第6話 桐一葉

文字数 1,204文字

 いまさらながら、日記の題名についてすこしお話ししたいと思います。

 【桐一葉】 きりひとは
 中国のことわざ「梧桐一葉落天下盡知秋」

 「アオギリの一葉が落ちて天下の秋を知らせる」

 桐はほかの植物よりひと足はやく葉が落ちるため、秋の訪れを表すものとなったのだとか。転じて、天下の秋というのは国家の衰亡の予兆を表しているそうです。
 わが世の春とばかりに栄えた国が、隆盛を誇る夏を過ぎて(かげ)りを見せはじめる。
 平家物語でいうところの「盛者必衰の(ことわり)をあらはす」でしょうか。
「桐一葉」は初秋の季語です。

 もはや国難といってもよいような状況下ですが、果たしてこの国はどんな未来への(かじ)を切るのでしょうか。これまでに経験したことのない現実を前に、手探りですこしずつ進んでいくしかないのかもしれません。
 息をするのも命懸け、なんて、そんなSFみたいな現実が訪れることを、いったいだれが予想できたでしょう。ひとそれぞれ個人差はあれど、一年以上続く災厄に、きっとだれもが疲弊(ひへい)しています。
 地球上のどこにも逃げ場はない。
 それでも、生きていかなくてはなりません。
 生きてゆく権利が、わたしたちにはあるのです。

 政治の話をするつもりはありません。政治を語るには、わたしのあやふやな知識など(ちり)も同然だからです。
 ただ、そうですね。
 とつぜん漫画の話になりますが、あきづき空太さんの『赤髪の白雪姫』のなかで、主人公の白雪が生まれ故郷を出る原因となったラジ王子にいった台詞、

「この国に生まれてよかったと思えるような王になってくださいよ」

 民主主義国家であるこの国に王はいませんが、国政を司る立場の方々にこの言葉を捧げたいです。

 決して悲観しているわけではないのです。繁栄と衰退はかならずセットで訪れます。それはこの世のさだめ。熟した果実はやがて腐っていくもの。成熟した国家がやがて衰退してゆくのはごく自然な理だと思います。

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」

 有名な『徒然草』の冒頭です。
 万物はすべて変化していくもの。変わらないものなどない。この世に存在するものはすべて、かたちを変えて続いていくのです。
 四季のあるこの国に暮らすわたしたちには実感しやすい概念(がいねん)ではないでしょうか。変わり、めぐる季節を肌で感じて生きているのですから。

 かたちあるものは遅かれ早かれ、いずれ滅びる。
 いのちに限りがあるように。
 はじまりがあって終わりがある。
 ただそれだけのことです。
 終わりのあとにはまた新たなはじまりがある。
 その繰り返し。
 ひとの人生はせいぜい百年。
 いろいろあったけど、まあまあ楽しかった。
 そういって眠りにつけたらそれでいい。
 それでじゅうぶん。
 そういうふうに生きていきたい。
 ただそれだけです。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み