37.  妥協/保険

文字数 2,877文字

 生体兵器製造施設の見学を終えたカレンはリケルメに、小さな会議室に通された。テーブルを挟んで座ると、リケルメが「さて、製造施設に何か不足はあるかね?」と尋ねてきた。「ありません」という答えを期待している口調だった。
 確かに、施設はよく整備されていたが、それは、あくまで二年前の技術水準での話だ、この二年間で、国防総省の生体兵器開発技術は格段に進歩していた。

「いくつかの機能が不足している」というカレンの言葉に、リケルメが眉をひそめた。
「第一に、新型生体兵器の製造に不可欠な脳機能計測装置の一つがない。第二に、ここの脳神経手術用ロボットでは、新型生体兵器用の脳内チップの埋め込み手術を安全にできない。第三に……」
「博士、待ちたまえ」

 リケルメがカレンをさえぎった。
「娘を人質に取られている事を忘れないように。施設の不備をあげつらって引き延ばしを図るのは、非常に危険だよ」
「引き延ばしなど、考えていない。あなたは、金に糸目はつけないと言った。だから、国防総省で私が設計したのと同規格の設備を要求している」
「金に糸目をつけないとは、言った。しかし、時間を無限にかけても良いとは、言っていない。君が要求する装置を追加するのに、どれだけ時間がかかるのかね?」
「任せるメーカーにもよるけど、脳機能測定機器に最低で三ヶ月。手術ロボットは六ヶ月。しかも、足りないものは、それだけじゃない」

「三ヶ月も、待っていられない」
「開発に期限があるの?」
「何人かの顧客と、六ヶ月後に一号機を納品する契約を結んでいる。その契約を履行しないと、私の信頼に傷がつくのはもちろん、この施設のために借り入れた資金の返済が滞る」
「あなたは、兵器開発者である私を確保する前に兵器の納品契約を結んだの?」カレンは呆れた。
「博士、私は、ビジネスマンだ。君が慣れ親しんできた軍人や官僚ではない。ビジネスにはビジネスの時間がある」

 あんたのビジネスが異常なのだと言いたい。カレンの父は化学企業の開発部門長だったが、営業が父に無断で新商品の売買契約を結んだなど、聞いた事がない。
「私は科学者であり、技術屋でもある。技術の時間では、六か月後に一号機を納品することは、一〇〇パーセント不可能だ」
「君のお嬢さんが命を落としても、いいのかね?」

 ほら、そうやって脅しにかかる。私の感情を揺さぶっても、技術の時間の流れは変えられない。それを理解しようとしないリケルメの非合理性がカレンには疎ましかった。

 いっそのこと、「娘のことは、お好きにどうぞ」と、言ってやろうか?  こいつがシンシアを殺してしまったら、私に言うことを聞かせる手立ては、なくなる。そうなった時のリケルメの顔を見てやりたい。
 おっと、自分の意思で手放したとはいえ、我が子の命に対して、そんな捨て鉢な態度であってはならない。

「シンシアを殺させるわけにはいかない。でも、現状の設備では、国防総省で開発していた生体兵器と同じ性能の兵器は作れない。そこで、私は現状の設備で作れるベストのものを作り、あなたは、それを顧客に売る。そういう落としどころではどうかしら?」
 リケルメは視線をカレンから少し考えているようだったが、カレンに目を戻した。
「それが君に出来るベストだと言うなら、仕方ないだろう。幸い、顧客は、君が国防総省で開発していた生体兵器の最終性能までは知らない。グレードがダウンしたものを納めても、もめることはないだろう」
「では、その線で」
 カレンは、科学者としても技術者としても妥協は嫌いだが、この際、仕方ないだろう。いや、武器商人のために開発する兵器なのだ。性能が悪い方がいいに決まっているではないか。自分をそう納得させて、カレンは会議室を出た。

 会議室に残ったリケルメは壁を見ながらじっと考えていた。自分は、まんまとしてやられたのではないだろうか? 自分は、国防総省に対する忠誠心の強いカレン・ブラックマンから、国防総省版より性能の劣る生体兵器を押し付けられたのではないか? さらに、カレンは製造過程でも手抜きをして、ますます性能の低い生体兵器を作るつもりではないか?
「しかし」とリケルメは思う。シンシア・ブラウニングという人質は、カレンに対して相当な圧力を持っているはずだ。よもや手抜きはあるまい。そう思いたい。

 しばし悩んだリケルメは、万一に備えての保険をかけることにした。最大の顧客であり生体兵器製造施設への出資者でもあるテロ組織に対しては、万一、新型生体兵器を引き渡せなかった場合に備えて、代替品を用意することにした。代替品とは、ミツキとレノックス慧子のセット。そこにアオイを加えてもよい。いや、アオイは二番目に重要な顧客に売ってもいい。

