39. 慧子 vs リケルメ/人間
文字数 3,690文字
「どうぞ、こちらへ」と、オンナが赤いカーペット敷きの廊下を先に立って案内する。
慧子が通されたのは、ホテルのスイートルームを思わせる豪華な一室だった。壁全面をおおう遮光ガラスの前に痩身だが骨太そうな男性が慧子に背を向けて立っている。
「では、私は、これで失礼します」よく鍛えられたオンナが出て行った。
男が慧子に背を向けたまま、話し出した。
「この国の人々は、昔ながらの街並みを次々と破壊し、薄っぺらで、どれもこれも似たような高層ビルを建て続けている」
男は、そこでフッと息を吐き、こちらに身体を向けた。
「実に浮薄な国民だ。その上、健忘症ときている。自分たちが明治維新以来、アジア諸国に与えてきた損害を見事に忘れ去り、韓国、中国の半日感情を事実として認識することすら出来ない」
彫りが深く、渋みがあって、なかなかハンサムな初老の男性だが、目と口元にシニカルな雰囲気がある。
「おっと、日本人の君に、今の言い方は失礼だったかな?」
「私は、今は、アメリカ人です。一七歳までは日本人でしたが、その頃も、あなたと同じように感じていました。もっとも、当時は、近代史の研究者だった父の受け売りに過ぎなかったかもしれませんが」
「あぁ、アメリカ人。彼らは、鈍感で自己中心的で、話が行き詰まるとすぐに暴力に訴える。あか抜けない、野蛮な国民だ」
「その通りだと思います。その『あか抜けない、野蛮な国民』のために暴力の道具を作ってきたのが、元は『浮薄で健忘症の』日本人だった私です」
慧子は小さく微笑んでみせた。
「ほぉ」と、男が目を細めて慧子を見た。
「君と私は気が合いそうだな」
「でも、あなたは、新しい友人が欲しくて私をここに招いたわけではない。あなたの目は、私を何かに使いたくてうずうずしている目だ」
男は、人間を平然と道具扱いできる人間に特有の酷薄さを漂わせていた。もっとも、生体兵器などを作ってきた私も、同類なのだろうが。
「人に用件を持ちかけるなら、まず、名を名乗るのが礼儀でしょう。あなたは、いったい、何者ですか?」
「これは、失礼なことをした。私は、エル・リケルメ。エルとでも、リケルメとでも、好きに呼んでくれ。職業は武器商人だ」
「武器商人のあなたが、どうやって、国防総省監察総監の命令書を手下に持参させることができたのです?」
「ハハハ」とリケルメが笑った。
「私は、顔が広い。いたるところに、友人を持っている」
つまり、DCISまたは国防総省本体に、この男の息がかかった人間がいるということか?
「自己紹介が済んだところで、本題に入ろう。私は、君に、21091を商品として売り物になるようにして欲しい。できれば、21085も」
リケルメの言葉に、慧子は驚いた。
「まさか、あなたは、ミツキとアオイを捕獲したと言うのですか?」
「いや、厳密に言うと、まだだ。しかし、もうすぐ、二人は私の手に落ちる。そして、レノックス博士、君は、二人が武器の闇市場で高額で売れるよう磨きをかける」
慧子の身体の奥で怒りが火を噴いた。
「ミツキとアオイを商品として売るですって! そんなことは、絶対にあってはならない。いえ、原理的にありえない。アオイとミツキは人間です。私が誤って生体兵器の機能を与えてしまったが、そんなことで、二人が人間でなくなることはない。二人は今でも人間で、人間とは、誰の手によっても、売り買いされたり、利用されたりしてはならない存在です」
「ほぉ、生体兵器を作ることで人としての一線を越えたマッド・サイエンティストらしからぬ事をおっしゃる」
「一〇〇回過ちを犯したからといって、一〇一回目も過ちを犯す必要はありません。一回でも過ちを犯さずに生きられるなら、そうすべきです」
「白い紙が真っ黒になるより、一点でも白地が残っているほうがマシだ。そう言いたいのかね」
「そうです。『少しでも悪くない道を選ぶ』のが、私のモットーです」
「君のそのモットーと、国防総省の兵器開発者になったことは矛盾していると思うが」
「ええ、私は、道を誤りました。自分の研究のために国防総省を利用できると思い上がっていた。生体兵器の開発者になってしまったのは、私の傲慢と研究第一主義の報いです」
リケルメが動物園で珍獣を眺めるような目で、慧子の頭からつま先までを見渡した。
「君は傲慢であると同時に素直でもある。不思議な人間だな」
