第45話 推しの不在

文字数 4,118文字

 現在、()しはいない、と発言しておりますが、以前のサイトからお付き合いくださっている方のなかには、
「あれ、桐乃はたしか好きなアーティストがいたはず」
 と怪訝(けげん)に思われている方もいらっしゃるやもしれません。
 今回は、そのお話をしようと思います。

 まず、そのアーティストのことを「推し」と呼んでよいものかどうか、正直いうと迷いがあります。
「推し」というと、ライブやイベントに参加するのはもちろんのこと(チケット争奪戦を勝ち抜く運も必要)、CDやDVDをはじめ、各種グッズに至るまで積極的に購入することが至極(しごく)当然、というイメージがあります。
 そのアーティストが掲載されている雑誌は欠かさずチェックし、テレビ番組への出演があれば録画は必須。いまの時代であればSNSもくまなくチェックし、ファン同士のやりとりも大事な情報源。

 阿弥陀(あみだ)しずくさんの『からっぽダンス』
 平尾アウリさんの『推しが武道館いってくれたら死ぬ』
 の主人公たちのイメージです。両方ともおもしろいまんがなのでオススメです。

 ……が、わたしはこれらの条件を満たしていません。

 唯一、クリアしているのはCDは欠かさず購入していた、という一点のみです。

 いままであまり公言したことはありませんが、わたしは潔癖症の()があり、ひとの大勢集まる場所や、物理的に他人と接触することを極端に避ける傾向があります。映画館(それも空いている場合)が限度です。それすらも、満席だと退席したくなるし、途中で気分が悪くなることがあります。
 熱気むんむんのライブ会場に参戦するのはとても無理。

 そして、グッズ関連ですが、わたしは物欲があまりなく、むしろ、なるべく部屋にものを置きたくない人間です。
 なので、いかに好きなアーティストのグッズであろうと、とくに欲しいと思ったことはなく。

 ここまででもう、それは推しとはいわない、という声が聞こえてきそうです(汗)

 わたしがアーティストを好きになる場合、
 単純に歌が好き。
 つまり、
 曲が好き。
 歌詞が好き。
 声が好き。
 これで完結します。

 これは、インターネットが普及するまでのあいだ、長年テレビを観ずに生きてきたため、アーティスト自身のビジュアルに(うと)いというのが大きな要因だと推測します。
 それまではCDのジャケットや雑誌の写真を見るくらいで、そのアーティストが動いてしゃべったり笑ったりしている姿を目にする機会がなく。
 友人がポータブルDVDプレイヤーをプレゼントしてくれて、はじめて特典DVDを観たときは感動しました。

 どの曲も好き。
 たぶんいまでも、ほとんどの曲の歌詞を覚えていると思います。
 好きという気持ちに濁りはない。

 それなのになぜ、推しはいないと発言しているのか。

 彼らは、いわゆるビジュアル系バンドと呼ばれるジャンルのアーティストでした。
 え、意外、とよくいわれます。
 前述のとおり、アーティストの容姿を知らず、曲を聴いて好きになるというパターンなので、あとから彼らがビジュアル系バンドだということを知りました。

 メロディが好き。
 歌詞が刺さる。
 好みのど真ん中。
 心臓を撃ち抜かれました。骨抜きです。

 わたしが彼らの曲と出会ったのは、2005年。
 乏しい財力の許す限り、CDを買い集めました。
 しかし、蜜月は長く続かず。

 それから数年後、バンドの活動休止が発表され、メンバーそれぞれのソロ活動がスタートします。

 解散ではなく活動休止。
 ソロ活動を経て、いずれまた活動を再開してくれる日がくるかもしれないという期待を胸に、それからはわたしの好きなボーカルのソロ活動をひそかに応援してきました。

 ボーカルのソロプロジェクトも、やはりわたしの好きな曲ばかりで、プロジェクトに参加するほかのアーティストメンバーたちとの楽しそうな姿を見ては、彼が好きな音楽活動ができるのならどんなかたちでもいいと、そう思って、新曲が発売されるたびにいそいそと購入してきました。

 ……それにしても、彼はずいぶん痩せた、いや、やつれたな、と気がかりではありました。

 その後、ボーカルの体調不良により、ソロプロジェクトも活動休止となり。




 月日は流れ、平成が終わりを告げようとする春の日に。

 長年、活動休止していた、母体のグループの解散がとつぜん発表されました。

 エイプリルフール、こんなの悪い冗談だよね、と思いましたが、彼がそんなたちの悪いジョークをいうとは思えず。おちゃらけた言動でファンを楽しませてくれることはあっても、ふざけたことはぜったいにいわない。
 東日本大震災のときにも、心を痛めて、心を砕いて、すてきな曲を届けてくれた彼だもの。

 嘘なんかじゃない。
 現実なんだ。

 もちろんショックではありましたが、意外と冷静な自分がいました。
 やはり、いったん活動休止したバンドが、以前のように集まって活動を再開するというのは難しいだろうと、心のどこかで覚悟はしていたのだと思います。
 活動休止から10年以上の歳月が流れていましたし。
 たとえバンドは解散しても、これまでに届けてくれた曲たちはすべて残るし、いつでも聴ける。
 それなのになぜ、推しはいないと発言しているのか。