 リケルメが国防総省内に飼っているスパイの情報では、レノックス慧子は、まだ米軍横田基地内で拘束されていて、本国への移送を待っているはずだ。拉致するチャンスはある。

 厄介なのは、ミツキとアオイだ。リケルメがCIAとあんな騒ぎを起こしたのだ。とっくに、別の隠れ家に移動しているはずだが、行方の手掛かりは何もない。
 ミツキとアオイにとって重要な人間、たとえばフリースクールの関係者を人質にとって招き寄せるという方法も考えられるが、人質を取ったことを、どのようにしてミツキ達に伝えるかが問題だ。
 アメリカが得意な電子的監視で二年間捉えることができなかったところを見ると、アオイはインターネットとの接続を完全に断ち、スマホすら使っていないはずだ。アオイと合流したミツキも、同様にネット世界から完全に断絶しているはずだ。

 その時、リケルメの頭に、リケルメの組織をしつこく追及していたフリージャーナリトが浮かんだ。殺し屋を差し向けたとたん、そのフリージャーナリストは煙のように姿を消した。リケルメの業界では、以前から、業界の敵として始末する予定の人間をかくまう謎の組織があるとの噂がある。

 CIAがアオイを見つけた時、彼女は整形して顔を変え、偽名でフリースクールに通っていた。そんな事が、十七歳の小娘一人で、できるはずがない。彼女と同居していた男性一人がいたと言うが、その男一人が手を貸しただけでも、難しい。アオイの逃亡を支援していた何らかの組織があったのだ。

 もしかしたら、例のフリージャーナリストが蒸発するのを助けた組織と同じ組織がアオイとミツキの逃亡を助けているのではないか?
 ところで、最近になって、また、リケルメの組織を嗅ぎまわっているフリーのジャーナリストがいるという。ひょっとして、前回と同じジャーナリストが名前と顔を変えて、取材を再開したのかもしれない。

 確かなスジとは言えないが、たぐってみる価値はある。うまく行けば、ミツキとアオイの居所をつかめるかもしれない。そこまで出来なくても、アオイとミツキに連絡する方法が見つかる可能性がある。
 リケルルメは、さっそく腹心の会議室に呼び出した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

山科 アオイ (17歳)


アメリカ国防総省の手で、放電型生体兵器に改造された17歳の少女。

直感派でやや思慮に欠けるところがあるが、果断で、懐が深く、肚が坐っている。

山科 アオイ は自ら選んだ偽名。本名は 道明寺 さくら。


両親とドライブ中に交通事故に遭う。両親は即死。アオイは、アメリカ国防総省が日本国内の山中深くに設置した秘密研究所で生体兵器に改造される。

秘密研究所が謎の武装集団に襲撃され混乱に陥った際に脱出。組織や国家に追われる内部通報者やジャーナリストをかくまう謎のグループに守られて2年間を過ごすが、不用意に放電能力を使ったため、CIAに居場所を突き止められてしまう。

幸田 幸一郎(年齢40台前半)


冷静沈着、不愛想な理屈屋だが、あるツボを押されると篤い人情家に変身する。

幸田幸太郎は偽名。本名は不明。


組織や国家から追われる内部通報者やジャーナリストなどを守る秘密グループの一員で、アオイのガードを担当する「保護者」。英語に堪能。銃器の取り扱いに慣れ、格闘技にも優れている。

田之上ミツキ(17歳)


アメリカ国防総省の手で、ターゲットの自律神経を破壊する「脳破壊型生体兵器」に改造された17歳の少女。知性に秀で、心優しく思慮深いが、果断さに欠ける。15歳までアメリカで育った。

田之上 ミツキは、本名。


両親、妹のカスミとアメリカ大陸横断ドライブ中に交通事故にあう。両親は即死。ミツキとカスミは生体兵器に改造されるために国防総省の特殊医療センターに運ばれるが、カスミは改造手術中に死亡。ミツキだけが生き残る。

国防総省を脱走したアオイを抹殺する殺し屋に起用されたが、アオイが通うフリースクールに転入してアオイと親しくなるほどに、任務への迷いが生まれる。

田之上 カスミ(15歳)


田之上ミツキの妹。ミツキと同時に人間兵器に改造される途中で死亡するが、霊魂となってミツキにとり憑いている。知的、クールで果断。肉体を失った経験からニヒルになりがち。


普段はミツキの脳内にいてミツキと会話しているだけだが、ここぞという場面では、ミツキの身体を乗っ取ることができる。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み