第24話 『夕凪の街 桜の国』
文字数 4,040文字
八月に入りました。夏真っ盛りの今日このごろです。
今回は、とても印象に残っている、好きなまんがのお話をしたいと思います。
なるべくネタバレにならないようにとは思っておりますが、たぶん無理です。すみません。ガッツリ内容に触れますので、未読の方は、あらかじめご了承くださいませ。
たとえ内容を知ったあとではじめてこの本を読んでも、物語から受けとるものはすこしも変わらないし損なわれることはない、とわたしは思います。
こうの史代さんをご存じでしょうか。
『夕凪の街 桜の国』『この世界の片隅に』をお描きになったまんが家さんです。この二作は、原爆が投下された広島を主な舞台とした、戦争もののお話です。
ですが、戦争ものと聞いて想像されるより、きっとずっと遥かに、ほんわかしたやわらかな絵柄の作品なのです。
『夕凪の街 桜の国』は、『夕凪の街』と『桜の国』(一)(二)、ぜんぶで三つのお話に分かれています。
まずは、第一話、『夕凪の街』。
原爆が投下されてから十年後、昭和三十年の広島市が舞台となっています。
主人公は二十三歳の女性、平野皆実。会社員。原爆ドームから程近い「原爆スラム」と呼ばれた、当時の相生 通りという集落に母親とふたりで暮らしています。ここでは、原爆やその後の復興計画により、住む場所をうしなったひとたちが身を寄せあって生活しており、急ごしらえのちいさな掘っ立て小屋がひしめきあっているようすが窺 えます。
そんななかでも、ひとびとは一見おだやかに暮らし、日常を取り戻しつつあるように見えます。
主人公の皆実 も、そのひとり。けれども、ふとした拍子に感じる違和感のようなものが、彼女の足許に、影のようについてまわるのです。
ひそかに好意を寄せる相手から手を差しのべられて。
そのとき、皆実の目のまえには、十年まえの、あの地獄絵図のような光景が蘇ります。
「だれかに『死ねばいい』と思われたということ。そう思われたのに生き延びたこと。そして、そう思われても仕方のない人間に自分がなってしまったこと」
「おまえの住む世界はここではない、とだれかの声がする」
ほとんど呪いのようなそんな思いを、皆実はひとりで抱えていたのです。
彼女の母親は、十年まえの当時「まんまるく膨れてしまい目が見えなくなっていた」ため、あの光景を見てはいないのです。だから、皆実は、自分さえ忘れてしまえばそれですむこと、と自分に言い聞かせるようにして、違和感をやり過ごそうとしてきました。
戦争の、原爆の描写は、作中にほとんどありません。ほんの数コマです。
それでも、それなのに、すさまじいほどの恐ろしさを、悲しみを、無念を、そんなやり場のない感情の渦 を、静けさのなかにひしひしと感じるのです。
ほんの三十ページほどの短編で、ほんわかとした絵柄と描写で、これほどまでに戦争の、原爆の恐ろしさを、その渦中 を生き抜いたひとびとの生活を、その内面を、読む人間の胸に迫るほどに描かれていることに、驚嘆します。
どんな饒舌 なことばよりも力があります。
そして、夕凪がやんでも、この物語は終わりません。
つづく第二話『桜の国』(一)。
こちらは『夕凪の街』から約三十年後、昭和六十二年、東京都中野区へと舞台を移します。
主人公は、小学五年生の石川七波。
『夕凪の街』の主人公であった皆実には、疎開先の親戚の石川家でそのまま養子となった弟が存在しました。その弟である旭 の娘が、この七波なのです。つまり、皆実からすると姪っ子にあたります。
七波は、父親と弟、そして祖母との四人家族。
弟の凪生 は喘息 のため入院しており、祖母はそれに付き添いで日中は不在がち。父親は仕事。七波は鍵っ子なのです。
男勝りな性格で元気はつらつの七波は、野球チームに所属して活躍しますが、監督の不注意から顔面にボールを受けてしまい、大事をとって休憩することに。そのまま放置された彼女はこっそりその場を抜け出して駅へと向かいます。
そこでばったり出会ったのが、お隣さんで同級生の利根東子 。(漢字は違いますが、わたしと同じ名前ですね。こちらの東子ちゃんは、おっとりとした上品な子なので、性格は似ても似つかないのですが;)
東子から電車賃を借りて、さらには本人もいっしょに伴って、向かった先は、凪生の入院する病院。野球のユニフォーム姿で、しかもバットとグローブを持ったままお見舞いにくるあたり、豪快な彼女の性格が表れています。
