21. 歩み寄り/命令
文字数 2,111文字
「これで、『手打ち』のつもり?」
慧子はグラスを受け取りながら皮肉をこめた目でカレンを見上げた。
「この程度であなたの怒りが収まるとは思わないけど、まぁ、こちらとしては歩み寄りたいという意思表示といったところかしら」
カレンが形のよい唇にかすかに笑みを浮かべて見せた。
カレンが特殊兵器局長の指示で慧子には秘密でアオイ抹殺のゴーサインを出したことを、すでに、カレンから聞かされていた。一応、その場は激怒し、特殊兵器局長に抗議の電話も入れたが、すべて芝居だった。慧子は、そういう横槍は織り込み済みだった。
慧子は、自分が特殊兵器局長から信頼されていないことを知っている。一貫して、東南アジア、東アジアの少女を生体兵器に改造することに反対してきたからだ。命惜しさからプロジェクトに手を染めてしまったが、本心では納得していないことは、誰の目にも明らかだ。
現実に、二年前には、アオイが秘密研究所から逃げ出すのを助けた。そのことが露見しかけて査問にかけられた。結果は証拠不十分で無罪放免だったが、秘密兵器局のほぼ全員が、慧子を限りなく黒に近いグレーな存在と見ている。
今回、アオイ狩りの指揮を任せられたことでアオイに続けてミツキも国防総省から解放するチャンスを得てそれを活かせたことは、慧子にとっては僥倖だったが、常識的に考えると、あり得ないことが起こったような気もしている。
慧子はジンジャーエールで口を湿して、「あなたとは長い付き合い、腐れ縁みたいなものだから、歩み寄るのはいい。だけど、ミツキが敗れて連れ去られた以上、私は、これでお役御免。アメリカに帰る。あとは、あなたに任せたわ」と答えた。
「あら、ずいぶん、無責任な人ね。自分が手塩にかけて作り上げた生体兵器二機が行方不明なのに、独りでアメリカに逃げ帰るつもり?」
「二人とも、私のことが嫌いで逃げたのよ。私がウロウロしてたら、ますます、逃げるだけだわ」
カレンが形のよい両眉を上げて、子どもの過ちを指摘する母親のような顔をしてみせる。
「嫌われて逃げられたの? だったら、嫌われたことに責任があるんじゃない?」
「嫌うのは向こうの勝手。嫌われることに、責任なんか持てない」
「きっと、嫌われるようなことを言ったり、したりしたのよ。その言動について、責任を取らないと」
慧子は、この遠まわしな会話が面倒になってきた。
「私に何か用があるのなら、ハッキリ言ってちょうだい。その中身によって、どうするか、判断するから」
カレンが「チッチッ」と舌で音を立てながら、人差し指を唇の前で振って見せた。
「あなたには、もう、判断する権利はないの。先ほど、国防総省特殊兵器局長から指示が来て、あなたは、私の指揮下に入った。だから、私の言葉は上官の言葉として聞かないといけない」
相変わらず、イヤミなオンナだ。
「だったら、遠まわしにイヤミを言ってないで、どういう形で責任を取れと命令しなさいよ」
慧子は椅子から立ち上がって、カレンと正面から向き合った。といっても、カレンが5センチほど長身なので、やや見上げる形になる。
「では、責任の取り方を指示する。アオイの生体トラッキング・システムのレシーバー二台を再製作しなさい。アメリカからデータを取り寄せれば、こちらで作れるでしょ」
アオイは、国防総省の秘密研究所から逃げ出す時に、予備も含めた二台のレシーバーを持ち出していた。現在、国防総省には、彼女の行方を追尾できるレシーバーはない。
アオイの住居と通学先を特定できていたからレシーバーを作り直す話は持ち上がらなかったが、アオイを見失った今、カレンは、レシーバーが必須と考えているのだろう。
「命令とおっしゃるなら作る。だけど、あんまり役に立つと思わない。第一に、有効範囲が五キロしかない」
「そんなことは、わかっている。居所を五キロ圏内までつきとめるのは、こっちでやる」
「五キロ圏内で使用したとしても、二年間、補正していないレシーバーが、どのくらい正確にアオイの居所をトラックできるか、わからない」
人間は生き物だから、月日が流れると体内環境が変化し、体内に留置したトランスミッターが発する信号も変わっていく。だから、現役で稼働中の生体兵器では、半年に一度、生体トラッキング・システムを補正している。
しかし、アオイの場合、この二年間、一度も補正していない。しかも、この間、彼女は、思春期の真ん中にあって、体内環境の変化も大きかったはずだ。
「そんな事は、言われなくても、わかっている。ただ、この際、使えそうなものは、なんでも使うしかない。繰り返すわ。二年前の設計どおりでいいから、山科アオイの生体トラッキング・システムのレシーバーを二台、再製作しなさい」
「わかりました、ボス」と慧子は肩をすくめて答えた。