26. 「M」との対面/酔狂な話

文字数 2,892文字

 幸田に指定されたスナックは、新宿駅南口を出て、都庁とは反対側の雑然とした一角にあった。ビールケースが積まれている勝手口に回ってノックした。
「幸田の使いの者です」
「いらっしゃい、どうぞ、中へ入って」と柔らかいが、よく響く女性の声がした。

 アオイが勝手口を開けて入ると、五〇代半ばくらいに見える上品な女性が出迎えてくれた。身長はアオイと同じ一六〇センチくらい。すごく知的だけど、尖ったところが全然ない。物腰もとても柔らかい。
「はじめまして、アオイ さん。話は、いつも、幸田君から聞いているわ」
「あのう、あなたは?」
「幸田君から聞いていると思うけど、私が、『M』。このスナックのママだから、『M』。よろしく」

「M」が右手を差し出してくる。アオイはおそるおそる、その手を握る。温かい手が力を込めて握り返してきた。
「あなたが、私達に隠れ家とお金を提供してくれている『M』さんですか……スナックのママさんが、『M』……」
「マフィアのドンとか、謎の実業家とかを想像してた?」
「ええ、ゴールドフィンガーとかブロフェルドみたいな……」
「あら、ビックリ」と言って、「M」が微笑んだ。
「若いのに、昔の『007』を知っているのね。でも、『007』で『M』と言ったら……」
「『007』の上司です。悪の黒幕では、ないですね」
「私は、幸田君の上司ではなくて、世話役だけどね。あなたにとっての幸田君と同じね」
「そうなんだ……」
 
 急に「M」がはっとした表情になった。
「あら、ごめんなさい。喉が渇いているでしょ。何か、飲みながらお話しましょう。何がいい? 幸田君からは、あなたはジンジャーエールとクリームソーダが好きだと聞いているけど。他にも、オレンジジュース、アップルジュース、カシスジュース、コーヒーと紅茶のホットとアイスができるわ」
「じゃ、クリームソーダ、お願いします」
「M」が、アオイにカウンター席を勧めてから、カウンターの中に入りクリームソーダを作って出す。「M」自身はカシスジュースのグラスを手に、映画の話を始めた。「M」はなかなかの映画通で、アオイは話していて楽しかった。

 アオイのクリームソーダが空になったところで、「M」が改まった顔になった。
「さて、ここからは世話役としての話をさせてもらうわね」
 アオイは、緊張して、身体が固くなる。
「あなた達は、国防総省とCIAを敵に回している。その上、一緒にいるミツキさんは、いつカスミさんに乗っ取られて、あなた達を攻撃するかもしれない。世話役の私から見て、あなた達は、ものすごく危険な状況にある」

「国防総省とCIAに見つかってしまったのは、あたしが油断して、使わなくてもいい所で放電能力を使ったせいです。あたしは身から出たサビだけど、幸田には、いえ、幸田さんには、とんでもない迷惑をかけています」
「そうね。あなたは、アメリカの情報機関の監視能力を甘くみていたわね。国防総省がNSA(アメリカ国家安全保障局)に命じて、日本でハッキングできる全ての監視カメラから、放電能力が使われるシーンを探させていたのだと思う」

「幸田さんから、そういう注意を受けていました。でも、あたしは、そんな、メチャクチャ手間のかかること、ほんとにやるわけないと、なめていました」
「アメリカの情報機関は、そういう事ができるし、やるのよ。ものすごい時間と人手をさいて、テロリストの活動を追いかけ回している。つまり、連中にとっては、あなたもテロリスト並みの脅威だったわけね」
「幸田さんに迷惑かけてるのは、それだけじゃありません。あたしが、どうしてもミツキを見捨てたくないと言い張って、カスミという時限爆弾つきで連れ回してます。幸田さんを、とても、危険なことに巻き込んでいます」

「幸田君、それについては、迷惑だと思っていないみたいよ」
「えっ?」
「あなた、カスミさんに、『幸田に何かしたら、あんたを殺す。息の根を止める。刺し違えてでも、あの世に送ってやる』って言ったんでしょ。ずいぶん野蛮で物騒なセリフだと私は思うけど、幸田君には受けたみたいで、彼、『そこまで言ってくれたアオイに『地獄まで付き合う』って言ってた。『地獄まで付き合う』なんて、大げさよね。私は笑っちゃったけど」
「M」が楽しそうに微笑む。
「幸田君は、合理性重視の理屈屋さんだけど、実は、心の所々に『浪花節ボタン』がついている。そこを押されると、損得勘定できなくなる。酔狂なところがあるのね。でも、私は、幸田君のそういう酔狂なところが嫌いじゃない。だから、私も付き合うことにした」