祖母に見つかり、こってりしぼられたものの、祖母は七波が鼻血を出したことが気にかかるようで。
この『桜の国』(一)は『桜の国』(二)への導入部といったところでしょうか。
次は、この物語の結び『桜の国』(二)へと続きます。
こちらは平成十六年。七波は二十八歳になっています。父親と弟の凪生との三人暮らし。
目下 の悩みは、もしかしたら父親が認知症になりかかっているのでは、ということ。固定電話の代金は先月の五倍にまではねあがり、その犯人と思われる定年退職したばかりの父親は、散歩と称してはどこかへと出かけ、日焼けして埃 まみれになって帰ってくるありさま。
ある夜、食後に桃を食べようとした七波は、冷蔵庫から桃がなくなっていることに気づき、なんの気なしに父親に「桃を食べた?」と尋ねます。すると父親は「ああ、食べたっけ、すまん」と謝り、いまから買ってくると、七波の制止を聞かずに家を出てしまいます。
思わずあとをつけた七波は、ふいに声をかけられます。幼馴染みの利根東子でした。七波たちは『桜の国』(一)の終わりで引っ越したため、東子との再会は十七年ぶりでした。
そうこうしているうちに、父親は駅でなにやら切符を購入しはじめます。あわててあとを追う七波。父親は、広島行きの夜行バスに乗り込みます。尾行を諦めようとする七波をひっぱって代わりに切符を買い、なぜか東子まで広島行きの夜行バスへと乗り込み、予想外の長旅がはじまります。
七波は、東子には会いたくなかった、と胸のうちで思います。東子自身がどうこうではなく、幼いころに過ごしたあの町の匂いを彼女は思い出させるから。
七波の祖母は亡くなるまえ、意識が混濁 し、小学生だった七波を、自身のいちばん下の娘(皆実の妹)の友人だと勘違いをして、こういったのです。
「あんたぁ、どこへ居 りんさったん? なんであんたァ助かったん?」
そのことばが幼い七波の心に、ちいさな棘 のように突き刺さり、いまも抜けないでいるのです。
七波の弟の凪生は研修医となり、看護師の東子とひと足はやく再会を果たしていました。おそらく交際をしていたのでしょう。しかし、東子の両親から、凪生の故郷が広島であること、喘息を患 っていたことなどを理由に、別れるようにといわれていたのでした。
そのことを綴った手紙を、東子から借りた服のポケットから見つけた七波でした。
七波の母親は若くして亡くなっています。血を吐いて倒れているのを、小学校から帰ってきた七波が見つけたのです。母親は被爆者でした。
祖母は、息子の旭と彼女との結婚に、はじめはかたくなに反対していました。
「被爆者と結婚するのか」と。
自身も被爆者である祖母は、近しい人間が原爆のために亡くなるのはもう見たくない、といいます。夫を、娘たちを原爆のためにうしなった祖母のことばを、いったいだれが責めることができるでしょう。
たとえそれが差別にほかならないとしても。
差別、ということばは、この物語には登場しません。そのことばを用 いずに、すべてが表現されています。わたしは無粋な真似をしているのです。自覚はあります。
広島からの帰りのバスのなか、隣で眠る東子に、七波はひとりつぶやきます。
「母さんが三十八で死んだのが原爆のせいかどうか、だれも教えてはくれなかった。おばあちゃんが八十で死んだときは原爆のせいなんていうひとは、もういなかった。なのに、凪生もわたしも、いつ原爆のせいで死んでもおかしくないと決めつけられたりしてるんだろうか」
「わたしが東子ちゃんの町で出会ったすべてを、忘れたいものと決めつけていたように」
この物語にでてくるひとびとは、だれひとり、怨 みごとや泣きごとを口にしません。だれのせいとか、どうしてこんなことに、とか、だれかを、なにかを責めることなく、あるとすれば、ただ静かに、自分自身だけを責め続けているようで。
きれいごとではなく。なにもかもを呑み込んで、それでも生きてゆくしかない。人間のもつ強さを、しなやかさを、たくましさを、やさしさを、とても感じられるのが、こうの史代さんのまんがなのです。
七波の父親が、広島で最後に会っていた年輩の男性。だれだろう、と思っていましたが、見開きの七十ページと七十一ページの対比で、ああ……、とすべてが繋がりました。
