第46話 宗教大博覧会

文字数 6,263文字

「パンフレットだけじゃ受け取ってもらえないから、マスコット付きキーホルダーと缶バッジも一緒に手渡すようにしてね」
「はい」

 重たいパンフレットの束で既に両手は塞がっているのに、さらに缶バッジの入った紙袋とキーホルダーの入ったビニール袋とを差し出される。私はパンフレットの束を落としそうになりながら片手で抱え直して、二つの袋を受け取った。
 しかし……この状態で、どうやって手渡すのか。
 私の頭に浮かんだ疑問にはお構いなしに、僧衣のおじさんは注意事項を続ける。
 まあ、そうだよな。時間を買った作業員には、しっかりやるべき仕事をやってほしいものな。

「各ブースごとに決められた枠から外側に出ちゃいけないから、気を付けて。じゃ、頑張ってなるべく多く渡してね!」

 おじさんは、そう言うと忙しそうにせかせかとバックヤードに入っていってしまった。

 私は背後に広がるブースの向こう側の賑わいに目を向けた。
 高い天井からは、「文化庁主催 宗教大博覧会」と印字され、金糸で厳かに飾り付けられた垂れ幕がどーんと吊り下げられている。
 会場の入り口には、デカい声で「安心、安全な宗教の博覧会です! ぜひお立ち寄りください」とメガホンで叫んでいる女性がいる。

 その声に惹かれて、というよりもSNSでの「有名人がやってくる」という誘い文句に誘われてだろう、大きなイベント会場は結構な人出だ。

 政府によるお墨付きを得た宗教団体の博覧会なんて珍しいから、物見高さで来ている人もいるのだろう。まあ、来た人が何を目的にしているにせよ、配布物を配るアルバイトとしては、ノルマを達成しやすいので、人が多いのは結構なことだ。

「すいません」

 ぼーっとしていると、いきなり声をかけられた。年配の女性の二人連れだ。

「会場のマップとかあります?」
「あ……えーと、ちょっと待って下さい」

 パンフレットと紙袋を抱えたまま、私はブースの奥にいる、僧衣を来た若いお兄さんに聞く。
「『あの、会場マップを下さい』ってあちらの二人連れの方が……」

「ああ~……スタッフの分しかないから、これ見せて説明だけしてあげて。どうしても欲しかったら、左手奥の総合案内にあるはずだから」
と、マップを一枚だけ渡された。
 パンフレットと紙袋とビニール袋をブースの長机に一旦置いて、マップを受け取り、女性たちの元へもどる。

「すいません、マップはうちにもないんですよー。これ、うちのスタッフ用のやつなんで……。入口から見て、右側二列が仏教系、左側がキリスト教系の団体で、奥にそれ以外……イスラム教系とかですね。で、ここ、奥の左側に総合案内があるので、詳しいことはそちらで。これと同じマップも、ここで貰えるので」

「まぁ、ご親切にどうも。じゃ、ここは、仏教系なのね」
「はい、あ、良かったらパンフレットだけでも。あと、もっと詳しい話は、奥にスタッフが……」
「ああ、いえいえ。一通りざっと見てから……」
「遠慮なさらず! パンフレットのほかに、缶バッジとキーホルダーも無料でお配りしているので」
 大急ぎで、奥から二人分のセットを取ってきて、二人に手渡す。
「お待ちしておりますので」
 愛想良く二人を見送り、ブースの奥に戻る。
 先ほど放り出すように置いたパンフレットと袋を長机の端に寄せ、パンフを数部、缶バッジとキーホルダーも数個だけ持って、会場内をぶらぶらしている人に片っ端から押し付けていく。

「これ、よろしかったらどうぞ」
「グッズ無料配布中でーす」
「無料でお配りしています」

 グッズだけ受け取って、パンフレットだけを残そうとする人にも、なんとかパンフを押し付ける。こっちがメインなんだよ、バカヤロー。

 どこかの宗教団体が、不織布でできたロゴ入りバッグを配っているせいか、受け取って、その中にぽいっと放り込んでくれる人が多い。どこの宗教か知らないが、ありがたい。マジでホトケだ。

