45.  作戦会議/決裂

文字数 4,870文字

 ミツキが口の中で自分の考えを噛みしめるように、「M」に問いかけた。
「リケルメが、自分と聖命会総合病院のつながりを太一先生に知られたくないとしたら、先生をどういう風に解放するのでしょう?」
 そこで言葉を切って、「まさか?」と、まるで呪われた言葉を発するように言った。
「ここは、大事なところだから、率直明快に話しましょう。ミツキさんは、リケルメが秘密を守るために太一先生を殺してしまわないかと心配しているのね」
 ミツキが小さくうなずいた。

「M」が、うなだれて畳を見つめている幸田に話しかけた。
「エル・リケルメは、人質を取って、用が済んだら殺してしまうような人間なの?」
 幸田がどんよりした目を上げた。
「奴は、悪党ですが、一種の美意識を持っています。取り締まる側も含めて、武器密売に関わるプロは平気で殺しますが、一般市民には決して手を出さない。それが奴のルールです。だから、今回、太一先生を人質にしたことには、正直驚きました。よほど急いでアオイ達が欲しくなり、自力で探す余裕がなくてルールを破ったのでしょう」
「幸田、どうして、リケルメのことが分かったような事を言うんだ?」とアオイが問うと、幸田は「DCIS時代に、奴の組織に潜入したことがある」とポツリと答えた。
「DCISってなんだ?」とアオイが尋ねると、カスミが、「そんな事、今でなくていいだろう」と言い、幸田も、「そうだ。作戦会議が終わったら、話そう」と言った。
「わかった。後にしよう」とアオイも答えた

「『M』さんと幸田さんは、リケルメは、私たちさえ手に入れることができれば、太一先生に危害を加えたりしないと考えているのですか?」カスミの表情の下からミツキが尋ねる。
「そう思う。ただし、二つの条件付きだわ」
 アオイは「それは、太一先生に監禁場所を知られないということ?」と尋ねる。
「そう。私は、リケルメは太一先生を生きて解放するつもりで、そのために、聖命会総合病院ではなく、別の場所で監禁していると思うわ」
「もう一つの条件って、なんだ?」久しぶりにカスミの声がした。
「太一先生を人質にした目的があなた達二人を呼び出すためだった事を、太一先生に知られない事」

「えっ!」カスミ、ミツキ、アオイ、三つの声が、同時に驚きを示す。
 幸田が説明する。
「『BMI応用医療研究所』の地下三階にあるのは生体兵器改造工場だ。そして、そこには、アオイとミツキを生体兵器に改造したレノックス博士がいる。それが意味することは、リケルメが生体兵器の製造を目論んでいるということだ。そして、君達は……」
 そこで幸田が言葉に詰まった。

「あたし達は?」とアオイは問いかける。
 アオイの問いに答えたのは、「M」だった。
「幸田君は、想像しただけで辛くて言葉にできないみたい。代わりに私が言うわね。リケルメは、あなた達を、新しい生体兵器のプロトタイプにしようとしているのだと思う」
「プロトタイプ……?」
 ミツキが「M」が口にした言葉を復唱する。
「プロトタイプなら壊されないですが、私たちは解体されるかもしれません」
 ミツキが声を震わせた。

「どうして、壊されると考えるの?」
「M」が驚いたように尋ねる。
 ミツキが震えて答えられそうにないので、アオイが代わりに答えた。
「レノックス博士が、私たちを解体して設計図の代わりに使う可能性が大きいからです」
「まさか!」と幸田が言う。
「レノックス博士は、アオイに勉強を教えてくれたのだろう。アオイを兵器ではなく、人間として大切に思っていたはずだ。それを、解体するだなんて」
 アオイも幸田のように思いたい。しかし、そこまで慧子を信用することはできなかった。
 慧子は幸田や「M」とは、まるで違った種類の人間だ。慧子は、研究に取り憑かれている。試してみたい、結果を見たいという純粋な好奇心のスイッチが入ったら、何をするかわからない。無邪気に冷酷無残なことができてしまうのが、レノックス慧子という人間だ。

「レノックス博士が国防総省を抜け出してリケルメの一味に加わる時に、生体兵器の設計図や実験データは、国防総省から持ち出せていないはずです。レノックス博士は、私が改造された秘密研究所で開発リーダーでしたけど、セキュリティが厳重で、設計図や実験データのコピーを取ることは絶対にできないと言っていました」
 慧子が、「私の子どもなのに、国防総省に取り上げられて、この研究所のコンピューターの中でしか会えない。ひどい話よね」と言って薄い唇の端で小さく笑った顔が目に浮かぶ。
「でも、私たちをバラバラにして、埋め込まれているチップや人工神経の配線をみれば、設計図を描きなおせるはずです」
 アオイは認めたくないことを認めた。
「クソッタレな話だけど、アオイの言う通りだ」
 泣きながら震えているミツキの中から、カスミがやけくそな調子で付け加える。

