28.  投稿映像/サイード元・少佐

文字数 2,455文字

 幸田たちが山小屋に帰り着いた頃、米軍横田基地内の「アオイ・ミツキ破壊作戦本部」が、にわかに慌ただしくなっていた。

 ブリーフィング・ルームに三〇名の本部員が勢ぞろいして折りたたみいすに腰掛け、正面の大型スクリーンに目を向けている。スクリーンには、地面に横倒しになったイノシシの周囲を回りながら撮影した動画が映されている。
「ここは、日の出山ハイキングコースの中間にある広場です。山の中から猛スピードで飛び出してきたイノシシが、突然前のめりに倒れて苦しみだし、そして、身震いして動かなくなりました」動画に合わせて女性の日本語が流れ、マイクを手にした日系の作戦本部員が英語に同時通訳する。
 男性のものと思われる脚が画面に現れ、イノシシを、最初はおそるおそる、次に強く蹴飛ばす。イノシシはピクリとも動かない。
「これ、死んでるよ」男性の声が入り、これも同時通訳される。

「このイノシシは、こちらの」とカメラが一組の親子に向けられると、父親が妻子を懐に抱くようにしてカメラに背を向け、「勝手に撮るな」と厳しい声を出した。
 女性は構わずナレーションを続ける。「こちらの男の子に襲いかかろうとしていました。イノシシが倒れた時、男の子からの距離は、わずか一メートルほどでした」
「イノシシも、突然、心臓発作を起こしたりするんだな。でも、おかげで、その子は命拾いしたんだよ」と男性の声。
 同時通訳がheart attackと訳すと、オペレーション・ルームが、ざわめいた。

 カレンは、オペレーターに動画を止めるよう指示し、マイクを手にスクリーンの、前に立った。
「この動画は、一時間前に、NSAの電子的監視チームから送られてきたものです。動物専門の動画投稿サイトにアップされた映像を彼らがピックアップしました」
「NSAの連中は、動物の動画サイトまで監視しているのか?」部屋の一隅から呆れたような、からかうような声が聞こえる。
「それなら、ポルノサイトを最優先で監視していそうだな」と別の声が言い、部屋のあちこちで笑いが起こる。

「私が、動物の動画投稿サイトを監視対象に加えるよう、指示しました」というカレンの言葉で、笑いが止まる。
「私は、このイノシシを殺したのが、生体兵器番号21091田之上ミツキである可能性が高いと考えます」
 カレンの言葉に、オペレーション・ルームがざわついた。
「NSAは、市街地の監視カメラもハッキングして監視しているのですよね」
 CIA特殊作戦部隊のウェイド隊長が質問してくる。
「ええ。そして、人間が心臓マヒで倒れる画像が、この二四時間で一〇五人分、送られてきています」
「それなら、イノシシなんかより、人間が心臓マヒを起こした映像の方が重要ではないですか?」
 ウェイドを取り巻いている一五人の特殊部隊員たちが一様にうなずく。

「ハートアタックを起こした一〇五人のなかに、日本人協力者も含めて、CIAおよび国防総省の関係者は一人もいませんでした」
 慧子がウェイドの質問に答え、最前列にいたマスムラが立ち上がり、本部員たちを見渡しながら「一〇五人について、21091が脳破壊攻撃を仕かける動機が見当たらないのだ」と補足した。

「だが、イノシシを殺す動機はあった」
 ウェイドの言葉に、特殊部隊員たちの間に笑いが広がる。
「ええ、動機はある。動画を投稿した女性が真実を語っているなら、イノシシは、幼児を襲おうとしていた。人間なら、幼児を守るためにイノシシを殺す動機がある」
「博士、生体兵器はマシンであって、人間ではありません」ウェイドが返す。本部員たちの視線が一斉にカレンに集まる。
「確かに21091はマシン、兵器です。しかし、田之上ミツキという少女を脳破壊型生体兵器21091に改造した時、彼女の人間としての心を抜き去ったわけでもありません」
「博士は、21091を人間の心を持った兵器だとおっしゃるのですか?」
 とウェイドが食い下がる。