 と、思ったらマナーのなっていない奴もいる。
 若い男二人連れが、向かいのブースで配っているリーフレットを、ぽいっと捨てた。お前ら、バチが当たるぞ。

 と、斜め向かいのブースから僧衣のお爺さんが出てきて、注意をした。最近はこういうのをちゃんと注意できる人、少なくなったよな。じーちゃん、偉いぞ。
 が、注意された、茶髪のニキビ跡が汚い男は、舌打ちしてシカトを決め込む。

「待ちなさい!」
「ああ~ン!? あんだよ、ジジィうっせぇな!」

 イキがる若造が、じいさんに詰め寄り、手をあげようとすると、ブースの奥から若い僧侶たちがわらわら出てきて、ざざっ、とじーちゃんを囲むようにガードする。

「あなたたち、ここは自分にとって不要なものをぽいぽいっと、捨て散らかしていい場所ではありません。それは、あなたのおうちの中でおやりなさい。ここは、公共の場なのですから。読んでみて、やっぱりいらないと思ったら、もとの場所に返しなさい……」

 物を大切にとか、場を清潔に保つことの重要性とか、延々と続く爺さんの説教の間、周りを囲む若い僧侶たちはみな、ぴっ、と背筋を正して合掌し、いかにも有難いという感じで話を聞いている。
 すげぇ。統率のとれた坊主集団の圧、高い。

 チンピラ男は、爺さんの説教と坊主の集団圧に負けて、しぶしぶという感じだが、一応大人しくリーフレットを拾って去っていった。

 これぞまさに、宗教博覧会の真骨頂だ。
 あのチンピラみたいに、世の中には「なぜ」「どうして」「どのようにすべきか」などの論理をぶっとばして、「やってはいけないこと」を

が一定数存在するのだ。
 しかしそういう人間ほど、ルールを教えられても素直に従わない。むしろ反感を抱き、さっきのチンピラみたいに反発する。自分が知的下層階級(ローワー)であるという認識がある分、コンプレックスを刺激されて、上位にいる者への敵愾心を感じやすいからだ。

 しかし宗教があると、ルールに従うことに「信心深い=善」という

を担保することになるので、不満を抱かせずに、むしろ積極的に社会の規範に従わせてることが可能になる。いわば、ルールに従うインセンティブとして、<善良な社会の一員>という立ち位置を担保するという効果が、宗教にはあるのだ。

 

としての宗教――これが上手く機能すれば、犯罪が減り、自分自身も犯罪やトラブルに巻き込まれる確率が減る。だからみんな、バカバカしいとは思いながらも、社会に居場所のない誰かさんのために、国を挙げての宗教推しに付き合っているというわけだ。

 小さな小競り合いとトラブルと収束が繰り返され、小一時間ほど経ったところで、押し付けられたパンフの山は、かなり減ってきた。ブース内も賑わっていて、数人が僧衣のお兄さんによる説明――来歴や他の仏教系団体との違い――を聞いている。

 と、最初に私にパンフを押し付けたおじさんがやってきた。ブース内の賑わいと残り少なくなったパンフレット類を見て、ご満悦の様子だ。
「にぎわっているねぇ。うんうん。ご苦労さん。少し、休んで来てもいいよ。奥に休憩所があるから」と言ってくれた。

 私はお礼を言って、遠慮なくバックヤードの奥にある休憩所に向かう。立ちっ放しで脚がくたびれていたし、喉も乾いた。
 休憩所で自販機のジュースを飲みながら、脚を揉んでいると、スーツ姿のおじさんの一群がいた。スーツの襟についたバッジから、このイベントを仕切っている大手広告代理店の人たちと知れた。

「大臣の控室、ご用意できました」
「ああー良かった。もう~視察に来るなら前もって言ってくれないとねぇ」
「急にスケジュールが空いたから、一応現場を見ておきたいって」
「まったく……」

