10. 新任教師/胸騒ぎ

文字数 3,602文字

 フリースクールの登校二日目、ミツキが学校に着くと、数人のおチビちゃん達が「ミツキお姉ちゃん、おはよう」と寄ってきた。昔から、ミツキは子どもに好かれる。ふと目が合うと、ミツキは必ず微笑みかけるし、すると、子どもが寄ってくる。
 以前、サンフランシスコのケーブルカーで隣の黒人の母親が抱いていた二歳くらいの女の子と目が合って笑みを交わしているうちに、アイスクリームのついた手でよそ行きの上着をベタベタにされたことがある。気づいた母親が「Sorry」を繰り返しながら、自分のハンカチで拭き取ろうとしてくれたのは、懐かしい思い出だ。

 アオイが、学習室で本を読んでいた。
「アオイさん、おはよう」
「ミツキ、おはよう。あたしのことは、『アオイ』と呼び捨てでいいよ。あんた、子どもに好かれるね。昨日来たばかりなのに、もう、取り巻きがいるじゃないか」
「いえ、それは……」
「あれか、10歳以下、60歳以上には無敵ってやつか?」とアオイがからかう。
「あたしは、15歳以上45歳以下には無敵だからな。今度、見せてやるよ」と笑ってアオイは読書に戻った。

「おや?」とミツキは思った。アオイは、おチビちゃん達のピーヒャラリが嫌いだと言っていた。本当は、スクールに着いたらすぐ備品庫の「アオイ城」にこもりたいのに、私に朝の挨拶をするために、ここで我慢していたのではないかしら? そう思うと、ますます、アオイを平手打ちしたことが、申し訳なく感じられる。
 すかさず、頭の中でカスミが「はっ、相変わらず、お人よし。アオイは狂犬のような奴だって、レノックス博士が言ったのを忘れたのか?」と突っ込んできた。「朝から、うるさい」ミツキが不機嫌に返すと、カスミは意外にあっさり引き下がった。

「田之上さん、ちょっといいかな?」太一生が教員室から顔を出した。
「はい」とミツキが教員室に入ると、「山科さんを見なかった?」と訊かれる。
「アオイさんなら、学習室にいました」
「あれ、珍しいな。いつもは備品庫にいるから、そっちを見たら、いなかったんだ。学習室か、ほんと、珍しいな」
太一先生が首をひねる。やはり、アオイはミツキを出迎えるために、我慢して学習室にいたのだ。
「呼んできましょうか?」
「いや、ボクが呼んでくるから、田之上さんは、その辺の適当なイスに座ってて」
太一先生が教員室を出ていった。

 すぐに太一先生とアオイが教員室に入ってきた。アオイがミツキの隣の空いた席に座る。太一先生が自分の席に腰を降ろし、話し始めた。
「山科さんに、高卒認定試験を受けるよう勧めてるよね」
「太一先生、そういうプライベートな話をミツキの前でしなくても」
アオイが不機嫌な声を出す。
「あっ、ごめん、ごめん。その件で、ボクに負い目みたいな気持ちがあるから、つい、口にしてしまった。高卒認定試験の話を出しておきながら、ボクは、おチビちゃんたちの面倒見に追われて、ろくすっぽ山科さんの勉強を見ていない。それが、気になっていてね」
太一先生が、本当にすまなそうに言う。

「そこに、山科さんと同じ一七歳の田之上さんが入ってくることになって、高校生にふさわしい学習指導をどうしたらいいかと悩んでいたんだ」
「そういうことなら、お気遣いなく」
と言ってしまってから、アオイは、ミツキにすまないことをしたと気づく。
「あっ、ごめん。あたしが勝手に言っちゃいけなかった。ミツキ、ごめん」
ミツキがもじもじする。
「いいえ……私は、まだ、入ったばかりだから……きっと、アオイさんほど、勉強できないと思うし」
 頭の中で、カスミが食ってかかる。
「ウソつき。アメリカのハイスクールから編入した日本の高校で、たちまち学年一番になったじゃない。そうやって、すぐに謙遜するのは、お姉ちゃんの悪いクセだわ。そのせいで、アメリカで散々苦労したのに」
「ここは、日本よ」
「えっ、ミツキ、今、何か言った?」
しまった、気持ちが声に出て、アオイに聞かれてしまった。
「いいえ、ちょっと独り言……」

「そうしたら、見つかったんだ」太一先生が声を弾ませる。
「フリースクールで高校レベルの英語と数学を教えてみたいというボランティアの大学院生が見つかった。今、応接室で待ってもらっているから、二人に紹介したい」
 アオイとミツキは、太一先生について応接室に入った。
「こちら、川野イズミさん」
 太一先生が手で示した先に、スレンダーで知的な美人だが、アオイには、なんとなく抵抗感のある女性が立っていた。
「はじめまして、川野イズミです。教えるなんて、これが初めてなので、一緒に勉強させてもらう感じで、楽しくやっていけたらと思っています。よろしくお願いします」

 アオイは「あぁ、どうも」と答えながら、大学院生にしては、妙に世慣れた奴だなと思った。といって、本物の大学院生に接したことなど、ないのだけど。
 ミツキは「えっ、あぁ、よろしくお願いします」と答えながら、この人が、ゆうべ、博士とマスムラが言っていた監視役ではないかと疑い始める。
「川野先生は」と太一先生が言いかけると、イズミが、「イズミで結構です」と言って、微笑む。こういう所が世慣れ過ぎてると思うのは、あたしが社会的不適合の傾向があるからかしらと、アオイは自分を振り返る。
「イズミ先生は、今日は、大学院の方で用事があったんだけど、山科さんと田之上さんに少しでも早く紹介したいと思って、無理を言って、来てもらった」
「明日からは、毎日、午前か午後のどちらかに、来ます。よろしく」と、イズミが、また、頭を下げた。

