24. 訪問者/罠
文字数 4,537文字
慧子の居室に入ってきたカレンは、少佐の肩章と胸賞入りの米軍女性将校の制服に身を包んでいた。
「朝から、そんな物々しい格好で、なに? これから食堂に行って、朝食なんだけど」
「急いで知らせたいことができたの。二時間後に、2108シリーズの四機も出席して、アオイ・ミツキ狩りの作戦会議を開く」
「2108シリーズの四人が全員参加するですって?」
四人は、北米と中東の各地に散ってテロリスト暗殺作戦に従事している。ミツキがアオイを抹殺し損ねてから、まだ二日しか経っていないのに、日本に集結できるとは信じられない。
「ええ、四機とも揃っている。それだけ、重要事態だということ。あなたも作戦会議に参加したければ、中尉の制服を用意してあげるけど」
「アオイ・ミツキ狩りの作戦部隊は国防総省とCIAの混成部隊で、基地の外では私服で行動するはず。軍服を着用する意味がわからない」
「放電型生体兵器21081から21084の四人は、元・軍人よ。私は、彼らの前で、作戦指揮官の権威を示す必要がある」
これだ……。カレンは、慧子と違って、国家、組織、権威が大好きだ。
「私は、失敗した作戦の指揮官だから、新しい作戦の会議に参加するのは遠慮しておく」
「どうして? 四機の生体兵器は、生みの親のあなたが会議にいなかったら、寂しがるわよ」
カレンの顔に冷ややかな笑みが浮かんだ。慧子と四人の生体兵器の関係がうまく行っていないことを知っていて、こういう嫌味を言う。カレンが国家・組織・権威の次に好きなのは、他人を貶めて優越感を味わうことだ。
慧子にアオイの逃走を助けた疑いがかかったことは、四人の生体兵器も知っている。慧子は彼らの定期メンテナンスを任されているが、その時に、生体兵器との間に微妙な空気が漂うのがわかる。彼らは、慧子がこの作戦に少しでも関わっていると知ったら、たちまち、不安になってしまうだろう。
慧子は、アオイとミツキを防総省とCIAの手が届かない所まで逃がしてやりたい。だからといって、自分の手で人間から生体兵器に改造した21081、21082、21081、21084の四人の足をすくうことまでは、したくない。
「そう、会議には出ないのね」と言ってドアに向かいかけたカレンが踝を返し、慧子に近づいてきた。
「そうだ、これ」と言って、カレンが制服のポケットから生体トラッキング・システムのレシーバーを取り出した。慧子が再製作したものだ。
「使えないことがわかった。プログラムにバグがあるのをCIAの電子技術者に見つけてもらった」 エメラルドグリーンの瞳が慧子の目をのぞきこんできた。
「CIAの電子技術者に見つけてもらった」という言い方がひっかかったが、とりあえず、普通に「本当! プログラムミングをミスるなんて、腕が落ちたものだわ」と落ち込んで見せる。
「ケアレス・ミスだと言うのね?」
「恥ずかしながら」
「だとしたら、もう、現役引退ね。スペアの方にもバグがあった。二台ともケアレスミスで作り損なうようでは、何も任せられない」
「作戦もしくじるし、ヤキが回ったのかしら?」
カレンが豊かな髪の毛をかきあげ、視線に力をこめた。
「わざとやったでしょ?」
形は疑問文だが、口調は断定している。
「わざとミスするなんて、自分で自分の価値を下げるようなことを、するわけない。認めたくはないけど、あなたが言う通り、現役として通用しなくなったのよ」
カレンが慧子の心の底まで見透そうとする視線を向けてきた。
「私たちにアオイを発見させないために、バグを入れた」
慧子は「ハハハ」と笑って返す。
「あなたの頭蓋骨をかち割って、脳内の神経回路を見てみたいわ。どこがどう混線したら、そういう発想が沸くのかしら? ケアレス・ミスはあってはならない。それについての責めは受ける。でも、あさっての方向の邪推は勘弁してちょうだい」
カレンは、私が故意にレシーバーにバグを仕込むことを見越していたのだ。初めから、私が作ったレシーバーを他の人間に点検させるつもりだった。だから、「CIAの電子技術者に見つけてもらった」という言い方をしたのだ。
だとしても、カレンには、私が意図的にバグを仕込んだと立証することはできない。私は、あくまでケアレス・ミスだと言い通す。国防総省に未練などないが、ここに居続けることでアオイとミツキを助けられることがあるかもしれない。
「あなたは、二年前も、そうやってシラを切り通したのね」
カレンの透き通った瞳に怒りの火が点った。慧子よりひとまわり大きな身体がぐっと詰め寄ってくる。
「アオイを逃がした疑いのこと? それなら、三ヶ月も査問を受けて疑いを晴らした」
左頬に強烈な打撃を受け、身体が右に揺れた。カレンに平手打ちされたのだ。
「アオイを逃がしたことなんか、どうでもいい。私の大事なケヴィン・クレイマーを殺したことよ!」
カレンが叫んだ。
「えっ?」
確かに、逃げるアオイを研究員のケヴィンが後ろから撃とうとしたから、仕方なく、ケヴィンを撃った。だけど、あのケヴィンがカレンにとって『大事だった』って、どういうこと?
