第23話 「書いていないからわからなかった」

文字数 1,654文字

 以前から、目に(耳に)するたび気になることばがあります。

 たとえば、なんらかの禁止事項や、商品の説明文に関して、
 「書いていないからわからなかった」
 というような声を聞くたび、なんだかモヤッとしてしまうのです。

 お菓子のパッケージに「写真はイメージです。実物大ではありません」みたいな注意書きを見つけるたび、
 「ああ、たぶん過去にだれかが『中身と違う』というようなクレームを入れたんだろうな」
 と考えてしまうのです。

 そのいっぽうで、わたしが好きな某ゼリー(ものすごく弾力のある、むっちりとしたあのゼリーです)の外装には、かなりまえからずっと、
 「お子さまやお年寄りが召し上がるときには、喉に詰まらせないようご注意ください」
 という注意書きがはっきりと書かれているにもかかわらず、そのとおりの事故が起きてしまうというニュースをたびたび目にします。

 「ドアを開けたら閉めましょう」
 「ごみはごみ箱へ捨てましょう」
 「家庭ごみの持ち込みはご遠慮ください」
 「トイレはきれいに使いましょう」
 「駐車場でエンジンをかけたままにするのは近隣の方に迷惑になるのでお止めください」
 「ここは喫煙所ではありません」
 「万引きは犯罪です」

 書いていけばキリがないほど、身の周りには注意書きがあふれています。
 もちろん、必要なものも存在します。
 でも、それ以上に、そこまで書かれないとわからないのかな、という内容のものが多いように思えてしまうのです。

 禁止事項をやらかして注意を受けたひとのなかで、かなりの割合のひとが
 「書いてないからわからなかった」
 「知らなかった」
 と口にします。
 これはあくまでもわたしの経験したなかでの印象ですが。

 書いていないからわからなかった、というのは、裏を返せば
 「自分のせいじゃない」
 という主張です。
 書いていないのが悪い、自分の責任ではない、という言い分でしょう。
 それと同時に、もし書いてあったとしても
 「見えなかった」
 「気づかなかった」
 「字がちいさい」
 などといわれることがあります。

 あきらかに消費者を騙そうとする悪質な表記の仕方などはべつとして、注意書きを読んでいないのは自分の不注意だし、ここでそれをしたらダメなのは、ちょっと考えればわかるよね、みたいな状況を目にするたび、ため息がこぼれてしまいます。

 なんでもかんでも他人のせいにしなさんな、見苦しい。
 たぶん、わたしの顔にはそう書いてあります。

 空気を読むとか、そういう次元の話ではなく、ひととしてやってはいけないこと、守るべきルールを理解できない、理解しようとしない人間が、ほんとうに苦手です。
 これはあくまで、理解できる能力があるのにしない、しようとしない人間に限ります。認識すること自体が難しいひとに対して、なんでわからないの、とは思いません。

 だいぶまえにネットのニュースで目にした事件で、なんらかのトラブルが発生したのだったか、詳細はうろ覚えなのですが、相手に火をつけて怪我を負わせたかなにかで、犯人の言い分が
 「殺意はなかった」
 というものでした。それを読んだときに、この人物はいったいなにをいっているのだろう、と唖然とした覚えがあります。
 人間に火をつけたら燃える、という認識がなかったとでもいうのでしょうか。もしそうだとしたら恐ろしい。そもそも、火を持ち出してくるという発想じたいが恐ろしい。

 自分がした行為が、どういう結果へと繋がるのか。
 それが理解できない、想像できない人間がすくなくはない数、存在する。
 恐ろしい世界だな、と思います。


 ふつうに、穏やかに生活したいだけなのに、それが難しい。
 でも、そんな状況だからこそ、ちゃんとしているひとを見るととても安心するし、親切にされたときには感動すら覚えます。自分もこうありたいと、(えり)を正す機会をいただいています。

 自分さえよければそれでいい、と思うのではなく、なるべくお互いが気持ちよく暮らせるよう、ほんのすこしの気配りを忘れたくないなと思うのです。
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