第21話 ずっと走り続ける必要はない

文字数 2,076文字

 日本人は働きすぎ、ということばをよく耳にします。
 たしかにそうかもしれない、と思うようになりました。

 まじめで勤勉なのは、もちろん美徳です。ただし、なにごとも度が過ぎると考えもので。ワーカホリックということばもあります。自分が好きなことを仕事にしていて寝食を忘れるほど没頭(ぼっとう)して、それがまったく苦にならない、というひとでも、あまり行きすぎると健康を損なう恐れがあります。

 なんでしょう。休むこと、遊ぶことに対して、へんな罪悪感みたいなものがあるように思えてしまうのです。

 すこしまえに、ネットで話題になっていたような記憶があるのですが、たしか風邪薬の広告で、これまでは「風邪を引いてつらい症状が出ても、この薬を飲めば症状を緩和して、がんばって働ける」みたいなものが主流だったのが、「風邪を引いてつらいときはこの薬を飲んで休みましょう」という、ごくシンプルであたりまえなものに変わったとか。

 体調が悪いときには休む。
 このごくあたりまえのことが難しい世のなかに思えて仕方ないのです。

 家庭を切り盛りする主婦(主夫)や、子育てや介護をされている方も、きっとそうなのではないでしょうか。
 自分が寝込んでしまったら、なにもかもが(とどこお)る。だから、多少の無理をしてでも立ち働くしかない。ゆっくり寝ていることもできない。もしできても、余計な気がねをしてしまって、やっぱりおちおち寝ていられない。

 それでも、どうぞゆっくり休んでください、といいたいです。それができないから問題なのだ、というのはわかります。自分が休んだら、なにもかもが滞る、という無限ループ。

 具合が悪いときに休む。ただそれだけのことができない、できても気持ち的に休みづらい、それがあたりまえの世のなかというのは、どうなのでしょう。
 正直、異常だと思うのです。

 わたしは若いころから、いわゆるサービス業に従事しておりまして、ひとさまがお休みのときがいちばんの稼ぎどき、という生活スタイルを送ってきました。土日祝祭日、盆暮れ正月、長期休暇はほぼ仕事です。代わりに平日がお休みとなります。

 あるとき、元日早々、仕事中に体調を崩して早退し、そのまま救急で診察を受けたことがあります。過労だったか、幸い、大事には至らず、とにかく安静に寝ているように、との診断でした。
 アホなわたしは、その女性の医師に
 「明日は仕事に行っても大丈夫ですか」
 と尋ねました。医師は絶句したあと、
 「あのですね、仕事はだれでも代わりがいるけど、あなたの代わりはいないんですよ」
 と呆れ顔を隠さずにおっしゃいました。
 この小娘、大丈夫か、と顔に書いてありました。
 大丈夫ではありませんでした。寝込みました。

 自分が休んだら、だれかに迷惑がかかる。
 これがいちばんのネックではないでしょうか。
 わたしもずっとそう思っていました。
 よいのです。迷惑だろうがなんだろうが、背に腹は代えられません。自分にもし万が一のことがあった場合のほうが、よっぽどだれかにダメージを与えてしまいます。
 具合が悪いときは、お互いさま。自分が助けてもらったら、次にだれかが体調不良になったときに、今度は代わりに手を貸してあげたらよいのです。わたしもそうやって助けてもらって、いままで生きてきました。
 だれだって、365日、まったくの健康でいられることはごく(まれ)でしょう。
 仕方ないのです。だって、人間だもの。
 機械でも、定期的なお手入れや点検は必要です。
 人間にも、休息は必要です。


 最近、コロナの影響を受けてでしょうか、たまにまえを通るクリーニング屋さんが、お昼どきの一時間ほどお休みと、営業時間が変更になっていました。もともとスタッフ募集の貼り紙がずっと貼ってあるのを見かけていたので、もしかしたら人手不足のなか、スタッフさんのお昼休憩確保のための処置なのかもしれません。

 とある地方銀行も、お昼どきは窓口業務をお休みしますと変更になっていました。
 もしコロナの影響だとしたら、手放しでよろこべるものではないかもしれませんが、単純に、スタッフさんたちのお昼休憩のためのお休みだとしたら、どうぞどうぞ、ゆっくり休んでくださいといいたいです。

 わたしの父親は生前、土木関係の仕事に就いておりましたが、そういう現場の職人さんたちは、お昼休憩とはべつに、10時と15時に短い休憩があるそうです。たしかに、いわゆる土方(どかた)のおじさんやお兄さんたち、よくその時間帯に日陰で缶コーヒーを飲みながら休んでいます。体力仕事ですもんね。

 わたしも仕事柄、休憩なしで朝から晩まで立ちっぱなし、とかしょっちゅうなので、休憩時間のありがたみはよくわかります。

 だれにも迷惑はかけられない、という重荷を背負ってずっと走り続ける必要はないのです。
 働くために生きているわけではない。
 生きるために働いているのですから。
 なにかあったら、そのときはお互いさま。

 わたしはたぶんかなりドライな人間だと思いますが、身近なひとがしんどそうなときは、手を差しのべられる人間でありたいと、そう思うのです。

 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み