56.警備室/決着

文字数 4,740文字

 カレンが、幸田を後部座席に座らせている慧子に声をかけた。
「慧子、私は地下に戻る。銃をちょうだい」
 慧子が、幸田を抱きかかえたままカレンを振り向いた。
「カレン、何を勘違いしているの? あなたは、これからアメリカ大使館に行って、大使館経由で、DCISとFBIにご家族の保護を依頼するのよ」
 
 カレンが驚く。
「慧子、私をアメリカ大使館に行かせるつもりだったの?」
「このクルマで連れて行くわけじゃないわよ。表の通りに出れば、タクシーがいくらでも捕まるから、タクシーで行って」
「私を生かしておいたら、また、あなた達を追うわよ?」
「今は、お嬢さんの命が先決。だから、あなたも、私と一緒に行動したのでしょう?」
 
 カレンが、一瞬まぶしいものを見るような目で慧子を見てから、言った。
「ここの地下なら、もっと速く保護を得られる手がある。リケルメの奴、警備室のパソコンで国防総省のネットワークに侵入していた」
「そうなの?」慧子は、警備室は案内されなかったから、そのパソコンは見ていない。
「あれに私のアクセス・コードを入力して職員家族保護ネットワークにアクセスする」
 
 国防総省の職員家族保護ネットワークは全米隅々の自治体警察にまでつながっているから、 最寄りの警察署からシンシアの家に警官が駆けつけるはずだ。そうなったら、リケルメの手下は、手が出せなくなる。その方が、大使館経由よりはるかに速く手配ができる。それはそうなのだが……

「カスミさんが偵察を終えた後に、地下三階から誰か上がってきているかもしれない。危険だわ」慧子が眉を寄せた。
「あたしが一緒に行くから、大丈夫だ」カスミが言った。
 カレンが驚いて、飛び上がりかけた。
「私があなたを殺したのよ。それなのに、私を助けてくれるの?」。 
「あんたを助けるんじゃない。人質の女の子を助けるんだ」

 カスミがきっぱり言い切ってから、少し、疑うような調子で続ける。
「あたしがあんたを助けると言って、実はあんたを殺すとでも心配してるのか? あたしは、そんなケチな仕返しをする人間じゃない。おっと、間違えた。そんなケチな霊魂じゃない。あんたを殺すのは、また別の機会のお楽しみにとっておく」
「カレン、手伝ってもらいなさい。この子は、助けると言ったら、必ず助けてくれる。私が保証するわ」
 と慧子がカレンを力づけるように目を向けた。
「はい、これ」と言って、慧子は、マスムラから引き取った拳銃と予備の弾倉二つをカレンに差し出した。

「慧子さん、行くわよ。急いで幸田君の手当てをしないと」
「M」が運転席から声をかけてくる。
「カスミさんは、私達の居所を探せるわよね」と「M」に訊かれて、カスミが「もちろんです。霊魂ですから、地の果てまでも追っていけます」と答えた。
 
 慧子はカレンの身体を抱き寄せた。両腕に力を込めて
「グッドラック」
 と言ってから身体をいったん離し、改めて、カレンの額に軽く頭突きをくれた。そして、カレンに背を向け、慧子はクルマに飛び込んだ。
「M」がクルマを急発進させ、カレンが非常階段に駆け込んで行った。

 地下二階に降りたカレンは、アオイから放電されて倒れている傭兵を扉までひきずっていって、指先を指紋認証画面に当てた。
「一気に警備室まで行くわよ」
カレンに言われて、カスミは警備室に移動した。今では廊下をたどらなくても、瞬間移動できるようになっていた。
 
 正面スクリーンの一部が扉になっていて、そこから初老の男性が出てくるのを見て、カスミは驚いた。カスミはカレンの脳に話しかける。
「男が一人いる!」
そう聞かされても、カレンは落ち着いていた。
「左の頬に傷跡がある、五〇過ぎくらいのやせた男じゃない?」
言われて男の顔を見直すと、確かに、頬を盾に切り裂くような傷跡がある。
「そうだ」
「そいつなら、予想済みだから、大丈夫」
「取り憑こうか?」

「いえ、私がそっちに行って、指示を出す」
 と言ってから、カレンは自分が命令口調になっていることを反省した。カスミは私の部下ではない。善意から手伝ってくれているのだ。

 カレンが警備室に入ると、正面スクリーンの中央にリケルメが立っていた。
「ブラックマン博士、君は必ず戻ってくると思っていたよ。そのために、私が国防総省のシステムに侵入しているのを見せておいたのだ」
「あなたのことだから、私をおびき寄せるエサにするつもりだと、思っていたわ」
「それでいて戻ってくるとは、いい度胸だ」
リケルメが、ヘビが笑ったような顔になる。