 アオイは「M」の顔をマジマジと見た。幸田も「アオイの酔狂なところが嫌いじゃない」と言った。今、「M」も「幸田の酔狂なところが嫌いじゃない」と言っている。つまり、あたしたちは、「酔狂つながり」なのだろうか?
「でも、私と幸田君の『酔狂』に私の仲間を巻き込んで危険にさらすわけにはいかない」「M」が厳しい表情になった。
「だから、私は、仲間と縁を切った。仲間が、はなむけにと言ってお金と隠れ家と武器をくれたので、すごく感謝している。と言うことで、これから先は、あなたたち三人―いえ、カスミさんもいれると四人ね―と私の五人で闘うしかない。いいわね」

「はい。『M』さんもいてくださると、すごく心強いです」
「これから先、危険度はどんどん増していく。幸田君と私が一度にやられてしまうと困るから、幸田君には今までどおりあなた達のそばにいてもらって、私は、離れた所から支援する。でも、幸田君に万一のことがあったら、私があなたたちと合流するから、あなたとは会っておきたかった」
「ありがとうございます。でも、ミツキとは合わなくていいのですか?」
「ミツキさんは、今は、あまり刺激しない方がいいんじゃないかしら? それでなくても、あなた達とカスミさんの板挟みで悩んでいるんでしょ?」
「そうでした。まだミツキとカスミの間では、話がついていません
 話がついたからと言って、安心はできないだろう。この上、「M」までをカスミの危険にさらす必要はない。

「さて、世話役としての話は、ここまで。アオイさん、お腹すいたでしょ。幸田君から、あなたはオムライスが好きなのに、幸田君には上手く作れないと聞いた。たまたま、私は、オムライスには、ちょっと自信があるの。もし、オムライスでよければ、私が作るけど……」
「オムライス、お願いします」
 一〇分後、アオイは、テーブル席で、「M」と向き合ってオムライスを食べていた。
「このオムライス、美味しいです。子どもの頃、母が作ってくれたオムライスと同じ味がします」
「そう言ってもらえると、嬉しいわ。作った甲斐があった」と「M」が微笑む。
「はい。本当に……」
 アオイは、こみ上げてくるものがあって、言葉を続けることができなかった。
「ごめんなさい。何か、目に入っちゃったみたいで……」
 テーブルの上のペーパーナプキンで目をぬぐうアオイだった。
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登場人物紹介

山科 アオイ (17歳)


アメリカ国防総省の手で、放電型生体兵器に改造された17歳の少女。

直感派でやや思慮に欠けるところがあるが、果断で、懐が深く、肚が坐っている。

山科 アオイ は自ら選んだ偽名。本名は 道明寺 さくら。


両親とドライブ中に交通事故に遭う。両親は即死。アオイは、アメリカ国防総省が日本国内の山中深くに設置した秘密研究所で生体兵器に改造される。

秘密研究所が謎の武装集団に襲撃され混乱に陥った際に脱出。組織や国家に追われる内部通報者やジャーナリストをかくまう謎のグループに守られて2年間を過ごすが、不用意に放電能力を使ったため、CIAに居場所を突き止められてしまう。

幸田 幸一郎(年齢40台前半)


冷静沈着、不愛想な理屈屋だが、あるツボを押されると篤い人情家に変身する。

幸田幸太郎は偽名。本名は不明。


組織や国家から追われる内部通報者やジャーナリストなどを守る秘密グループの一員で、アオイのガードを担当する「保護者」。英語に堪能。銃器の取り扱いに慣れ、格闘技にも優れている。

田之上ミツキ(17歳)


アメリカ国防総省の手で、ターゲットの自律神経を破壊する「脳破壊型生体兵器」に改造された17歳の少女。知性に秀で、心優しく思慮深いが、果断さに欠ける。15歳までアメリカで育った。

田之上 ミツキは、本名。


両親、妹のカスミとアメリカ大陸横断ドライブ中に交通事故にあう。両親は即死。ミツキとカスミは生体兵器に改造されるために国防総省の特殊医療センターに運ばれるが、カスミは改造手術中に死亡。ミツキだけが生き残る。

国防総省を脱走したアオイを抹殺する殺し屋に起用されたが、アオイが通うフリースクールに転入してアオイと親しくなるほどに、任務への迷いが生まれる。

田之上 カスミ(15歳)


田之上ミツキの妹。ミツキと同時に人間兵器に改造される途中で死亡するが、霊魂となってミツキにとり憑いている。知的、クールで果断。肉体を失った経験からニヒルになりがち。


普段はミツキの脳内にいてミツキと会話しているだけだが、ここぞという場面では、ミツキの身体を乗っ取ることができる。

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