「驚いた。あなた達をそういう風に使う考えだとすれば、ますます、太一先生をさらった目的があなた達だったとは知られたくないわね。その代わり、あなた達が救急外来に行けば、太一先生は解放され、自分が何のために誘拐されたかも知らされていないから、リケルメの一味に殺される心配もない」
「太一先生のことはひとまず置いて、アオイとミツキをどう助け出すかに作戦を絞ってよいと思います」
 幸田の声に少しだけ張りが戻ってきた。


 カスミが「勝手に安心しないでよ!」と、食ってかかった。
「太一先生と救急外来で交換されなきゃ、あたし達は、太一先生が無事解放されたことを確認できない」
「カスミさん、太一先生が人質になっていることを、私たちは、どうやって知らされた?」
「M」が穏やかに尋ねる。
「えっ、それは……あんたのLINEに送られてきた映像で知らされたのよ」
 と言って、カスミがミツキに口を手で押さえさせる。
「映像……」とカスミとミツキが同時に言う。

 映像? 確かにそれはありかもしれないが、アオイは不安を覚える。
「でも、映像なら、いくらでもフェイクを作れますよ」
「フェイクではないことを示す証拠になるものが一緒に映っていれば、信用してもいいんじゃない?」
「証拠……って言っても?」
「私がリケルメだったら、太一先生を『あすなろ園』のすぐ近くで解放して、先生が園の中に入っていき、子どもたちに迎えられる所を撮影して送信する。園の入り口に日時を示すものがあれば、なおいいんだけど」
「あっ、あります。日付と時刻が表示される柱時計が園の入り口に立っている」
 アオイが言うと、ミツキが、「それで、指定された時間が午後三時なのですね」と感嘆したように言う。午後三時は、おチビちゃん達の下校時間だ。

 アオイはほっとした。「M」とリケルメが言う通り、太一先生は、あたし達が救急外来に行きさえすれば解放されるし、その後に命を狙われることもない。だけど、その後、あたしたちは、どうなるんだ?

「カスミさん、私たちの作戦を、あなた達の救出に絞ってもいいかしら?」
 Mがカスミに問うた。
「あたし達の命に代えても太一先生を助けるっていうのが、あたし達が闘う目的だったのに……」
 珍しく、カスミの声に戸惑いが現れている。
「適地を偵察して敵の行動を予測した結果、作戦目的を変えたのだから、何もおかしなことはないと思うわ」
「でも、もし、あんたの見通しが外れたら?」
「その時は、私が責任を取ります」
「バカ言うな! あんたの見込み違いで太一先生が殺されてみろ。あんたが責任を取ったからって、先生は生き返らないんだぞ」

 カスミが、また、立ち上がった。
「ダメだ、やっぱり、作戦の目的は、太一先生を無事に取り戻すことだ。あんたと幸田さんは、太一先生を守ることに専念しろ。あたし達のことは、どうだっていい。あたしは、その覚悟で聖命会総合病院に乗り込む決心をしたんだ。くそ、あんたの屁理屈に乗せられて、最初の覚悟を忘れるところだった。お姉ちゃん、お姉ちゃんは、どう思う?」
 鬼の形相のカスミ顔の下から、ミツキが、思いがけなく力強い声で、「私も、カスミに賛成よ。太一先生さえ助かれば、私たちは、どうなってもいい」と言った。
 あれほど解体されることを恐れていたミツキなのに、カスミに太一先生を持ち出されると、命を投げ出す覚悟をしてしまうのだ。

 アオイの頭上からカスミの厳しい視線が降ってきた。
「アオイ、あんたも、もちろん、同じ覚悟だよな」
 アオイは答えに詰まった。あたしのせいで人質にされた太一先生をむざむざ死なせてしまったら、人でなしになってしまう。それは、ミツキ、カスミと同感だ。
 でも、太一先生を助けた後に、自分が武器商人の好き勝手にされるのは、嫌だ。納得できない。
 アオイは、この本音を言うか言うまいか二、三秒迷ったが、自分を実際の自分より立派に見せようとしてもムダだと思い定めた。あたしは、あたしの本音を言う。
「あたしは、太一先生が助かるだけじゃ、嫌だ。あたしも、助かりたい」

 バチンと横っ面を張られた。ミツキに叩かれたのだ。ミツキ本人がやったのか、ミツキの手を使ってカスミがやったのかはわからないが、太一先生のために死ぬ覚悟を決めた二人から見たら、太一先生が殺されるかもしれないリスクを冒しても生き残りたがっている私は、利己的な卑怯者に見えるのだ。それは、しかたがない。
 それでも、あたしは、生きていたい。ミツキとカスミから後指さされようと、軽蔑されようと、あたしは生きたい!

