41. 「少しでもマシ」で済むこと/済まないこと
文字数 2,812文字
カスミが「M」に尋ねる。
「それを説明するには、ちょっと、前置きが必要ね。私と幸田君は、つい最近まであるグループに属していたの。そのグループは、国の治安機関とか大企業とか犯罪集団とか、大きな組織に命を狙われている個人をかくまうことを仕事にしていた」
「組織に追われる個人を守る『シェルター』ってこと?」とカスミ。
「カスミさん、上手いことを言うわね。その喩えを使わせてもらうわ。『シェルター』に身を潜めていた人の中に、エル・リケルメの武器密売組織を追及してリケルメから命を狙われたジャーナリストがいた。ところが、ここ三ヶ月ほど、『シェルター』から彼に連絡が取れなくなっていた。そうしたら、今朝、突然、そのジャーナリストの保護者に、この動画が送られてきたの」
「保護者っていうのは、あたしたちにとっての幸田みたいな存在」とアオイがミツキとカスミに説明する。
「そうね。アオイさんは未成年だから、幸田君が同居しているけど、普通は、保護者とその庇護対象者は離れて暮らして定期的に連絡を取り合っている」「M」が捕捉した。
幸田があぐらをかいて両脚の間の畳を見つめたまま、
「連絡が取れなくなったジャーナリストは、リケルメに捕まるか殺されるかしてしまった可能性が高い。リケルメは、ジャーナリストが持っていたスマホで人質に取った太一先生を撮影し、 ジャーナリストの『保護者』にLINEで送りつけてきたのだろう」
と言った。
ミツキが遠慮がちに「M」に尋ねる。
「そのジャーナリストの人が武器商人に見つかってしまったのは、武器商人の取材を続けていたからでしょうか?」
「そう思う。続けていたというより、多分、再開したのでしょう。三か月前、『シェルター』に入ったら取材は止めるという約束を破ってリケルメの取材を再開すると決心して、『保護者』から連絡が取れなくしたのだと思う。」と「M」が答えた。
「えっ、『シェルター』に逃げ込む時は、『もう悪党どもには関わりません』って約束するのか? それじゃ、シッポを巻いて逃げるのと同じじゃないか? 根性がなさ過ぎる!」カスミが怒り出す。
「カスミ、それは言いすぎじゃないの」とミツキがいさめる。同じミツキの顔が、カスミが発言している間はシャープでクール、ミツキに戻ると穏やかで温かになるから、実に面白い。
「M」が穏やかに説明する。
「カスミさん、『シェルター』は隠れ家であって、闘うための基地ではないの。そうしないと、『シェルター』の中にいる全員の安全を守れない」
「なんで、自分を抹殺しようとする組織と闘っちゃいけないんだ? それって、正当防衛だろう」
と、カスミが食い下がる。
「M」がカスミ顔になっているミツキに優しい目を向けた。
「カスミさん、良い質問だわ。では、ちょっと考えてみましょう。外部の組織Aに追われて『シェルター』に逃げ込んできた人が、『シェルター』に入ってからも組織Aと闘い続けたとするわ。すると、組織Aが『シェルター』の存在を知ってしまう可能性が高いでしょ。ところで、国の治安機関とか大企業とか犯罪組織とかの間では、色々な情報が行き交っている。だから、『シェルター』のことを組織Aに知られたら、芋づる式に、組織B、C、D……と、『シェルター』を知る組織が増えて、とうとう、『シェルター』が安全な隠れ家でなくなってしまう」
アオイはカスミバージョンのミツキに話しかけた。
「私たちがCIAの追っ手と闘うことになったから、『M』さんと幸田は『シェルター』を離れたのよ」
「その通り。CIAには、私と幸田君の二人だけであなたたちをかくまっていると思わせたかった」と「M」が加えた。
「あたしは、納得できない」
とカスミが厳しい声で言う。
「それって、闘うのを諦めた臆病者に合わせるって事じゃないか! そんな臆病さを認めていたら、個人を抹殺しようとする横暴で傲慢な組織が野放しになる! アメリカ国防総省は、これからも、普通の女の子を捕まえて人間兵器に改造し続ける。そんなのおかしい!」
「そう、おかしい」
「M」が、カスミの厳しい視線を正面から受け止めて、静かに微笑んだ。
「世界を『良い所』にしようと考えるなら、闘わずに逃げるのはおかしい。おかしいどころか、ダメね。でも、世界を『少しでもマシな所』にしようと考えるなら、悪の犠牲者を減らすだけでも価値がある。私は、そう考えているの」
幸田がアオイを見ながら言う。
「アオイが生体兵器に改造されたのは、アオイにとって、許しがたいひどい事だった」
アオイが目でうなずく。
「だが、アオイが国防総省の暗殺者として使われるとしたら、それは、アオイにとってもっとひどい事だと、私は思う。私はアオイの人生が良くなる手助けはできなかったが、『さらに悪くなる』のを防ぐ努力をしてきたつもりだ」
「わかってる」と答えて、アオイは続けた。
「あたしは、あたしから普通の生活を奪った国防総省とCIAが憎い。ぶっつぶしてやりたい。でも、あたしがどんなに頑張っても、「M」さんや幸田の助けを借りても、国防総省とCIAをぶっつぶすことはできない。だったら、連中の好きに利用されなければ『少しでもマシ』だ」
「あんたは、『少しでもマシ』で我慢すんのか!」カスミがアオイに食ってかかってきた。
「あたしは、それで我慢する。あんたが『少しでもマシ』程度じゃ我慢できないことは、よくわかった。ここで、ミツキの意見も聞いてみようじゃないか」
「お姉ちゃんが、あんたたちに調子を合わせる人間だと知ってて、そういう事を言うのは卑怯だぞ」ミツキを乗っ取ったカスミが憎々しげにアオイをにらんだ。
今はいつものクールさを忘れて熱くなっているカスミの表情の下から穏やかなミツキの表情が現れてくる。
「カスミ、私にも、言わせて」
「お姉ちゃん、どうせ、イイ子ぶりっこして、この臆病者たちに調子を合わせるんでしょ」
「カスミ、いいから、ともかく、話させて」ミツキがいつになく強い調子で言う。
「なら、どうぞ」カスミが不服そうに引っ込む。
「私は、『M』さんがおっしゃることも、アオイさんがおっしゃることも、よくわかります。私も、この世界は『少しでもマシ』で自分を納得させないと生きていけないくらい、ひどい場所だと思っています」
ミツキは「でも」と言って、強い瞳で「M」とアオイを見つめた。ずっとうつむいていた幸田も、顔を上げてミツキを見る。
「でも、太一先生を人質に取られてしまった私たちは、闘わなければいけません。武器商人に勝てるかどうかは、わかりません。でも、太一先生は、命に代えても助ける。そうしなかったら、私たちは人間でなくなってしまいます」