第11話 種の保存

文字数 1,249文字

 シャンデリアが輝くホテルの大宴会場では、世界各国から集まった学者たちが、先ほど行われていた基調講演の内容とその発表者(スピーカー)を酒の肴に、盛り上がっていた。
 特に人気があったのはX氏で――と言ってもむしろ悪い方の人気だが――彼の発表した学説への批判と反論と悪口とで、会場は大いに盛り上がっていたのだ。

「イグ・ノーベル賞は確実じゃないか?」
「それすら無理だろう」
「ヤキが回ったんだじゃないか」
耄碌(もうろく)したんだろう、いい年だし」

 パーティ会場の人々が酒のグラスを片手にさんざんにけなしたX氏が学会で話した内容はこうだ。

――利他的行動というのは、人間のみならず幾つかの動物の行動特性として見受けられる。それは、種を保存させようという本能から生まれるのだ。つまりモラルとは、集団としての「種の保存」の本能から生まれる行動様式なのだ。

 しかし、本来備わっているはずの、その行動様式が現代社会において十分に発揮されていない。それは、経済の二極化により、分断の意識が強まっているからだ。それはいわば、自分を助けてくれない、助けあいを行わない人類という種そのものへの否定なのだ。放っておけば、社会システムの機能不全を起こす。

 この状況を変えるには、「人類という

を最優先に考える遺伝子情報」を強く作用させるように、地球規模で遺伝子操作を行えばいい。例えば、水道水や空気に遺伝子変異を引き起こす物質を混ぜるなど――

 しかし、みなが、こき下ろした彼のアイデアについて、一人だけ感心して聞いていた人物がいた。まだ若いが優秀な、いわゆる2000年代生まれ(ミレニアル)世代の理想主義的な若い科学者だ。彼はこの学説に大いに影響を受け、こう考えた。
“僕がこのアイデアを実現させよう”と。

 彼は大学の研究室で一人こっそりと研究に打ち込んだ。
 人に言えば、協力どころか笑いものにされ、予算を削減され、最悪は研究の中断を余儀なくされることは予想できたので、誰にも言わず、研究内容をひた隠しにして、昼間はほかの仕事をし、夜間に残業をしている風に見せかけて、誰もいない薄暗い研究室でひとり実験を続けた。
 そして、とうとう彼は研究成果を完成させた。

――10年後。世界は混乱し、犯罪が飛躍的に増加していた。

 個体としての

のために、より良い配偶者を求めて、恋愛や痴情のもつれによる犯罪や事件が多発したのだ。
 経済の二極化の上に性の二極化が加わり、混迷の極みになった世界を見てX氏は自分が10年前に発表した学説の内容を後悔したが、もう後戻りすることはできなかった。
 この世界を実現してしまった、かの若い科学者も、痴情のもつれによる犯罪に巻き込まれて亡くなり、この呪いのような種の保存のための遺伝子の強化を止めることはできなくなっていたのだ。

 結局、各個体の遺伝子の保存欲求としての本能と、種としての保存本能――つまり他の個体への利他的行動――は、

ということを証明してしまった壮大な実験結果は、その本質を誰にも気づかれることはなかった。

(終わり)
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