「もちろん、国防総省のネットに接続しているでしょうね」
「当然だ。そして、こちらの準備も万端だ」
リケルメが右手に包み込んだ発信器のスイッチを親指で押すと、正面スクリーンに芝生の庭が広がった。画面の奥からレトリバーと戯れながらシンシアが現われ、カメラに向かってくる。はじけるような笑顔の中で、メラルドグリーンの瞳がきらきら光る。

 リケルメがもう一度ボタンを押すと、画面に狙撃用スコープの十字線が現われ、十字線のセンターがシンシアの額に重なった。
「私がもう一度ボタンを押せば、シンシア・ブラウニングの頭は吹き飛ぶ。君が国防総省の職員家族保護ネットワークで彼女の保護を依頼する時間はない」
「では、あなたが、私を利用する時間も、ない」
カレンは、手にした銃を自分のこめかみに当てた。

「ははは」とリケルメが笑う。
「君が自殺して私の生体兵器事業を邪魔するなら、その報復に私は君の娘さんを殺す。君はお嬢さんを失い、私は貴重なビジネスチャンスを失う。お互いが最も大切なものを失うのは、最悪のシナリオだと思うがね」
「そう思うなら、私が死んでもシンシアを生かしておきなさい。そうすれば、私もあなたも、大切なものを失わずに済む」
「おいおい、私のビジネスを忘れてもらっては、困る」

「国防総省のシステムに進入して探してみなさい。私に取って替われる研究者は、何人もいるわ。私ぬきでも、あなたの生体兵器事業は成立する」
「私は、国防総省随一の美人、カレン・ブラックマン博士を事業パートナーにしたいのだよ」
「くだらない」と吐き捨ててから、カレンは、頭の中のカスミに話しかけた。
「あの男の親指をマヒさせておける? 三分間でいい」
「できる」
「お願いする」

 カスミはリケルメに取り憑いた。全神経を集中して、リケルメの右の親指の動きを止める。 神経の集中を乱さないよう、できるだけ静かに、カレンの頭に「止めた」とメッセージを送る。
 カレンは、こめかみから銃を離して、国防総省のネットに接続しているコンピューターに歩み寄った。
「ブラックマン博士、無謀なことは、止めたまえ。私の指が、今にもボタンを押したがっている」
 
 リケルメの脅しを無視して、カレンはコンピューターにアクセス・コードを入力してメイン・メニューを呼び出し、職員家族保護ネットワークを選んだ。
 シンシアとロバートの氏名と住所を入力する。承認の表示が現われるまでの時間が無限に長く感じられた。
 承認の表示が出た。画面が衛星からの映像に切り替わる。北カリフォルニアの一画がズームされ、カメラがぐんぐん地上に近づいていく。芝生の庭と、そこで戯れる幼女と犬が見えてくる。

 カレンが着々とコンピューターを操作し続けるのを見て、リケルメは、何とかボタンを押してカレンにプレッシャーをかけようとした。ボタンを押すと、狙撃手がシンシアの愛犬が射殺する段取りになっている。
 五歳の幼女を人質に取るのはリケルメの趣味ではなかった。まして、シンシアを射殺するなど、実は、考えこともない。

 だが、カレンを従わせるためには、彼女に恐怖を抱かせ続けねばならない。この段階で、娘の代わりに愛犬を射殺するだけでも、十分な恐怖を感じさせることができるはずだ。
 親指に力を込めようとして、リケルメは指の感覚が失われていることに気づいた。なぜだ? リケルメは発信器を右手から左手に持ち替えようとした。
 リケルメの動きを察したカスミは、リケルメの全身を金縛りにした。リケルメがうめき声を上げるのが聞こえる。

 カレンは、パソコンの映像を正面スクリーンに送った。スクリーンに青々した芝生の庭が広がるのとリケルメが足をもつれさせて横転するのが、同時に目に飛び込んできた。
 芝生の庭にパトカーが乗り上げ、警官が飛び降りシンシアを抱き上げる。別の警官が自動小銃を構えて周囲を見張る。警官がシンシアを車に乗せると、パトカーが後進で走り出す。
 もう一台のパトカーが駆けつけ、家の中に警官が飛び込んでいく。間もなく、ロバートと、 その母親らしき老女が警官に抱きかかえられるようにして出てきて、パトカーに乗せられた。 カレンの全身から息がもれた。

 カレンは銃を手に、転がっているリケルメに近づいた。
「カスミさん、ありがとう。もう解放していいわ」
縄で縛られたようにもがいていたリケルメが、身体の自由を取り戻して立ち上がろうとするのを、カレンは銃で制した。