 どうやらお偉い政治家先生が急に来ることになったようだ。現場の人はその対応に追われるのだろう、ご苦労なことだ。
 こういうイベントを仕切るのも大変だなと思いながらペットボトルのジュースをちびちび飲んでいると、代理店の人だか政治家の関係者だかわかんない人に「すいません、ここちょっと空けてもらえます?」と座っていた席を奪われてしまった。
 バッグとペットボトルを持ってうろうろしていると、トイレの傍のベンチから「こっち、空いてるよ」と声がかかった。親切そうなお婆さんが手招きしている。私はありがたく、お婆さんが開けてくれた隙間に腰を下ろした。

「ありがとうございます」
「いいのよぉ、困ったときはお互いさまなんだから」
 親切そうだけど、いかにも話し好きそうな陽キャのオバサンって感じの人だ。正直言うと、ちょっと苦手なタイプ。私はなるべく視線を合わせないように、ジュースを飲みながら急に慌ただしくなってきた人の動きを眺めていた。
 と、どっかの宗教の金ぴかの僧衣のお爺さんと、スーツのおっさんが大勢の人を引き連れて入ってきた。

「いやぁ、政府としても、宗教家の皆さんには期待しているんですよ。勤労の推進/法律順守の精神を敷衍(ふえん)/自殺対策に犯罪対策、国力を増強するために必要な精神面での要素を、宗教の力で増進していただきたい」
「まぁ、正直申しまして、どの宗教団体も、危機感を持っていたんです。
 正当な宗教とは言い難い、いわゆるカルトだけじゃなく、推しカルチャーやワッショイビジネスなんかに、お金が流れてしまって、どの宗教団体も内情は苦しいものになってきています。ここで政府からの後押しがあると、我々としても一般の方々に布教をしやすくなる」

「ねぇねぇ」
 お婆さんが袖を私の引っ張る。

「ワッショイなんとか、って何?」
「あー……」
 お婆さんくらいの年齢なら、知らなくても無理はない。ワッショイビジネスは、最近使われ始めた、いわゆるネットスラングだ。

「『弱者のクラスター化問題』って聞いたことあります?」

 お婆さんは、首を横に振る。

 だろうな。もともとは、なんとかいう社会学者が、「人生に絶望した人ほど強者によって管理されたいと願うようになる、そんな人たちを似非(えせ)ものの一体感で取り込むカルト的手法が問題だ」とか言って生みだした言葉だ。
 私は、なんとかお婆さんにもわかるような説明を試みる。

「SNSとか、わかります?」
「ああ、なんか、ネットでいろんな人とやりとりする奴ね」
「そうです。文章を投稿して、イイネとか返信とかをやり取りする奴。
 その中で、中心となる人、つまり教祖みたいな人が、金も恋人も友人もいなさそうな人に『ワッショイって言えばいいんだよ。誰でもおトモダチができるんだよ』って教えこむんです」
「ワッショイ? なんか、おまじないなの?」
「っていうか、仲間うちの符丁(ふちょう)みたいな感じですね。『政権与党ワッショイ、愛国ワッショイ。弱者男性万歳、クソフェミ●ね、ワッショイ』って言えばいいんだよ、って教えて。それで、教えられた通りに相手にあわせて『ワッショイ、ワッショイ』って言うと、同じような境遇、考え方の人がイイネをくれるから、『わー! イイネがいっぱいもらえた』って喜んじゃうわけです。
 で、教祖が『ほーら、つながりができたでしょ? 君は僕たちの仲間だよ』って言うと、孤独感を募らせた社会の敗残者は『わーい。ワッショイ、ワッショイ。ボクにもイイネをくれるおトモダチができたー。わーい』って喜んで、教祖の言いなりになっちゃうわけですよ」

 頭が悪くて経済的にも社会的にも底辺な上に、自分の問題や不満すらも言語化できない人を信者にする、まさにカルト的なビジネスだ。
 倫理ではなく、閲覧の数値(インプレッション)だけで表示順位が決まる機械の仕様とも、もともと自分と他人の区別がつかない日本人特有のメンタルの弱さとも相性が良く、あっという間にこれらの教祖たちは差別と呪詛をまき散らし、承認欲求と劣等感(コンプレックス)をこじらせた人たちに、他者への攻撃と排斥を通じて社会的底辺の