「私のことは、どうでもいい。アオイとミツキは、やっと、国防総省のくびきから解き放たれた。これからは、自由な人間として生きるのです」
「残念だが、二人は、もうすぐ私の手に落ちる。レノックス博士、君が何を望もうと、あの二人は人間ではなく兵器に戻るのだ。そして、兵器としての二人に磨きをかけるのが、君の仕事だ」
「断る」
「では、二人には死んでもらう」
「あの二人は、人間であると同時に、歩く兵器だわ。簡単に殺せる相手ではない」
「普通の状況では、そうだろう。だから、私は、彼女たちの暴力を抑止するために人質を取った。人質は、すでに、私の手の中にある。君は、アオイとミツキが人質を見殺しに出来る人間ではないことを知っているはずだ。そして、君も、アオイとミツキを見殺しに出来る人間では、ない」
「わかったわ。アオイとミツキの命を守るためなら、私はあなたの言うことを聞かないわけにはいかない。しかし」
そこで慧子は、語気を強めた。
「私がこれ以上、何をしようと、アオイとミツキは、生体兵器として期待された性能を発揮することは、あり得ない。アオイは強力すぎるエネルギーをコントロールすることができない。ミツキは、人殺しができる人間にはならない」
「本当にそうなのかな? レノックス博士、君は、二人の少女が兵器として実戦に投入されるのを防ぐために、わざと欠陥を放置したのではないか? ブラックマン博士、君は、どう思うかね?」
ブラックマン博士? カレンが、ここにいる?
「そうなの、慧子? あなたは、わざと手を抜いたの?」
続き部屋のドアをあけて、カレンが現れた。
「まさか! 手抜きだなんて、私の科学者としての名誉を損なうことを、私がするはずがない。それより、あなたは、ここで、何をしているの?」
「見てのとおりよ。この男に囚われている」
「何があったの?」
「エージェント・マスムラに裏切られた。私たちは、ミツキの所在を示唆するネット動画を発見して、動画が撮影された奥多摩山中に向かった。その情報をマスムラがこの武器商人に流し、私たちは、待ち伏せに遭った。八人の仲間が殺され、その中に、21081サイード元少佐もいる」
サイードが殺されたことを思い出すと、カレンは胸を引き裂かれるような気がした。サイードは、国防総省の兵器開発者としてのカレンにとっては兵器、道具とみなさなければならない対象だった。
しかし、カレン個人にとっては、間違いなく、人間だった。カレンに落ち着きと温もりを与えてくれる人間だった。
「サイード少佐が………」
慧子にとっても、放電型生体兵器の第一号であるサイード少佐は、特に思い出深い人間だった。彼の知的で落ち着きがあり、かつ温かい人柄に、初の生体兵器製造で緊張していた慧子は、どれだけ助けられたことか。
しかも、サイード少佐だけは、慧子がアオイの逃亡を助けたという噂が流れた後も、それ以前と変わらぬ態度で接してくれた。あのサイード少佐を、このリケルメという男が殺した。
「サイード元少佐は、犬猿の仲の君たち双方から慕われていたようだな。惜しい人物をなくして、残念だ」
リケルメがからかうような調子で言った。
慧子は、考えるより先にパンチを繰り出していた。
だが、慧子の拳は空を切り、リケルメに足をかけられ、無様に床に転ぶ羽目になった。
「レノックス博士、気をつけないと、メガネを壊すことになるよ」
リケルメの冷笑が降ってくる。
「慧子、こいつは、まだアオイとミツキを捕まえたわけじゃない。あなたは、まだ、こいつの不法な要求を拒むことができるし、合衆国のために、拒んで欲しい」
カレンが訴える。
「私よりはるかに合衆国に忠実なあなたは、どうなの? まさか、こんな野蛮人に協力しないわよね」
「私は、もう、人質を取られてしまった。こいつの要求を拒むことは、できない」カレンが力なく答えた。
「歩くアメリカ・ファースト」のようなカレンに合衆国を裏切らせるほどの人質とは、いったい誰だ? 慧子の記憶では、カレンは一人っ子で、両親を早くに亡くし、結婚もしていないはずだ。親友でもいて、それを人質に取られたのだろうか?
「レノックス博士、アオイとミツキは、間違いなく、もうすぐ、私の手に入る。君も、私の言うことを聞くしかなくなるのだよ」
リケルメが、蛇が笑ったらこんな顔になるだろうというヌンメリと冷酷な顔で慧子を見た。