ふたりが並んで座っていた、広い公園の川べり。
かつて、皆実が住んでいたバラック小屋がひしめきあっていた、まさにあの場所なんですね。その場所に、時を経て、皆実の弟である旭と、同じく年齢を重ねたあのひとが、穏やかに語らっている。
平和な風景。
けれど、その土地の、ひとびとの記憶は、絶えず受け継がれてゆく。
もうすぐ、八月六日がやってきます。
いまから、七十六年まえ。
まだ、なのか。
もう、なのか。
わたしは戦争を知らない世代の人間ですが、この『夕凪の街 桜の国』という物語に出会えてよかったと思っています。
かつてこの国が戦争をしていたこと、広島と長崎に原爆が投下されたこと。歴史の授業ですこし触れる程度で、ほかの歴史と同じく「どこかのだれかに起きたこと」といった認識でしかなかったことが、そこに生きたひとびとの生活を垣間 見ることで、「歴史」ではなく「現実」として捉 えることができるようになったと思うのです。
戦時中の広島の呉市を舞台にした『この世界の片隅に』もあわせておすすめしたいです。
今回は、とても印象に残っている、好きなまんがのお話をしたいと思います。
なるべくネタバレにならないようにとは思っておりますが、たぶん無理です。すみません。ガッツリ内容に触れますので、未読の方は、あらかじめご了承くださいませ。
たとえ内容を知ったあとではじめてこの本を読んでも、物語から受けとるものはすこしも変わらないし損なわれることはない、とわたしは思います。
こうの史代さんをご存じでしょうか。
『夕凪の街 桜の国』『この世界の片隅に』をお描きになったまんが家さんです。この二作は、原爆が投下された広島を主な舞台とした、戦争もののお話です。
ですが、戦争ものと聞いて想像されるより、きっとずっと遥かに、ほんわかしたやわらかな絵柄の作品なのです。
『夕凪の街 桜の国』は、『夕凪の街』と『桜の国』(一)(二)、ぜんぶで三つのお話に分かれています。
まずは、第一話、『夕凪の街』。
原爆が投下されてから十年後、昭和三十年の広島市が舞台となっています。
主人公は二十三歳の女性、平野皆実。会社員。原爆ドームから程近い「原爆スラム」と呼ばれた、当時の
そんななかでも、ひとびとは一見おだやかに暮らし、日常を取り戻しつつあるように見えます。
主人公の
ひそかに好意を寄せる相手から手を差しのべられて。
そのとき、皆実の目のまえには、十年まえの、あの地獄絵図のような光景が蘇ります。
「だれかに『死ねばいい』と思われたということ。そう思われたのに生き延びたこと。そして、そう思われても仕方のない人間に自分がなってしまったこと」
「おまえの住む世界はここではない、とだれかの声がする」
ほとんど呪いのようなそんな思いを、皆実はひとりで抱えていたのです。
彼女の母親は、十年まえの当時「まんまるく膨れてしまい目が見えなくなっていた」ため、あの光景を見てはいないのです。だから、皆実は、自分さえ忘れてしまえばそれですむこと、と自分に言い聞かせるようにして、違和感をやり過ごそうとしてきました。
戦争の、原爆の描写は、作中にほとんどありません。ほんの数コマです。
それでも、それなのに、すさまじいほどの恐ろしさを、悲しみを、無念を、そんなやり場のない感情の
ほんの三十ページほどの短編で、ほんわかとした絵柄と描写で、これほどまでに戦争の、原爆の恐ろしさを、その
どんな
そして、夕凪がやんでも、この物語は終わりません。
つづく第二話『桜の国』(一)。
こちらは『夕凪の街』から約三十年後、昭和六十二年、東京都中野区へと舞台を移します。
主人公は、小学五年生の石川七波。
『夕凪の街』の主人公であった皆実には、疎開先の親戚の石川家でそのまま養子となった弟が存在しました。その弟である
七波は、父親と弟、そして祖母との四人家族。
弟の
男勝りな性格で元気はつらつの七波は、野球チームに所属して活躍しますが、監督の不注意から顔面にボールを受けてしまい、大事をとって休憩することに。そのまま放置された彼女はこっそりその場を抜け出して駅へと向かいます。
そこでばったり出会ったのが、お隣さんで同級生の
東子から電車賃を借りて、さらには本人もいっしょに伴って、向かった先は、凪生の入院する病院。野球のユニフォーム姿で、しかもバットとグローブを持ったままお見舞いにくるあたり、豪快な彼女の性格が表れています。