カレンに襟首をつかまれた。
「相変わらず、鈍いオンナね。ケヴィンと私が愛し合っていたことに、全然、気づいてなかったの? 私たち三人は、毎日、職場で一〇時間以上、一緒に過ごしていたのに」
慧子は、苦しい息の下で、言い返す。
「気づくわけがない。私は、同僚のプライベートなことにまで、関心はない」
本当にそうだ。私は、同僚に仕事に関する以外の興味は持たない。私の横でカレンとケヴィンが愛し合っていようが憎み合っていようが、仕事さえ順調なら、私には、どうでもいいことだ。
「同僚の内面に関心のない冷血動物のあなたが、被験体相手に母親ごっこをしていたのだから、笑っちゃうわね」カレンが美しい顔を歪め、声に憎しみをこめた。
「母親ごっこ? 何を言ってるの?」
「あなたは、父親に捨てられ、母親に愛されなかった。だから、一一歳のアオイを自分の娘に見立てて、母親ごっこをしていたのよ。その挙句に、大事な娘アオイを逃がすために、私の大切なケヴィンを殺した」
「待って。ケヴィンは、秘密研究所を襲ってきた武装集団に射殺されたのよ」
「彼を撃った銃は、武装集団のものだった。でも、引き金を引いたのは、あなただわ」
「その疑いは、とっくに晴れている」
カレンが慧子の襟首をつかんだ手に力を込め、慧子の身体が床から持ち上がった。
「晴れていない!」カレンのツバが慧子の顔にかかる。
「状況証拠は真っ黒だった。だけど、決定的な目撃情報がなかった。加えて、2109シリーズの開発をあなたに任せることが決まっていた。だから、徹底的な真相解明が先送りされただけ。でも、2109シリーズの開発は凍結され、生体兵器開発のリーダーは、私に移った。もう、あなたを『推定無罪』にとどめておく理由は、なくなった。今度こそ、徹底的に追及する。これは、アメリカ合衆国政府の意思でもある」
そこまで一息に言い切って、カレンが慧子を後ろに突き放した。
慧子は着地しそこない、尻もちをついてしまった。クソッ、みっとみないじゃないか!
カレンに付け込まれないよう、渾身の力を込めてカレンをにらみながら立ち上がる。その時、頭の中で稲光がした。
アオイ破壊作戦の指揮を任されてから目の前にただよっていたモヤみたいなものが、さっと吹き消され、視界がクリアになった。クソッ、全部、仕組まれていたのだ!
CIA作戦部長がアオイ抹殺作戦に2108シリーズを投入するのを渋ったことに、実は、違和感があった。私が彼の立場なら、暗殺作戦に遅れが生じることより、アオイがアメリカに敵対する勢力の手に渡ることを恐れるだろうにと、あの時、思った。
特殊兵器局長が、私のことを信用していないのに、ミツキを刺客に起用する私の案をあっさり承認したのも、今から思えば、変だった。
仮に、CIA作戦部長が本当に2108シリーズの投入に反対していたとしても、実戦経験のないミツキを起用するよりも確実な方法は、あった。自然死に見せかけられないデメリットはあるが、射殺するという単純確実な選択肢があった。CIAにはその手の野蛮な仕事に慣れた工作員がいくらでもいる。
カレン、特殊兵器局長、CIA作戦部長が裏で手を握って、わざと、私にアオイの逃走を助ける行動をとらせたのだ。私は、ハメられた。2108シリーズの四名は、いつでもアオイ狩りに参加できるよう、かなり早い時期から横田基地でスタンバイしていたに違いない。
慧子の表情から思いを読み取ったのだろうか、カレンが「やっと気づいたみたいね」と言った。
「私たちの誰一人、21019ミツキが21085アオイを倒せるなんて思ってなかった。21019が21085に破壊されるのを見届けた上で、あなたを締め上げて、ホンネを吐かせる。私たちは、そう計画を立て、まさに、目論見通りになった」
カレンが間合いを詰めてきた。エメラルドグリーンの瞳に怒りと憎しみの炎が渦巻いて見える。
「二年前、あなたを取り調べたDCIS(Defense Criminal Investigative Service 国防総省犯罪捜査局)は、法に則った、実に生ぬるいやり方をした。だから、あなたを追及しきれなかった。だけど、今度は、違う。CIAが、あなたを合衆国に対する反逆者として『超法規的に』取り調べる。日本でさっさとアオイとミツキを始末して、私も取り調べに立ち会わせてもらう。あなたが悲鳴を上げて助けを乞う姿を想像すると、今から楽しみで、身体がゾクゾクしてくるわ」
「職場恋愛なんてウブなことをしているかと思うと、とんでもないサディストなのね」
言い終わったとたん、下腹部にカレンの強烈なケリを食らって、慧子は身体を折った。
「あなたは、自分の立場がわかっていないようね。あなたは、もう、終わっている。あなたを死刑にするための若干の手続きが残っているだけなのよ」
そう言って、カレンが慧子の後ろ髪をつかんで、身体を起させた。慧子は、下腹部の痛みに、うめいた。
「でも、ミツキが生き延びて、アオイと一緒に逃げるとは、思いがけない展開ね。あなたも、さぞかし、驚いたでしょ」
ということは、カレンは、私がミツキをアオイに合流させようと目論んだことまでは、見通していなかったのだ。
「だけど、ちょうどいいわ。ミツキは使えない生体兵器だと、私は思っていた。廃棄処分にする適当な理由がなかったから温存してあったけど、逃亡者になってくれたので、大手を振って破壊できる。アオイとミツキを粉砕して、あなたを死刑台に昇らせる。『一石三鳥』とはこのことね」
カレンの高笑いが室内に響き渡った。