「カスミさん、目を閉じて」
カレンは、頭の中でカスミに声をかけた。
「えっ?」
「見て欲しくないことが起こる。目をつぶっていて」とカスミに言い聞かせてから、カレンは、リケルメに銃を向けた。

「これは、サイード元少佐の分」
カレンは、リケルメの右の太ももに銃弾を撃ち込んだ。リケルメがうめく。
「そして、これは、田之上ミツキの分」
今度は、左ひざに一発。
「私を殺したいなら、さっさと殺したまえ」
リケルメが痛みをこらえて搾り出すように言った。

「あら、私は急ぐつもりは、全然ないわよ。あなたが言っていた『緩慢な死』というのを試すことにしたの」
と言って、右手を撃つ。
リケルメの目に初めて恐怖の色が浮かんだ。
「カレン、もう、止めて!」
突然、カレンの頭の中でカスミの泣き声がした。
「あら、カスミさん? 目を閉じているようにお願いしたのに」
「こいつを、殺すのか?」
「いいえ、殺さないわ。こいつは生かしておいて、色々話を聞かせてもらう。カスミさん、悪いけど、もう一度、こいつを金縛りにしてくれる?」

「ええ、いいけど」と言ってリケルメに取り憑いたとたん、リケルメの苦痛が伝わってきて、 悲鳴を上げてしまった。
「カスミさん、大丈夫?」カレンが尋ねる。
「大丈夫だよ、なんとかね。今、金縛りにする」
 カレンがリケルメのスラックスのポケットからハンカチを取り出し、それで、リケルメの口にさるぐつわをかませた。
「舌をかんで死なれたら、元も子もないからね。カスミさん、もう、こいつから離れていいわ」

 目の前でリケルメが撃たれるのを見て、廊下の惨状が思い出され、カスミは身体があったら吐きそうだった。
「カスミさん、大変な思いをさせて、ごめんなさい。でも、あなたがいてくれなかったら、私も娘も命がなかった。本当にありがとう」
 それは、カレンの口から初めて聞く、真心のこもった言葉だった。
「カスミさん、これでお別れね……」と言ってにっこり笑ったカレンの顔はハッとするほど、美しかった。

「あなた達と二度と会うことがないよう、心から願っている。慧子とアオイに、くれぐれもよろしく。幸田さんの無事を心から祈っているわ」
 カレンが、まるでカスミの位置がわかるみたいに、手を振ってきた。
「さようなら」と言い残して、カスミは、アオイたちのもとへと飛び去った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

山科 アオイ (17歳)


アメリカ国防総省の手で、放電型生体兵器に改造された17歳の少女。

直感派でやや思慮に欠けるところがあるが、果断で、懐が深く、肚が坐っている。

山科 アオイ は自ら選んだ偽名。本名は 道明寺 さくら。


両親とドライブ中に交通事故に遭う。両親は即死。アオイは、アメリカ国防総省が日本国内の山中深くに設置した秘密研究所で生体兵器に改造される。

秘密研究所が謎の武装集団に襲撃され混乱に陥った際に脱出。組織や国家に追われる内部通報者やジャーナリストをかくまう謎のグループに守られて2年間を過ごすが、不用意に放電能力を使ったため、CIAに居場所を突き止められてしまう。

幸田 幸一郎(年齢40台前半)


冷静沈着、不愛想な理屈屋だが、あるツボを押されると篤い人情家に変身する。

幸田幸太郎は偽名。本名は不明。


組織や国家から追われる内部通報者やジャーナリストなどを守る秘密グループの一員で、アオイのガードを担当する「保護者」。英語に堪能。銃器の取り扱いに慣れ、格闘技にも優れている。

田之上ミツキ(17歳)


アメリカ国防総省の手で、ターゲットの自律神経を破壊する「脳破壊型生体兵器」に改造された17歳の少女。知性に秀で、心優しく思慮深いが、果断さに欠ける。15歳までアメリカで育った。

田之上 ミツキは、本名。


両親、妹のカスミとアメリカ大陸横断ドライブ中に交通事故にあう。両親は即死。ミツキとカスミは生体兵器に改造されるために国防総省の特殊医療センターに運ばれるが、カスミは改造手術中に死亡。ミツキだけが生き残る。

国防総省を脱走したアオイを抹殺する殺し屋に起用されたが、アオイが通うフリースクールに転入してアオイと親しくなるほどに、任務への迷いが生まれる。

田之上 カスミ(15歳)


田之上ミツキの妹。ミツキと同時に人間兵器に改造される途中で死亡するが、霊魂となってミツキにとり憑いている。知的、クールで果断。肉体を失った経験からニヒルになりがち。


普段はミツキの脳内にいてミツキと会話しているだけだが、ここぞという場面では、ミツキの身体を乗っ取ることができる。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み