわからないドキドキ感よりも、あらかじめリスクを避けたい心理のほうがメジャーになってきたのでしょうか。
わたしも手堅いものが好きですが、物語や福袋のような夢のあるものは、たとえ選択に失敗しても、それを含めて楽しめる余裕を持ちたいなと思います。
あ、脱線したまま終わってしまった……。
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この『桐一葉』は、50話でいったん完結する予定です。
あと2話のテーマはすでに決まっているので、近々更新できればと思います。
引き続き、最後までお付き合いいただけますとうれしく思います。