20. 神への感謝/秘めた目的
文字数 2,300文字
パソコンは、アオイが住んでいたマンション前の防犯カメラから盗み取った動画を映している。アオイが連れの男性とマンションから出てくる。そこへ、一台のハッチバックが高速で迫ってきて、急ブレーキで車体をほとんど九〇度回転させながらアオイ達の前で止まる。アオイの連れの男性がハーフコートのポケットから拳銃を抜く。
車の運転席から女性が降り立つ。腕を上げ、男性に銃の狙いをつけようとした時には、もう、男性が放った銃弾が女性の頭部に到達している。女性は仰向けに倒れ、その姿は車の陰になって見えなくなる。
この男性が何者かはわからないが、銃器の扱いを徹底して訓練されたプロに違いない。彼の動きは、無駄なく、正確で、スピーディだった。
ミツキは助手席から飛び出した。アオイに正対しようとしているところに、アオイから放たれた一筋の閃光を浴びて、ミツキは後方に一メートルほど飛ばされ、背中から道路に落ちた。
速い! ミツキの攻撃意図を確かめてから放電したとは、とても思えない速さだ。相手はクラスメートだというのに、アオイには、一瞬の迷いもためらいも見られない。
慧子は、アオイは無意識にミツキを攻撃したのだと考えた。その証拠に、自分がしたことがわからないと言わんばかりに驚き、口を大きくあけて、ミツキに駆け寄っている。
連れの男性がアオイとミツキの間に割って入り、ミツキに銃をつきつける。すると、止めようとするが、アオイは男性に何かを言って、ミツキの上に身を投げ出す。ここでは、アオイは、明らかにミツキを守ろうとしている。
アオイが男性を振り返り、二人の間に短いやり取りがあって、男性がミツキを抱き上げてアオイとともに駆け出し、監視カメラの視界から出て行った。
慧子は、この映像を一〇回以上見直し、根拠薄弱な自分の仮説が正しかったことを、神に感謝した。
慧子は、ミツキにアオイを殺せるとは、初めから考えていなかった。ミツキは脳破壊能力で人を殺せと命じられても、能力を全開にできる子ではない。
たとえ正当防衛でも、相手を殺すまでは、できない。これについては、確信があった。だから、ミツキをアオイ抹殺に差し向けるよう提案し、幸運なことに、その提案が通った。
根拠薄弱な仮説というのは、アオイが自分の命を脅かされた時には、ターゲットをねらい定めて放電でき、しかも、相手が死に至らないように出力調整できるというものだった。この仮説は、アオイの稼動試験中に、一回だけ行った試みに基づいていた。
稼動試験でアオイが非接触放電すると、身体から稲光が走り、標的の周囲五メートル以内の人間を「皆殺し」にしていた。
ただ、「皆殺し」と言っても、実際に生きた人間の命を奪ったわけではない。稼動試験の標的にはダミー人形を使うからだ。被験用ダミーは、自動車の衝突試験で使うダミーと同じ外観で、放電を受けた際のダメージを測定する計器が全身に取りつけられている。
稼動試験では、このダミーを二〇体、市街地を模した試験場に配置し、その中で、アオイから二〇メートル先のダミー一体を狙って非接触放電をさせた。この実験ではアオイの放電は標的だけでなく、標的の周囲五メートル以内のダミーに致命的なダメージを与えていた。それが、「皆殺し」の意味だ。
稲光を発するだけでも暗殺兵器としては大きな欠陥だし、ターゲットの周囲の人間を巻き添えにしてしまうのでは、完全に暗殺兵器失格。それが、アオイだった。
ある日、慧子は、ふと、アオイが意志も感情もないダミー人形ではなく、アオイの命を奪おうとする生き物と対峙したらどうなるだろうという好奇心を持った。
慧子は、アオイを試験場に入れてから、毒を無害化したコブラを放り込んでみた。コブラがアオイに向けて首をもたげた瞬間、アオイからコブラに向けて青白い閃光が走り、コブラは動きを止めた。
ところが、コブラは、死んでいなかった。一〇分後、コブラは息を吹き返して、動き出したのだ。
この実験はアオイをひどく怒らせ、アオイはその後三ヶ月、いっさいの稼働実験を拒否し続けたので、慧子は、二度とアオイの自己防衛能力を試す実験は行わなかった。
しかし、慧子は、このたった一度の実験から、アオイは自己防衛のためなら狙い定めて放電でき、しかも相手を殺さないよう放電を抑制できるという仮説を抱いたのだ。
今回、この仮説を頼みに、ミツキをアオイに差し向けた。アオイはミツキに命を狙われたら、ミツキ一人に狙い定めて非接触放電するが、決して、ミツキを殺すことはない。そう自分に信じさせた。
それは、危険な賭けだった。アオイが慧子の想定を上回る放電をしたら、ミツキの命がないところだった。幸運なことに、慧子は、賭けに勝った。
「神様、ミツキの命をお救いください、ありがとうございます」
慧子は、繰り返し、神に祈りをささげた。日本で生まれ育った慧子は、頭では緩やかに仏教徒のつもりでいるのだが、こういう場面になると、周りのアメリカ人たちの影響で神に感謝を捧げることになる。
慧子は、二年前アオイが国防総省から逃亡するのを助け、今、ミツキをアオイに合流させることに成功した。自分の命惜しさから二人の日本人少女を生体兵器に改造してしまった罪を少しでも償うことができた。慧子の魂はつかの間の平穏をかみ締めていた。