9. 消えない疑念/あきらめ
文字数 2,716文字
「博士、しつこいようだが、ミツキは、本当に、アオイに勝てるのか?」
「まだ心配しているのですか? 勝ちます。間違いない」
「しかし、ミツキは、精神的に相当参っているように見える。昨日の夕方、散歩に出ると言って出たまま、深夜まで帰ってこなかった。ミツキは体内細胞が電波アレルギーだから生体トラッキング・システムを装着していない。そのため行方がわからず、一時は逃亡したのかと思った」
「ミツキは、感じやすくて線が細いところはあっても、素直で実直な子だわ。あの子に限って、逃亡するなんてありえない。ただ、初めての実戦を前に動揺して、それを紛らすために外を歩き回っていた可能性はあると思う」
「あなたの後任のブラックマン博士は、2108シリーズの放電型生体兵器四機を全て投入して一息に押しつぶすべきという意見だった。私は、彼女の言う事にも一理あると思う。2108シリーズはみな実戦経験があるが、2019シリーズ初号機のミツキは、実戦経験ゼロだ」
「ブラックマン博士は、アオイの本当の破壊力を知らないだけよ。アオイが非接触放電で反撃してきたら、彼女と引き換えに、こちらの2108タイプのうち、少なくとも一人は、重大なダメージをこうむる」
マスムラが首をかしげる。
「しかし、シミュレーションでは、こちらは全く無傷でアオイを破壊できるという結果が出ている」
「カレン――ブラックマン博士―-は、単純に数字上の破壊力比較をしただけで、2108シリーズの貴重な証言を無視しているわ」
「攻撃準備に入った仲間から殺気が感じられるという話かね?」
「ええ。21081と21082が共同で暗殺作戦を行った時、お互いに、相手がターゲットに対して殺気を発するのを感じたと言っている」
科学者が「殺気」などと非科学的なことを言うと、マスムラは呆れる。
「しかし、その後、演習場で21081と21082に同時に攻撃準備をさせたところ、脳機能計測装置には、お互いに何かを感じ合っている記録は現れなかったのだよ」
「でも、その時も、二人は、お互いから殺気を感じたと言った。エージェント・マスムラ、私たちの科学は観測できる事象を基に成り立っている。私は、今の科学が自然現象のすべてを観測できているとは考えていない。科学を過信すると、大きな間違いを犯すことになる」
「およそ科学者らしくないことをおっしゃる」
「私は、科学者である前に人間、自然の産物なの。自然に対して畏敬の念を忘れたことはない」
慧子の意見はこうだ。四人の2108型がアオイの後方から放電攻撃をしかけようとすると、アオイは背後から殺気を感じて振り返り、暗殺者のうち少なくとも一人に対しては放電攻撃を返す。アオイは放電エネルギー量では他の2108型を上回っているので、アオイの反撃を受けた一人は深刻なダメージを受ける。
しかし、この意見に対してマスムラは疑問を抱いている。
「これも繰り返しになるが、アオイが非接触放電すると、ターゲットの周囲五メートル以内の人間に深刻なダメージを与える。2108型機が一般市民にまぎれてアオイを攻撃した場合、アオイは反撃をためらうのではないか?」
慧子が笑った。
「アオイは、自分の命が危うい時に周囲を巻き込むからと言って反撃をためらうような子ではない。容赦なく撃ち返してくるわ」
「暗殺者がミツキだと、何が違うのかね?」
「2109神経破壊型生体兵器のミツキが2108型と同じような殺気を立てるか、2108型の四人に確かめてもらったけど、誰も殺気は感じなかった。その代わり、2109型の有効射程距離は一〇メートルと短いから、アオイに接近する必要がある」
「だから、アオイと同じフリースクールに入れた」
「アオイと親しくさせて、アオイを油断させる効果もある」
「アオイと親しくさせるという点が、私には不安だ。ミツキは、気持ちが優しすぎる。アオイを油断させるほど親しくなると、ミツキにはアオイを殺せなくなるのではないか?」
「ええ、ミツキは優しい心の持ち主だわ。でも、それだけに、他人が傷つけられるのを放っておけない。アオイが将来暴走して、罪もない人たちに危害を加えると知ったら、それを止めたいと思うはず」
「だから、ミツキに、アオイがいずれ無差別に人を殺すようになると吹き込んでいるわけだ。しかし、君は、本当に、アオイにそんなを凶暴性があると思っているのか?」
「ええ。母親代わりだったから、確信を持っている」
そう答えた慧子の顔は、明らかに動揺していた。このオンナは、ウソをついている。マスムラのCIA工作員としての長年の経験が告げていた。
しかし、慧子はすぐに動揺を抑えて、マスムラに切り返してきた。
「マスムラさん、あなたにミツキの勝利を確信しろとは言わない。だけど、あなたは、ミツキの勝利を祈るべき立場には、あるのよ。ミツキの単独攻撃が採用された理由を覚えている? CIA作戦部長が2108シリーズを使うのに反対したからだわ」
そのとおりなのだ。CIA作戦部長が、2108シリーズは実戦の予定が詰まっているのに、それをキャンセルしてまでアオイ狩りに回せないと言ったから、慧子の案が採用されたのだ。
「CIAの一員として、ミツキの成功を祈ってちょうだい。では、この話は、もう、おしまいにしましょう」
と言って、慧子は、自室へ引き揚げていった。
マスムラの中に、不快なモヤモヤが残った。どうも、この作戦は、怪しい。
そもそも、慧子がこのアオイ抹殺作戦の指揮官に任じられていることが変だ。慧子は、二年前にアオイが国防総省の秘密研究所から脱走するのを助けた疑いで、査問委員会にかけられた。結果は証拠不十分でシロだったが、国防総省内で疑念は残った。だから、慧子は2109型の初号機・田之上ミツキを完成させた時点で生体兵器開発リーダーを降ろされ、カレン・ブラックマン博士が後を継いだのだ。
そんな慧子が、なぜ今更、作戦指揮官に引っ張り出されてきたのだ。それも、実戦経験ゼロの田之上ミツキとセットで。
この作戦には何か裏があると、CIA工作員の直感が告げていた。
しかし、CIAの中で政治的に動いて上層部の思惑を嗅ぎつけたり、自分を安全な場所に逃がしたりすることが苦手なマスムラは、この怪しげな作戦に付き合うしかないと諦めていた。せめて、自分が命を落とすことだけはないようにしたいものだ。マスムラの口からため息が漏れた。