祖母に見つかり、こってりしぼられたものの、祖母は七波が鼻血を出したことが気にかかるようで。
この『桜の国』(一)は『桜の国』(二)への導入部といったところでしょうか。
次は、この物語の結び『桜の国』(二)へと続きます。
こちらは平成十六年。七波は二十八歳になっています。父親と弟の凪生との三人暮らし。
ある夜、食後に桃を食べようとした七波は、冷蔵庫から桃がなくなっていることに気づき、なんの気なしに父親に「桃を食べた?」と尋ねます。すると父親は「ああ、食べたっけ、すまん」と謝り、いまから買ってくると、七波の制止を聞かずに家を出てしまいます。
思わずあとをつけた七波は、ふいに声をかけられます。幼馴染みの利根東子でした。七波たちは『桜の国』(一)の終わりで引っ越したため、東子との再会は十七年ぶりでした。
そうこうしているうちに、父親は駅でなにやら切符を購入しはじめます。あわててあとを追う七波。父親は、広島行きの夜行バスに乗り込みます。尾行を諦めようとする七波をひっぱって代わりに切符を買い、なぜか東子まで広島行きの夜行バスへと乗り込み、予想外の長旅がはじまります。
七波は、東子には会いたくなかった、と胸のうちで思います。東子自身がどうこうではなく、幼いころに過ごしたあの町の匂いを彼女は思い出させるから。
七波の祖母は亡くなるまえ、意識が
「あんたぁ、どこへ
そのことばが幼い七波の心に、ちいさな
七波の弟の凪生は研修医となり、看護師の東子とひと足はやく再会を果たしていました。おそらく交際をしていたのでしょう。しかし、東子の両親から、凪生の故郷が広島であること、喘息を
そのことを綴った手紙を、東子から借りた服のポケットから見つけた七波でした。
七波の母親は若くして亡くなっています。血を吐いて倒れているのを、小学校から帰ってきた七波が見つけたのです。母親は被爆者でした。
祖母は、息子の旭と彼女との結婚に、はじめはかたくなに反対していました。
「被爆者と結婚するのか」と。
自身も被爆者である祖母は、近しい人間が原爆のために亡くなるのはもう見たくない、といいます。夫を、娘たちを原爆のためにうしなった祖母のことばを、いったいだれが責めることができるでしょう。
たとえそれが差別にほかならないとしても。
差別、ということばは、この物語には登場しません。そのことばを
広島からの帰りのバスのなか、隣で眠る東子に、七波はひとりつぶやきます。
「母さんが三十八で死んだのが原爆のせいかどうか、だれも教えてはくれなかった。おばあちゃんが八十で死んだときは原爆のせいなんていうひとは、もういなかった。なのに、凪生もわたしも、いつ原爆のせいで死んでもおかしくないと決めつけられたりしてるんだろうか」
「わたしが東子ちゃんの町で出会ったすべてを、忘れたいものと決めつけていたように」
この物語にでてくるひとびとは、だれひとり、
きれいごとではなく。なにもかもを呑み込んで、それでも生きてゆくしかない。人間のもつ強さを、しなやかさを、たくましさを、やさしさを、とても感じられるのが、こうの史代さんのまんがなのです。
七波の父親が、広島で最後に会っていた年輩の男性。だれだろう、と思っていましたが、見開きの七十ページと七十一ページの対比で、ああ……、とすべてが繋がりました。
ふたりが並んで座っていた、広い公園の川べり。
かつて、皆実が住んでいたバラック小屋がひしめきあっていた、まさにあの場所なんですね。その場所に、時を経て、皆実の弟である旭と、同じく年齢を重ねたあのひとが、穏やかに語らっている。
平和な風景。
けれど、その土地の、ひとびとの記憶は、絶えず受け継がれてゆく。
もうすぐ、八月六日がやってきます。
いまから、七十六年まえ。
まだ、なのか。
もう、なのか。
わたしは戦争を知らない世代の人間ですが、この『夕凪の街 桜の国』という物語に出会えてよかったと思っています。
かつてこの国が戦争をしていたこと、広島と長崎に原爆が投下されたこと。歴史の授業ですこし触れる程度で、ほかの歴史と同じく「どこかのだれかに起きたこと」といった認識でしかなかったことが、そこに生きたひとびとの生活を
戦時中の広島の呉市を舞台にした『この世界の片隅に』もあわせておすすめしたいです。