 イズミが去った後、珍しくミツキの方から「『アオイ城』に行きませんか?」とアオイを誘った。城に入り、アオイがコーヒーを淹れ始めると、ミツキが尋ねる。
「アオイさん、イズミさんのこと、どう思います?」
「『どう?』って、言われても……さっき、初めて会ったばかりだから。まぁ、見た感じ、変な人じゃなさそうだった。それに、太一先生とあの人の間では、もう話がついてるわけでしょ」
「そうですね。太一先生は、もう、決めている感じでしたね」

 アオイがコーヒーメーカーからミツキに目を移すと、ミツキが折りたたみイスの上で居心地悪そうにしている。
「ミツキが嫌だったら、断っていいんだよ。あたしは、一年以上、太一先生の世話になってるから義理を感じるけど、ミツキは、昨日来たばかりじゃん」
「でも、太一先生は、私にも気を遣ってくれたわけですよねぇ」

「高校生が二人になったから、それなりの態勢にしておかなきゃと思った。スクール長として、ごく普通の配慮でしょ。ミツキが特に恩に感じる必要はない。ミツキが一人で断りにくかったら、あたしも、一緒に断るよ。あたしも、特に、あのイズミって人が気に入ったわけじゃないから」
「そうなんですか?」
「うん。なんか、引っかかるのよ。あたしの頭の中では、大学院生って、ちょっと頭固そうで、世の中に慣れてないはずなのね。だけど、あの人、変に、なめらかじゃなかった? それに、毎日、半日ずつ顔をだせるって言ってたけど、大学院生って、そんな、ヒマなの?」

 ミツキは考える。イズミ先生が本当に「監視役」だったとして、彼女を拒んだらどうなるか? 頭の中で、カスミが話しかけてきた。
「お姉ちゃん、イズミは、きっと『監視役』だよ。だけど、お姉ちゃんは、断れないよ。そうでなくても、アオイを本当に倒せるか疑われてるのに、『監視役』を拒んだりしたら、国防総省でのお姉ちゃんの立場が悪くなる。それとも、お姉ちゃん、国防総省を敵に回すつもり? そんな無謀なこと、お姉ちゃんは、しないよね」
 痛い所を突かれて、ミツキは動揺する。

「ミツキ、イズミに勉強を教えてもらうのは、断ろう。あたしは、高卒認定試験を受けると決めたわけじゃない。今の調子でテレテレやってても、何も困らない」
「あっ、アオイさん、煮え切らなくて、ごめんなさい。私は、新しいことをする時、いつも、こうなんです。太一先生が、せっかく配慮してくれたんです。イズミ先生に教えてもらいましょう」
「それで、いいの?」
「ええ」

 アオイが「ふうーん」とうなって、ミツキの顔を見る。ミツキは思わず、アオイから目をそらす。会話が途切れた。
 先に沈黙を破ったのは、アオイだった。
「まっ、いいか。教えてもらわないと、ウマが合うかどうかも、わかんない」
と、面倒な話を打ち切る口調で言う。
「とりあえず太一先生の顔を立てて、一緒に勉強する。うまくいかなかったら、その時、太一先生に言おう」
「ええ、そうしましょう」
ミツキが細い声で応えた。
 ミツキとイズミの関係は注意して見守った方がいいと、アオイは思った
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登場人物紹介

山科 アオイ (17歳)


アメリカ国防総省の手で、放電型生体兵器に改造された17歳の少女。

直感派でやや思慮に欠けるところがあるが、果断で、懐が深く、肚が坐っている。

山科 アオイ は自ら選んだ偽名。本名は 道明寺 さくら。


両親とドライブ中に交通事故に遭う。両親は即死。アオイは、アメリカ国防総省が日本国内の山中深くに設置した秘密研究所で生体兵器に改造される。

秘密研究所が謎の武装集団に襲撃され混乱に陥った際に脱出。組織や国家に追われる内部通報者やジャーナリストをかくまう謎のグループに守られて2年間を過ごすが、不用意に放電能力を使ったため、CIAに居場所を突き止められてしまう。

幸田 幸一郎(年齢40台前半)


冷静沈着、不愛想な理屈屋だが、あるツボを押されると篤い人情家に変身する。

幸田幸太郎は偽名。本名は不明。


組織や国家から追われる内部通報者やジャーナリストなどを守る秘密グループの一員で、アオイのガードを担当する「保護者」。英語に堪能。銃器の取り扱いに慣れ、格闘技にも優れている。

田之上ミツキ(17歳)


アメリカ国防総省の手で、ターゲットの自律神経を破壊する「脳破壊型生体兵器」に改造された17歳の少女。知性に秀で、心優しく思慮深いが、果断さに欠ける。15歳までアメリカで育った。

田之上 ミツキは、本名。


両親、妹のカスミとアメリカ大陸横断ドライブ中に交通事故にあう。両親は即死。ミツキとカスミは生体兵器に改造されるために国防総省の特殊医療センターに運ばれるが、カスミは改造手術中に死亡。ミツキだけが生き残る。

国防総省を脱走したアオイを抹殺する殺し屋に起用されたが、アオイが通うフリースクールに転入してアオイと親しくなるほどに、任務への迷いが生まれる。

田之上 カスミ(15歳)


田之上ミツキの妹。ミツキと同時に人間兵器に改造される途中で死亡するが、霊魂となってミツキにとり憑いている。知的、クールで果断。肉体を失った経験からニヒルになりがち。


普段はミツキの脳内にいてミツキと会話しているだけだが、ここぞという場面では、ミツキの身体を乗っ取ることができる。

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