という共同幻想を植え付け、複数で共有させることで、政界にまで進出してしまった。

 たぶん、与党がこんな宗教大博覧会を開催してまで、宗教を国民に押し付ける理由はこの辺りだろう。
 それに、少子高齢化と科学水準の上昇とでジリ貧になっている宗教団体の利害が一致したというところか。さらには、大規模イベントで儲けたい広告代理店が間を取り持つ。
 こうやって、見えない権力構造のなかで、いろんなことが決められて税金が吸い取られて、さらに社会的弱者と強者の分断が進んでいくんだろう。おじさんたちのガハガハ笑っているのを眺めて、私はぼんやりと思う。

「うーんなんだかよくわかんないねぇ」

 隣では、お婆さんがしきりに首を捻っている。そうだろう、お婆さんの理解できる次元の話じゃない。

「要は、新しい宗教みたいなのが、インターネットで広まった、ってことかい? 私はそういうのはねぇ……やっぱり昔ながらの神様・仏様の方を信用するけどねぇ。あんた、どっか特定の宗教を信じているの?」

 宗教二世で、祖父母がなんとか工面してくれた大学資金を上納金として親に使い込まれた身としては、宗教なんてクソだと思う……とは人の良さそうなお婆さん相手に、言いにくい。

「うーん……特には。お婆さん、あるんですか?」
「あるわよー」
「へぇー」
「あたしぐらいの年になるとさ、人生でいろいろ経験しているからねぇ。嫌なこととか裏切られたりとか、ね。いろいろ。でも、生きていくには、やっぱり何か信じられるものがないとねぇ」
 そう言って、ポケットから飴を二つ出して、一個を私に手渡し、もう一個の包み紙を開いて口に放り込んだ。
「……そうですね」
 私は貰った飴の包み紙を見ながら答えた。大手菓子メーカーの、ひと袋百円ちょっとのものだ。それでも、バイトで食いつないでいる身には貴重な甘味だ。

 私に一番必要なのは、神様、ホトケ様なんかじゃなく

だ。
 終身雇用による最低限の生活と自尊心の保証とか、女叩きをして票や金を集めるクソみたいな輩をきちんと処罰する司法とか、汚職がバレても税金を身内や親族の会社にプールしても「丁寧な説明」とうす笑いで誤魔化したりしない政治家とか、そういうものだ。

 目の前の代理店のおじさんたちを見る。
 この人たちだって、非正規雇用で、信じられるものなんかなくて、生活がいっぱいいっぱいだったら、こんな風に明るく暢気(のんき)にガハガハ笑ってなんかいられない。

 オバちゃんは、飴の包み紙をくしゃくしゃと丸めてポケットに入れると、「じゃ、そろそろ労働に戻らないとね」と言い、存外シャキシャキした足取りで歩み去って行った。

 私は貰った飴を口に放り込んで、再びイベント会場に向かった。途中でちょっと振り返る。目立たぬように。
 先ほどまで私が座っていた椅子の下には、押し込んだ私のバッグが残されている。
 先ほど、お婆さんと話しながら、バッグに手を突っ込んで起動させた爆弾がさく裂するまで、あと五分くらいだろう。

 ネットの情報を頼りに、素人が手に入る材料で作ったものが、どれくらいの爆発力を有するかはわからない。
 それでも、政治家のおじさんや宗教団体のお偉いさんに多少なりとも被害が出れば、少しは何かが変わるかもしれない。まったく予定も予想もしていなかった政治家の来場は、実際、神様のご加護とかなのかもしれない。

 もしも、うまく爆発して、さっき見た政治家や広告代理店のおじさん達に少しでもダメージを与えられたら、少しは神様を信じてもいいかな――そんなことを考えたとき、後ろから轟音と共に突き上げるような衝撃を感じた。

(終わり)
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