49. 賭け/前進

文字数 3,988文字

 食品の包みを手に戻ってきた「M」が幸田と目を合わせ、「じゃ、そろそろ、始めましょうか」と言った。
「アオイ、三人でミツキたちを助け出す作戦を練るぞ」と幸田が言う。
 アオイは、はっとして室内の時計を見た。時計の針は、一〇時三〇分を指している。
「ミツキ達は、とっくにリケルメの所に行っているぞ。もう、解体されているかもしれない」
「ミツキ君がリケルメのそばにいるのは間違いないだろう。太一先生が、もう解放されているからな」
「M」の代わりに幸田が答える。

 アオイは驚く。
「えっ、太一先生が解放された?」
「今朝、九時に『あすなろ園』に電話したら、嬉しいことに太一先生ご自身が電話を取ったの。疲れているけど、ケガはないとおっしゃっていた。何者かに拉致されたことを警察に通報して、身柄を保護してもらうよう、お勧めしておいたわ。万一、リケルメの気が変わって、また太一先生をさらいにくるとことがないとは言えないでしょ」
「太一先生は、警察に通報しそうでした?」
 アオイの頭の中では、太一先生は、あくまで「教える側・面倒を見る側」の人で、他人の勧めに従う姿が想像できない。
「『園』から警察に捜索願が出ているから、所轄の警察署に事情を話して頼めばパトカーで迎えに来てもらえるはずだと、お話した。ご自分で警察署に行くのは危険だと申し上げたら、『わかっています』とおっしゃっていたわ」

 一瞬ほっとしかけたアオイは、これが喜んでばかりいられる状況ではないことに気づいた。いや、「喜んでいられない」なんてもんじゃない。ミツキに最悪の事態が起こっていることを心配しなきゃいけない!
「太一先生がこんなに早く解放されたのは、ミツキが自分の解体と引き換えに太一先生の解放を頼んだからに違いない。どうして、ミツキ達を止めてくれなかったんだですか!」
「止めて、止まる感じじゃなかった」幸田が答える。
「はぁ、阿呆なこと抜かしてんじゃないよ! あの時、幸田は、まだ絶不調だったぞ。止められるかどうか判断ができたはずがない」
「そこを突かれると……」

 アオイが幸田にビンタをかまそうとした手を、「M」につかまれた。まさかと思うような、強い力だった。
「私にも、ミツさんは、とても止められそうに見えなかった。それに、今頃作戦を練ることになったのは、私が偵察の疲れとミツキさん達に愛想をつかされたショックで頭が働かなくなったからなの。それで、幸田君に勧められて、一眠りしたの」

 はぁ? ミツキ達を止めなかったばかりか、次の手を打たずに眠ったですって! 
「ひどい、イイ加減すぎです。頭が働かなくても、足は動いたでしょう。あの場で止められなくても、病院まで追っかけていけばよかった」
「ひどい、本当にひどい」と繰り返しているうちに、目に涙があふれてきた。一粒、畳に落ちると、後が止まらなくなった。アオイは、おんおん泣き出してしまった。

 あたしは、この二人の大人に命を預けているのに、この二人は、こんなにイイ加減で頼りないだなんて。いや、ちょっと待てよ。あたしが信じてきた二人が、特に「M」がそんなダメな人間なはずがない。「M」には、なんか、目論見があったはずだ。
 頭を一つの考えがよぎった。そうだ、それに違いない。アオイは涙が流れるまま顔を上げて「M」を見た。
「『M』さんは、ミツキがリケルメの所に行ったら、太一先生が解放される事を見越してたんですよね。だから、こうして、太一先生が解放されたのを確認してから作戦を立てようとしてる。ミツキがすぐには解体されないという確かな見通しもあるんですよね。そうですよね。そうだと言ってください」
 涙が川のように顔を流れ落ちる。

「M」が茶色の美しい瞳を大きくしてアオイを見つめてきた。
「「そのとおり!」って言えたらどれほどいいでしょうね。でも、私は、たとえアオイさんを安心させるためでも、アオイさんにウソをつきたくない。太一先生がこんなに早く解放されるとは思ってもいなかった。『あすなろ園』に電話したのは、ひょっとしてと思ったからで、計画的な行動ではないの」
「ウ、……ウソでしょ」