 ここからは憶測が混ざります。
 なにが真実なのかは当人たちにしかわかりません。

 バンドの解散が発表されるとともに、とあるメンバーの脱退を知りました。
 その脱退に関しては、ほとんど情報がありません。
 検索すれば出てくるものの、核心に触れるものはなく。
 その脱退したメンバーによる、なんらかの反社会的行為が明らかになり、そのために彼は脱退することになったようです。
 おそらくですが、そのできごととバンドの解散は無関係ではないのだろう、と推測します。

 そういった経緯でのとつぜんの解散発表。
 ファンのみなさんは阿鼻(あび)叫喚(きょうかん)だったであろうと想像します。

 それからしばらくして、バンドのリーダーでありボーカルであった、わたしの好きな彼が、ファンへのメッセージを届けてくれました。
 いま、あらためてそのメッセージを読み返してみましたが、なんといってよいのか、いまだに自分でもわからないままです。

 (つづ)られていたのは、ファンへの感謝の気持ち、そして謝罪。
 ファンのみんなと同じように、メンバーもスタッフも哀しいし、だれもこんな結末を望んではいなかったこと、だけどどうしようもないこともある、ということ。

 衝撃を受けたのは、彼がバンドを活動休止してソロプロジェクトを始動させると決めてからは、彼のパソコンにはバンドの音源がひとつも入っていない、という告白。
 そして、解散してようやく、その音源を聴けるようになった、ということ。

 身体を痛めて、手術を受けて、
 もう少し自分を褒めてあげようと思うようになったこと。
 頚椎(けいつい)を痛めてから、以前のような声が出なくなったこと。
 自分が作った歌が歌えなくなるのはつらいということ。

 伝えたいことはすべて唄のなかに置いてある。
 またいつかだれかが聴いて歌ってくれれば曲は死なない、と。

 ……だめだ、泣きそう。

 身体の不調を押して、自分のことはすべて後回しにして、バンドのため、ファンのために全力を尽くしてきてくれたのが彼だった。

 そうなるまで、彼の口からそれを聞くまで、わたしはそれに気づかなかった。

 メッセージは、
 これからもメンバーの応援よろしくお願いします。
 という、最後まで自分以外のだれかを思いやる言葉で締めくくられていました。

 これを受けて、ほかのメンバーたちから連名でメッセージが発表されました。
 ざっくりと要約すると、
 ファンへの感謝と謝罪、
 そして、学生時代に組んだバンドとしてみんなでやってきて、プロとして真摯にバンドの未来をいちばん考えてきたのはリーダーでボーカルの彼だったこと。
 自分たちは同じ目線で彼と向き合えていなかったこと。
 彼には、自分のことだけを考えてゆっくり休んでほしいし、ファンのみんなも、彼をゆっくり静かに見守ってほしいということ。

 ボーカルの彼と、ほかのメンバーたちとのあいだに(みぞ)があったとまでは思わないけれど、きっと温度差のようなものは存在したのだろうと、勝手ながら想像しております。
 なまじ学生時代からの仲だからと、そのあたり、まったくの他人よりはなあなあになっていた部分もあるのかもしれません。
 責めているわけではありません。そんな気はさらさらなく。
 当人たちにしかわからないことがあるはず。

 そういった経緯があり、わたしは彼のことを「推し」と呼ぶことにためらいを覚えるのです。

 いまも変わらず好き。
 ほかのメンバーのコメントのとおり、彼にはゆっくり休んでほしい。
 どうか苦しまないで、心安らかに暮らしてほしい。
 自分を犠牲にしてまで、だれかのために尽くしたりしないで。

 いま、ようやく身軽になれたのかもしれない彼を「推し」と呼ぶことで、余計な荷物を背負わせてしまうような、そんな気がして。
 考えすぎなのかもしれない。
 ファンのほとんどは、きっといまでも変わらずに彼を好きなままでいるのだと思います。それでいいと思うし、そういうファンがいる限り、彼らの音楽は廃れることはないでしょう。
 わたしもそういうひとりでありたい。
 ひっそりと長く、いつまでも彼らの音楽を聴いていきたい。

 彼のメッセージにあったように、
 だれかが聴いて歌ってくれれば曲は死なない。

 いまもまだ、うまく消化できていない部分もあるけれど、彼に伝えたい言葉があるとすれば、
 いままでありがとう。
 ただそれだけです。

 これから先、ほかに好きなアーティストが現れたりするかもしれないけれど、あなたは別格。

 わたしは熱心なファンとはとてもいいがたい人間だけど、あなたたちの音楽と出会ってからの約16年間、いつもそばにあなたたちの音楽がありました。
 そして、これからもきっと。

 いま、あなたのそばに大切なだれか、家族や友人や恋人やパートナー、あるいはペット、そういったぬくもりがあなたのそばに存在することを願うばかりです。

 どうか、あなたが孤独でありませんように。

 いままでありがとう。


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