「ミツキさん、カスミさん、私は、アオイさんと同じ考えよ」「M」が穏やかだが、キッパリした口調で言った。
 幸田が顔を上げ背筋を伸ばし、ミツキに目を向けた。
「太一先生と君たちのどちらか片方しか生き残れないと決まっているのなら、君たちが命を捨てる覚悟は立派だと思う。その決意を尊重したい。しかし、私は、リケルメが太一先生を生かしておく可能性が大きいと考えている。そう考えながら君たちを救い出す方法を考えないことは、私にはできない」

 立っているミツキの顔がいつの間にか、普段のミツキの表情に戻っていた。ミツキは畳に正座し、両手をついた。
「お二人のお考えはよくわかりました。アオイさんのお気持ちもわかりました。けれども、私達は、皆さんのお考えに従うことは、できません。私たちは、これから、『BMI応用医療研究所』に行って、太一先生を解放するよう求めます」
「ミツキ、待ってよ。リケルメは、あなたと私に、明日の午後三時に来いといっているのよ。あなただけが行っても……」
「あんたは太一先生の命なんかどうなってもいいと思ってるから、来ない。リケルメにそう言っておく」
「それが通用すると思ってるの?」
「通用するもしないも、それがあんたの本音なんだから、向こうにそう伝えるしかない。生体兵器としては、あたしとお姉ちゃんの方が新型だ。あたし達さえいれば、あんたは用なしかもしれない。あんたは、安心して、そこの二人と逃げ隠れしてればいい」カスミが軽蔑をこめて言った。

 ミツキが「申し訳ありませんが、タクシー代を頂戴できますか? お返しすることはできないと思うので」と丁寧に頭を下げた。
「M」が「これを持っていらっしゃい」と、財布ごとミツキに渡した。
「これでは多すぎます」というミツキに、「M」が「ささやかですが、お餞別です」と言ってほほ笑んだ。
「本当にお世話になりました」
 ミツキが深々と頭を下げてから立ち上がった。
「では、失礼します」と、玄関に向かって立ち去るミツキを追ってアオイが立ち上がろうとすると、幸田に、畳に押し付けられた。
「私は、君の『保護者』だ。ここで君を行かせるわけにはいかない」
「あなたは、ここに残るのです」
「M」がキッパリと言い切った。

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登場人物紹介

山科 アオイ (17歳)


アメリカ国防総省の手で、放電型生体兵器に改造された17歳の少女。

直感派でやや思慮に欠けるところがあるが、果断で、懐が深く、肚が坐っている。

山科 アオイ は自ら選んだ偽名。本名は 道明寺 さくら。


両親とドライブ中に交通事故に遭う。両親は即死。アオイは、アメリカ国防総省が日本国内の山中深くに設置した秘密研究所で生体兵器に改造される。

秘密研究所が謎の武装集団に襲撃され混乱に陥った際に脱出。組織や国家に追われる内部通報者やジャーナリストをかくまう謎のグループに守られて2年間を過ごすが、不用意に放電能力を使ったため、CIAに居場所を突き止められてしまう。

幸田 幸一郎(年齢40台前半)


冷静沈着、不愛想な理屈屋だが、あるツボを押されると篤い人情家に変身する。

幸田幸太郎は偽名。本名は不明。


組織や国家から追われる内部通報者やジャーナリストなどを守る秘密グループの一員で、アオイのガードを担当する「保護者」。英語に堪能。銃器の取り扱いに慣れ、格闘技にも優れている。

田之上ミツキ(17歳)


アメリカ国防総省の手で、ターゲットの自律神経を破壊する「脳破壊型生体兵器」に改造された17歳の少女。知性に秀で、心優しく思慮深いが、果断さに欠ける。15歳までアメリカで育った。

田之上 ミツキは、本名。


両親、妹のカスミとアメリカ大陸横断ドライブ中に交通事故にあう。両親は即死。ミツキとカスミは生体兵器に改造されるために国防総省の特殊医療センターに運ばれるが、カスミは改造手術中に死亡。ミツキだけが生き残る。

国防総省を脱走したアオイを抹殺する殺し屋に起用されたが、アオイが通うフリースクールに転入してアオイと親しくなるほどに、任務への迷いが生まれる。

田之上 カスミ(15歳)


田之上ミツキの妹。ミツキと同時に人間兵器に改造される途中で死亡するが、霊魂となってミツキにとり憑いている。知的、クールで果断。肉体を失った経験からニヒルになりがち。


普段はミツキの脳内にいてミツキと会話しているだけだが、ここぞという場面では、ミツキの身体を乗っ取ることができる。

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