38. DCIS /聖命会総合病院
文字数 2,367文字
カレンが国防総省秘密兵器局長とCIA作戦部長を引き込んで張り巡らしたワナにかかって、二年前に山科アオイの逃走を助けたことが白日のもとにさらされた。今回、攻撃心のないミツキをアオイに差し向けてアオイを守ったことも、見破られた。
ミツキをアオイに合流させて逃がそうとしたことまでは見抜かれていないが、見抜かれた二つの反逆行為だけでも、CIAによる超法規的な取り調べで死刑宣告されるのは目に見えている。
私の人生は、終わった。私の中では、生体兵器の開発で科学者として超えてはいけない一線を超えてしまったことの報いだという諦観と、自分に生体兵器開発を強要した国防総省とCIAの手で抹殺されるのは理不尽だという怒りが絡み合って渦を巻いている。
しかし、科学に出来る限界を見極めたい欲求にかられて民間では禁じられた研究開発をするために国防総省を選んだ事が、そもそもの間違いだったと考えれば、この結果は、身から出た錆ではある。
あの後、カレンがアオイとミツキをどのように追跡しているかは知らされていない。今の慧子にできるのは、アオイとミツキが無事に逃げ切ってくれることを祈ることだけだ。
慧子たちが輸送機後部で大きく開いたテイルゲートまで一五メートルくらいまで近づいた時、輸送機の陰からクルマのエンジン音が近づき、一台のキャディラックが現れた。
キャディラックは、慧子たちの行く手をさえぎるように止まった。助手席から、この暑いのに濃紺のスーツに身を固め赤いレジメンタルタイを締めた男性が現れる。身長はそれほど高くないが、がっしりした巌のような身体をしている。茶色い髪を刈り上げ、サングラスで目を隠している。
いかつい男が懐に右手を入れると、慧子の周りの兵士たちが一斉にホルスターに手をかけた。男が左手で兵士たちを制して「書類だ」と言った。男が懐から出した書類を広げて歩み寄る。
「DCISだ。ケイコ・レノックスの身柄を預かりに来た」
DCISは、国防総省内の警察機関で、二年前にも慧子は、DCISの取り調べを受けていた。その時は、弁護士の付き添いも許され、もちろん、拷問などなく、いたって穏やかな取り調べだったが……。
しかし、カレンからは、今度はCIAが超法規的な取り調べをするから覚悟しておけと言われていた。この展開は、どういうことなのだろう?
慧子を連行している三人の指揮官であるアフリカ系の軍曹が「レノックス博士は、この輸送機でアメリカに送還されることになっています」と答える。
「その前に、アメリカ大使館で我々が取り調べを行う。これが、国防総省監察総監からの指令書だ」
軍曹は男から受け取った書類に目を通してから、「憲兵隊本部に確認させていただきます」と答える。
「その必要はない。国防総省監察総監は国防総省内の犯罪捜査において、横田基地の憲兵隊長より上位にある」男が居丈高に言い切る。形式上は確かに男の言う通りだ。
軍曹がもう一度書類を読み直してから、「わかりました」と折れた。
「では、レノックス博士、こちらへ」DCISの男がいかつい手で慧子を招いた。
慧子は、大使館で取り調べということに大きな違和感があった。慧子の裏切りは、言わば国防総省内の不始末だ。それは国防総省内で隠密裏に片づけるべき案件であって、国務省の縄張りである大使館で取り調べを行うとは、普通に考えると、ありえない。
慧子は男に状況説明を求めたかったが、男は「何も訊くな」という雰囲気を濃厚に漂わせている。訊いても、まともな答えは返ってこないだろう。ここは、成り行きを見るしかなさそうだ……
一時間半ほどで、慧子を載せたキャディラックは高速道路で都心に入った。アメリカに比べると、非常に稠密にビルが立ち並び、高速道路も狭いので、息が詰まる感じがする。日本で暮らしていたころには、まったくなかった感覚だ。やはり、一八年間のアメリカ生活の影響は大きい。
一般道に降りたキャディラックは、慧子の記憶にあるアメリカ大使館への道筋とは違う方向に進んでいるような気がした。
やがて、キャディラックは、「医療法人聖命会総合病院」という、相当に大きな病院の玄関前で停まった。助手席の男が後部座席のドアをあけ、慧子に降りるよううながす。
玄関からパリコレのランウェイを歩いていてもおかしくない素晴らしいプロポーションをタイトなビジネススーツで際立たせた長身の女性が近づいてきた。
「レノックス博士、お待ちしていました」女性が丁重な口調で言う。
「尋問の前に、まず、病院で健康診断という趣向かしら?」
「取り調べ中に心臓発作を起こされても困りますから」と、女性が微笑んで返した。
女性は、慧子をロビーの奥にある職員専用エレベーターに導いた。慧子をキャディラックで運んできたいかつい男をそこに残して、女性と慧子の二人でエレベーターに乗り込む。
「護送中の犯人と二人きりでいいのかしら?」
「私を襲ってごらんになりますか?」と応じるオンナは、自信たっぷりで、確かに、細身ながらあるべきところに筋肉がしっかりついていて、肉体を鍛えぬいていることがわかる。
慧子は兵器開発という仕事柄、小火器の取り扱いには習熟しているが、格闘技の心得はない。
「いいえ、止めておく。痛いのは苦手なの」
と慧子が答えると、オンナが含み笑いを返してきた。