「M」はボロボロ泣いているミツキの肩に手を置いた。
「アオイさん、ゆうべから今朝にかけてミツキさん達を助ける手を打てなかったことは、本当に、ごめんなさい。私の力の限界でした」
「そんな泣き言、聞きたくない」
 アオイが「M」の手を払いのけようとしたが、「M]は、両手にぐっと力を込めた。
「でも、私には、まだ出来ることがある。思いがけず太一先生が解放されて、人質の数が減った。その引き換えにミツキさんが解体されてしまったかもしれない。でも、私は、解体されていない可能性に賭けたい。それと、もう一つ、大きなアドバンテージがある。リケルメが、どうして、午後三時を待たずに太一先生を解放したと思う?」

 くだらない泣き言を吐きやがってと怒りで一杯だったアオイの頭に、「M」が投げかけた問いが割り込んできた。リケルメは、なぜ、午後三時を待たずに太一先生を解放した? 午後三時になっても、あたしが行かないと思ったから? なぜ、そう思った?  
 はっと気づいた。リケルメに、アオイは来ないと言おうとしてた人間が、ひとり、いた。ミツキだ。
「ミツキが『アオイは絶対に来ない』と言って、リケルメがそれを信じたから?」

 背中に大きな手が添えられた。幸田の手だ。
「リケルメがアオイを待たなかったのには、もう一つ、理由がありそうな気がする。アオイが非接触放電をすると、稲光が走る。そうだよな」
「そうだよ、だから、あたしは暗殺兵器には使えないと言われた」
「誰から、そう言われたんだ?」
「あいつだよ、慧子だ。レノックス博士だよ」
 アオイは、はっとした。そのレノックス博士が、今、リケルメと一緒にいる。
「慧子が、リケルメに、あたしは暗殺には使えないと言ったかもしれない」

 幸田がアオイの背中に置いた手にじわっと圧を加えてきた。
「私達は、リケルメが君達を解体して設計図代わりに使うと想定した。でも、その想定は、もしかしたら、間違っていたかもしれない」
「どういうことだ?」
 アオイが手で涙を拭こうとすると、「M」が自分のハンカチを差し出してきた。「M」のハンカチは洗濯したての清潔な香りがした。
「リケルメが、どこかの顧客に近々に生体兵器を引き渡す約束をしていると仮定してみるんだ。この場合、リケルメは、君を解体して設計図代わりに使うのではなく、レノックス博士に君を改装させた上で、その顧客に売ろうとしているのかもしれない」
 言われてみると、あり得ない話ではないような気がしてくる。
「しかし、レノックス博士が、君を暗殺兵器に仕上げることは不可能だと反論し続けたら?」
「幸田、ちょっと待て。それは、慧子があたしを庇うことになる。慧子に、あたしを庇う、どんな理由がある?」
「その答えは、君が一番良く知っているはずだ。四年間レノックス博士と暮らし、勉強を教わり、一緒に映画を観ていた君なら、わかるはずだ」

 思いがけず、熱いものがアオイの胸にこみ上げてきた。
「あいつは、慧子は……人間じゃない。研究に取り憑かれた魔物だ。だけど、研究を離れた慧子は、あたしに優しかった。国防総省の連中があたしをモノ扱いする中で、慧子だけは、あたしを人間として大切にしてくれた。それだけじゃない。慧子は、あたしが秘密研究所から逃げ出すのを助けてくれたんだ」
 幸田が「ええっ」と驚いて、アオイの背中に置いた手を離す。
「どうして、そんな大事なことを、今まで言わなかった?」
「慧子が、国防総省にいたからだ。慧子が国防総省にいる間は、慧子があたしの脱走を助けてくれたことは、決して口にしないと自分に誓っていた」
「参ったな」と幸田がつぶやく。

