54. 交戦/真犯人
文字数 2,917文字
地下二階では、傭兵の二グループが自律式の攻撃型ドローンに足止めされていた。エレベーターを強制停止させて侵入者を迎え撃つはずだったグループは、エレベーターからあふれ出たミツバチ型ドローンと交戦中だが、すでに半数を失っているようだ。非常階段で地下三階に降りようとしたグループの第一波一〇名が、地下一階から進出してきたミツバチ型ドローンに殲滅され、第二波は、ドローンと交戦している。
侵入してきたミツバチ型ドローンは機敏な動きで、たちまち個々の傭兵を包囲するので、同士討ちを恐れる傭兵たちはマシンピストルから銃弾を放つことができず、銃口を握って振り回してドローンを打ち落とそうとしている有様だ。
その間に、ミツバチ型ドローンに先導されたアオイと連れの男が非常階段を使って地下三階に到達してしまった。エレベーターに気を取られて警備室に設備オペレーター一名しか残さなかったのが失敗だった。非常階段の監視カメラにまで目が行き届かず、二人の侵入を許してしまったのだ。
しかし、リケルメを最も不安にしていたのは、地下三階の状況がまったく把握できないことだった。監視カメラ映像はすべてブラックアウトしていて、傭兵たちからの連絡もない。
手術室から廊下に出た慧子は、警備の傭兵まで含めてスタッフ全員が脱出トンネルに殺到しているすきに、廊下の端から端まで走って、監視カメラをすべて銃で破壊した。これで、リケルメは地下三階の状況をつかめなくなる。不安になって、きっと降りてくるはずだ。
ミツキを載せた手術台に戻った慧子に、手術台の柵に手をかけたカレンが薄ら笑いを浮かべて話しかけてきた。
「ここを脱出する絶好のチャンスなのに、指紋認証を破れないのが残念ね」
相変わらずイヤなことを言うオンナだ。
「ともかく、エレベーター前まで移動する。監視カメラを全部つぶしたから、必ず、誰かが様子を見にエレベーターで降りてくる。それがチャンスだわ」
「あらあら、大挙して降りてくるわよ。拳銃一丁で立ち向かえるかしら? そもそも監視カメラを撃って回った後で、弾が残っているのかしら?」
と言い終えたとたん、カレンの顔が歪んだ。口からうめき声がもれ、胸が波打つ。それが三秒ほど続き、カレンが「はぁ」と息をついて手術台にもたれかかった。
「この嫌味な女の頭の中で、『グジャグジャ、うるさいことを言うな』とたしなめてやった」
慧子の頭の中でカスミの声がした。
「それだけ?」と慧子が訊くと、カスミが「自律神経を、ちょっと、いじってやった」と楽しそうに答えた。この子を敵に回したら、さぞ恐ろしいことになるだろうと慧子は思う。
慧子達はエレベーター前に移動したが、エレベーターは地下二階で止まったままだった。地下二階というのがひっかかる。
「駐車場で火事が起こり、エレベーターが地下二階で止まっているということは、上から何者かが侵入してきた可能性がある」
カレンが真面目な口調で言った。
「あなたのお友達が助けに来てくれたのかしら?」と、今度は慧子が薄ら笑いを浮かべて応じた。
「慧子、あなたは、困ったことになるわよ」とカレンが皮肉な口調で返してくる。実に懲りない奴だと慧子は思う。
「確かに、ここでCIAと出くわすのは。私にとっては最悪のパターンね。だけど、人類にとっては、ミツキが武器市場で売り飛ばされたり、リケルメが新型の『脳破壊型生体兵器』を世界中にバラまいたりするより、ずっとマシだわ」
「ははは、『人類』ときた。笑わせてくれるじゃない』
次の瞬間、また、カレンの顔が歪んだ。
「カスミさん、この人は、こういう意地悪しか言わない人なの。その都度こらしめていたら、あなたが疲れちゃうわよ」
慧子は、わざと声に出して、言った。
カレンが苦痛の下から敏感に反応した。
「カスミって、誰よ?」
と、あえぎながら尋ねる。
「田之上カスミさん。ミツキさんの妹さんよ。今は霊魂なので、誰の頭の中でも入っていけるみたい」
カレンの顔から見る見る血の気が引いていく。
「田之上カスミですって! そんなこと、あるはずがない。だって、あの子は、改造手術中に死んだのよ」カレンが叫ぶように言う
「だから、霊魂だって言ったでしょ」
「科学者のあなたが霊魂なんて、非科学的なことを言わないでよ!」カレンが、ほとんど悲鳴に近い声を上げた。
「現在の科学が自然現象を全て解明していると考えるのは、科学者の思い上がりだわ」
「おい、お前、なんで、あたしのことを知ってるんだ?」
カスミの声が廊下に響いた。
その声で、慧子は、はっと気づいた。カレンの胸倉をつかんで、自分より大きなカレンの身体を胸に引き寄せた。
「カレン、あなた、私に隠れて生体兵器への改造手術をしたの?」
「だったら、どうなの。あなたがミツキを改造していた時、私は、20192番以降の『遠隔脳破壊型生体兵器』を担当することが決まっていた。そのために改造手術に慣れておく必要があった」
「だから、小手調べにあたしを改造しようとして、しくじったのか!」
カスミが怒鳴る。
「それがどうしたの? あなたはミツキよりずっと重態で、助かる見込みが小さかったから、私の試作用に回ってきたのよ」
慧子は、周りに鋭い殺気が立ち込めるのを感じた。ダメだ、今カレンを殺してはいけない。
「カスミさん、こいつを殺すのは待って!」
「なんでだ? こいつの試作品にされて、あたしは命を落とした!」
「気持ちはわかる。でも、今は、ダメ。こいつのせいで、罪もない女の子が人質に取られている。こいつを殺すのは、その子を解放してからにして」
「人質?」
「ええ、こいつの娘さん。こいつはとんでもない悪党だけど、娘さんには何の罪もない」
慧子は言葉に全身の力をこめた。
「ダメだ、その子には、こんな親を持ったのが不運だったと思ってあきらめてもらう」
「どうしてもカレンを殺すというなら、私を殺してからにしなさい」
慧子が語気鋭く言い返した。
カスミは驚いた。こいつは、お姉ちゃんと同じだ。人質の安全を確保するためなら自分の命を投げ出してもいいと思ってる。
驚いたのはカスミだけではなかった。カレンは、自分が知っている慧子とはまったくの別人が自分の前に立っているように感じた。
「慧子、あなた、本当に慧子なの?」
「信じられない? 無理もないわね。でも、これも私なの。あなたみたいな頭でっかちな人にはわからないでしょうけど、人間は複雑で多面的な存在なのよ」
その時、非情階段の方向からブーンという唸り音が聞こえてきた。慧子は音の来る方に目をむけ、黄色いミツバチが塊になって迫ってくるのを見た。いや、ミツバチがこんな所で群れをなしているわけがない。
「超小型ドローンの群れだわ。攻撃してくるわよ」
慧子は、カレンに警告した。