第41話 新しい介護様式

文字数 2,282文字

「ポポン、ご飯だよー」

 私は食事トレイを片手にポポンの部屋に入る。

 ポポンは今日もベッドの上でぽってりと丸っこい体を横たえている。ポポンは、自分の身体をほとんど動かすことができないが、私の姿を認めると「みゅ~ん」となんとも可愛らしい鳴き声を出し、頭の左右から突き出たまるっこい耳をピコンピコンと動かす。先月からは「ぴぴっ」という鳴き声も加わった。そのうち簡単な挨拶も覚えさせる予定だ。

「あ」

 大便の匂いがした。うっかりしていた。
 私は急いでヘッドセットの匂い変換機能をオンにする。たちまち、匂いは金木犀の香りになる。かわいいポポンの排泄物は、人間の大便の匂いなどではないのだ。あくまで、さわやかな金木犀の香りでなければならない。

 私はオムツ交換を先に済ませることにした。
 いったんキッチンに戻ってトレイを置き、洗面所に行って使い捨てのビニール手袋をはめ、交換用の新しいオムツとウェットティッシュを持って再びポポンの部屋に入る。補助マニュピレーターを使って、ポポンのぽってりと柔らかいからだを持ち上げ、尻を拭きあげてオムツを取り換えてあげる。

「はい、すっきりしたねー」
「みゅ~ん」
「じゃ、ご飯にしようねー」

 私は使用済みのオムツと汚れた手袋とティッシュを持って再び洗面所に行き、汚物入れにまとめて汚れ物を放り込み、手を洗う。暑いので、一旦ヘッドセットを取り、額の汗をぬぐう。それから、改めてトレイを持って部屋に入る。
 
「あ」

 いけない、今度はヘッドセットを付けるのを忘れていた。

 そこには、ポポンはいなかった。代わりに老婆が一人、ベッドの上に寝ていた。

※   ※   ※

 少子高齢化が進み、介護人材が圧倒的に不足している上に、海外からの労働力も見込めなくなっても尚、政府は実質的な負担を国民に押し付けた。「根性論」をマイルド化した、その延長でしかない「気の持ちよう論」で全て問題に対処したことにして。

 ――子どもの声はうるさくありません。
 ――子育ては負担ではなく楽しいものです。
 ――老人介護には他者への奉仕という喜びがあります。
 ――キツイ、嫌だ、汚いと感じるのは、

です!

 そうしてダメ押しで不満を――特にケアワーカーとして無料労働搾取され続けてきた女性からの不満を――封じるためになんとか捻り出したのが、この介護時の負担軽減のためにゲーム性を付加したヘッドセットだ。AR(オーグメンテッド・リアリティ)付きで、ヘッドセットのアイグラスを通して視ると、老人の姿には熊や猫、ファンタジー系のクリーチャーなどのかわいい姿を上書きされ、耳元の指向性スピ―カーからは声ではなく、変換された鳴き声が聞こえ、排泄物の匂いまでも鼻の周りに備え付けられた特殊なマイクロ粒子放出機で変えられる。食事のケアや排泄物の処理などを行うとポイントがたまり、表示されるアバターに、おリボンやキラキラ・エフェクトを付けられる。
 ケアする人の負担軽減と、される側の幸せの双方を考えて開発された「新しい介護様式」。一般受けしそうな目新しいネーミングと共に発表され、政権寄りのメディアによって、拍手喝さいとともに華々しくデビューした。

 実際に装着すると、温暖化により酷暑化が進む夏場は蒸れと暑さがひどいが、それ以外の時期は案外、重さや圧迫感といった身体的な負担は少ない。何より、精神的な負担が減る。
 実際、介護施設では、
 ――悪態をつかなくなった。
 ――以前よりこまめに見てあげられるようになった。
 ――優しい言葉をかけられるようになった。
などの声が上がっているそうだ。

 私のような訪問介護職員の間でも、評判はいい。一部の人は「人間をこんな風に扱うなんて」と言っていたが、そう言う人はたいてい介護の仕事をしていない人たちだ。弁護士とか、文化人コメンテイターとか。
 実際に現場にいる人は、目の前の問題さえ、文字通り

、場当たり的な施策で自分たちの首を絞めている事にだって目をつぶることができるのだ。

※   ※   ※

 ポポンに食事を食べさせ終えた私は、ほぼ空になったトレイを持ってキッチンへ戻り、ヘッドセットを外した。

 食器を給食センターに戻す前に、ざっと洗い流す。部屋の掃除の間はテレビをつける。これくらいは、介護人の自由にしていい。

 テレビの中のコメンテイターは、この先、ヘッドセットの配布すら維持できなくなるような、より一層の経済的な凋落がこの国に訪れると言っている。

 もし、このヘッドセットが無くなったら、どうなるのだろう。
 せっかく、先月新しくダウンロードした可愛いアバターにしたのに。来月には新しい鳴き声とキラキラエフェクトをダウンロードする予定なのに。

 だけど、私にはどうしようもない。

 小学生のときからヤングケアラーとして介護しかしていないのだ。勉強する時間なんてなかったし、他のことは何もわからない。私にできること、描くことができる未来は、介護ポイントをいっぱい稼ぐことくらいだった。そうすれば、介護の仕事に優先して就けるから。

 私にできるのは、せっかく溜まった介護ポイントも、新しくダウンロードしたアバターも、奪わないでほしいと祈ることだけ。私には、他に何もないのだから。

 嫌な現実を認識しなくてすむように、テレビを消す。ポポンの部屋から声がするのに気づいた。現実を認識させる声が。

 しまった。テレビの音を大きくし過ぎていたか。どれぐらい前から呼ばれていたのだろう。

 私はいそいでヘッドセットを付ける。

 部屋のドアを開けると、ポポンは私の名前を呼ぶ。みゅいーん、という鳴き声で。

(終わり)
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