 絶対に言うまいと思っていたことまで、言ってしまった。それでも、まだ、絶対に言うわけにいかいことが、一つ、残っている。「慧子は、あたしにとって第二のお母さんだ」とは、口が裂けても言えない。

「M」がアオイの肩にかけた手に力をこめてきた。
「希望的観測に過ぎないと言われてしまえば、それまでだけど、リケルメはミツキさんのことも、解体して設計図代わりにするのではなく、レノックス博士に手を加えさせてから売ろうとしているかもしれない」
「ミツキは、まだ解体されていないかもしれないって言いたいのか?」
 アオイは「M」のハンカチで涙をぬぐいながら、「M」が言っていることも完全には否定できないと思い始めていた。
 あたし達は、聖命会総合病院に生体兵器工場があって、そこに慧子がいたという偵察結果から、一足飛びに、慧子があたし達を設計図代わりにして新しい生体兵器を開発しようとしていると決め付けていた。
 しかし、そうではない可能性だって、あるんじゃないか?

「私と幸田君には、ミツキさんを助け出すために、まだ、出来ることがあるに違いない。それをやり遂げるために、アオイさん、あなたの力を貸して。お願いするわ」
 アオイの肩に手をかけたまま、「M」が頭を下げた。
「アオイ、私からも頼む」

 アオイは、慧子とミツキがどんな間柄だったか、知らない。だけど、もし、幸田が言うように慧子があたしを庇ってくれたのだとしたら、ミツキのことも守ろうとするかもしれない。
 まだ、あたし達には、ミツキを助け出せるチャンスが残っている。それなら、それに賭けなかったら、それこそ「人でなし」になってしまう。

「わかった。みんなで、ミツキを助け出す方法を考えよう」
 過去にばかり囚われていたアオイの心が、すっかり、将来に向き直っていた。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

山科 アオイ (17歳)


アメリカ国防総省の手で、放電型生体兵器に改造された17歳の少女。

直感派でやや思慮に欠けるところがあるが、果断で、懐が深く、肚が坐っている。

山科 アオイ は自ら選んだ偽名。本名は 道明寺 さくら。


両親とドライブ中に交通事故に遭う。両親は即死。アオイは、アメリカ国防総省が日本国内の山中深くに設置した秘密研究所で生体兵器に改造される。

秘密研究所が謎の武装集団に襲撃され混乱に陥った際に脱出。組織や国家に追われる内部通報者やジャーナリストをかくまう謎のグループに守られて2年間を過ごすが、不用意に放電能力を使ったため、CIAに居場所を突き止められてしまう。

幸田 幸一郎(年齢40台前半)


冷静沈着、不愛想な理屈屋だが、あるツボを押されると篤い人情家に変身する。

幸田幸太郎は偽名。本名は不明。


組織や国家から追われる内部通報者やジャーナリストなどを守る秘密グループの一員で、アオイのガードを担当する「保護者」。英語に堪能。銃器の取り扱いに慣れ、格闘技にも優れている。

田之上ミツキ(17歳)


アメリカ国防総省の手で、ターゲットの自律神経を破壊する「脳破壊型生体兵器」に改造された17歳の少女。知性に秀で、心優しく思慮深いが、果断さに欠ける。15歳までアメリカで育った。

田之上 ミツキは、本名。


両親、妹のカスミとアメリカ大陸横断ドライブ中に交通事故にあう。両親は即死。ミツキとカスミは生体兵器に改造されるために国防総省の特殊医療センターに運ばれるが、カスミは改造手術中に死亡。ミツキだけが生き残る。

国防総省を脱走したアオイを抹殺する殺し屋に起用されたが、アオイが通うフリースクールに転入してアオイと親しくなるほどに、任務への迷いが生まれる。

田之上 カスミ(15歳)


田之上ミツキの妹。ミツキと同時に人間兵器に改造される途中で死亡するが、霊魂となってミツキにとり憑いている。知的、クールで果断。肉体を失った経験からニヒルになりがち。


普段はミツキの脳内にいてミツキと会話しているだけだが、ここぞという場面では、ミツキの身体を乗っ取ることができる。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み