 オペレーション・ルームの最後尾で、アラブ系の風貌をした平服姿の男性が立ち上がった。
「私は、生体兵器番号21081だ。人間だったころは、シールズのイズマイル・サイード少佐だった。当時と今とで、命に替えてもアメリカ合衆国を守るという信念は変わらない。兵器になっても人間だった時の心が消えるわけではない」

 少佐の言葉を受け、周りに座っていた2108シリーズの面々が立ち上がった。全員がアラブ系の顔立ちをしている。
 生体兵器はイスラム系テロリストの暗殺作戦が主たる用途のため、米軍の特殊部隊に所属するアラブ系アメリカ人の中から密かに候補が選ばれ、さらに、その中から志願した兵士を改造していた。サイード元・少佐は志願者第一号で、軍隊での階級も最も高く、四機の生体兵器のリーダー格だった。

 ウェイドが何か言いかけて、飲み込んだ。ウェイドはCIAの人間で軍人の階級は適用されないが、軍の特殊部隊と共同作戦する際は、大尉格として扱われる。軍人時代に少佐だったサイードに対して、さすがに遠慮が働いたのだろう。

 生体兵器番号21081、元サイード少佐が話を続けた。
「私は21091に護身術を指導した。兵士として優秀とは言い難かったが、思慮があり、人を思いやる心の深い少女だった。あの子なら、幼児の命を守るためにイノシシを殺したとしても、不思議はないと考える」
「ありがとう、サイード少佐」とカレンが応じると、サイードがが「元・少佐です。今は、21081です。マダム」と上官に対する礼を取って返してきた。

 マスムラがスクリーンの前に出てきた。
「ブラックマン博士と私は、21091田之上ミツキが、21085山科アオイと共に、日の出山周辺の山荘、山小屋、キャンプ場等に潜んでいるものと確信している。明朝六時から、日の出山周辺でアオイ・ミツキの探索・破壊作戦を開始する。これから作戦要領を説明する」
 室内が静まり返った。
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登場人物紹介

山科 アオイ (17歳)


アメリカ国防総省の手で、放電型生体兵器に改造された17歳の少女。

直感派でやや思慮に欠けるところがあるが、果断で、懐が深く、肚が坐っている。

山科 アオイ は自ら選んだ偽名。本名は 道明寺 さくら。


両親とドライブ中に交通事故に遭う。両親は即死。アオイは、アメリカ国防総省が日本国内の山中深くに設置した秘密研究所で生体兵器に改造される。

秘密研究所が謎の武装集団に襲撃され混乱に陥った際に脱出。組織や国家に追われる内部通報者やジャーナリストをかくまう謎のグループに守られて2年間を過ごすが、不用意に放電能力を使ったため、CIAに居場所を突き止められてしまう。

幸田 幸一郎(年齢40台前半)


冷静沈着、不愛想な理屈屋だが、あるツボを押されると篤い人情家に変身する。

幸田幸太郎は偽名。本名は不明。


組織や国家から追われる内部通報者やジャーナリストなどを守る秘密グループの一員で、アオイのガードを担当する「保護者」。英語に堪能。銃器の取り扱いに慣れ、格闘技にも優れている。

田之上ミツキ(17歳)


アメリカ国防総省の手で、ターゲットの自律神経を破壊する「脳破壊型生体兵器」に改造された17歳の少女。知性に秀で、心優しく思慮深いが、果断さに欠ける。15歳までアメリカで育った。

田之上 ミツキは、本名。


両親、妹のカスミとアメリカ大陸横断ドライブ中に交通事故にあう。両親は即死。ミツキとカスミは生体兵器に改造されるために国防総省の特殊医療センターに運ばれるが、カスミは改造手術中に死亡。ミツキだけが生き残る。

国防総省を脱走したアオイを抹殺する殺し屋に起用されたが、アオイが通うフリースクールに転入してアオイと親しくなるほどに、任務への迷いが生まれる。

田之上 カスミ(15歳)


田之上ミツキの妹。ミツキと同時に人間兵器に改造される途中で死亡するが、霊魂となってミツキにとり憑いている。知的、クールで果断。肉体を失った経験からニヒルになりがち。


普段はミツキの脳内にいてミツキと会話しているだけだが、ここぞという場面では、ミツキの身体を乗っ取ることができる。

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