第29話 幸福の自己決定権

文字数 1,098文字

 ――地獄への道は善意で舗装されている。(ヨーロッパの(ことわざ)



 あるカルト宗教が、信者に多額の献金をさせていたことが判明した。ワイドショーでは、連日この問題が取り上げられた。多くは否定的な意見だったが、あるテレビタレントが「この宗教で幸せになった人もいる」と宗教団体を擁護する発言をして炎上した。

 ネットにはこのタレントへの批判が溢れた。
 しかし実際に、宗教による洗脳被害に限らず、ギャンブルやアルコールなどの依存症、あるいはトラウマに等よる精神の異常状態、または経済状況が切羽詰まって判断力が低下している人など、

ケースは多々あるのだ。
 これらの人々は、往々にして不幸せな状態を幸せと誤認していると言える――ある心理学者の言葉が、合理性に基づいた

人の意思決定をどうするべきかという問いを社会に投げかけた。

 さらに、他人の不幸に依拠した幸福を選ぶ人――つまり、自分の幸福のために他人を不幸にする、つまり犯罪行為に手を染める人々の問題も、合わせて遡上にあげられた。

 目指すべき幸福のありようが分からない人への対処法についての議論がヒートアップしている丁度その同じ時期に、AIが驚異的な進化を遂げ、人間と機械のインターフェースが飛躍的な向上を遂げた。

 この二つの流れが合わさって、一人一人異なる「幸福の定義」という膨大なデータを、量子コンピューターを使って、数値化、分析、統合し、「全体幸福=

」として見える化するシステムが開発された。

 シミュレートにより作り出される「社会と調和した幸福=全体幸福」こそが、社会と健全な繋がりを保ちつつ、個人の幸福を獲得できる、目指すべき幸福だ!
 簡単に答えの出ない議論に疲れた人々は、AIが作り出したお手軽な結論に飛びついた。そうして、全ての個々人がシステムが提示した行動をとることが望ましいとされた。

 その全体幸福のシステムに異を唱えた人々は社会からはじき出され、社会不適応症患者として治療を受けることになった。

 ここにも一人、そんな患者がいた。
 患者は、傍らにいた看護士に言った。

「看護士さん、私、甘いものが食べたい」
「だめですよ。あなたは糖尿病なんですから甘いものを食べると病状が悪化してしまう。それは医療費の無駄遣いに繋がり、全体幸福に反する行為なのよ」
「でも、好きなモノを食べられないのは不幸でしょう。私は甘いものが食べたいんです。甘いものを食べることが私の幸せなんです」

 看護師が、笑顔で患者に言った。

「それは幸福じゃなくて、

よ。お薬、増やしておきましょうね」

(終わり)


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