34. 武器商人/シンシア・ブラウニング)
文字数 3,131文字
ノックが止み、静けさが続いた。カレンは、不安になり、つい、「私がことわっても、いつでも入ってこられるのでしょう。勝手に入ってくればどう?」と言ってしまう。
「その通り。だが、私は、一応礼儀を尽くすタイプでね」
ややしわがれているが力強い声とともに、長身の男性が入ってきた。やせているが、骨太で 頑健そうな身体つき。「地中海人種」と呼ばれる人たちに見られる、様々な人種がミックスされたような顔をしている。色はやや浅黒い。少しカギ鼻気味なのが気になるが、十分にハンサムな容貌だ。年齢は不詳。ただ、目のふちに刻まれた小さなシワから、決して若くはないことがわかる。
男性はマスムラと違って折りたたみイスを持っていなかった。カレンから二メートルほど離れたところに立って、カレンの全身を見渡した。
「仕事の事を忘れて、ずっとあなたを見つめていたくなる。さすが、国防総省随一の美人と言われるだけの事はある」
「私には、人間を容姿で値踏みする趣味はない」
「ほぉ、だが、美人であることのメリットは遠慮なく享受してきたのではないかな?」
「あなたの今の発言は、セクハラです。私は、科学者としての実力で今の地位を築いてきました。私のキャリアと私の容姿は無関係です」
「君はそのつもりでも、周りの男どもは、どうだったかな? 彼らは、他の女性には提供しないプラスアルファの好意を、君に示してきたはずだ。君が相手だと、他の女性には差し伸べない 助けを提供するとか、君がしでかした多少の不始末は笑って流すとか、一件、一件は、ほんの些細な、このくらいの好意だが」と言って、男性が右手の親指と人差し指の間にわずかな隙間を作ってみせた。
「しかし、それが積もり積もると、大変なアドバンテージになる」
「それが、全て無償の好意なら、そうでしょう。でも、男性という種族は、無償の好意とは縁遠い動物らしく、望んでもいない些細な好意に対して法外な見返りを期待されて、迷惑極まりないことが多い。もっとも、私をこんな粗雑に扱っているあなたは、そういう事はなさそうだけど ……それとも、あなたも、このロープを解いたら、その見返りを求めてくるのかしら?」
男性が瞬間移動したよう目の前に現われ、次の瞬間には、サバイバルナイフをカレンの喉元に突きつけていた。カレンに、自分が息をのむ音を聞こえた。
男性が目にも止まらぬ速さでナイフを操り、イスの脚の周りに、たちまち、ロープの切れ端が積もる。
「博士、私が、この程度の労力に対して見返りを期待するようなちっぽけな人間に見えるかね?」
「いいえ」カレンは声を震わせまいと必死だった。
「それなら、よろしい。私が寄り道したのが、いけなかった。本題に入ろう」
男性が、カレンの全身を眺め渡せる位置まで後退した。カレンは、男性の左頬を縦に貫く傷跡があることに気づいた。
「まだ、自己紹介をしていなかった。私は、エル・リケルメ。エルとでも、リケルメとでも、 好きに呼んでくれればいい。職業は武器商人だ。ただし」と言って、リケルメと名乗った男性が語気を強めた。
「私は、アメリカ、ロシア、中国から兵器の技術を盗んで、世界に売っている。大国どもが世界を牛耳ろうとする傲慢な姿勢が不愉快なのでね」
「そうすると、あなたの取引相手は、もっぱら『ならず者国家』かテロリストということになる」
「『ならず者国家』か……。懐かしい言葉だな。かつては、北朝鮮がそう呼ばれていた。しかし、私は、あの国とも付き合わない。あの国を独占している金一族が嫌いなのでね」
「でも、テロリストとは商売をしている」
「テロリスト? アルジェリア独立戦争の闘士たちは、フランス人から見ればテロリストだった。いや、穏やかで平和な生活を願っていたアルジェリアの人々から見てもテロリストだっただろう。建国前後のイスラエル人は、周囲のアラブの人々に対してテロリストだった。レーニンは、帝政ロシアにおいては間違いなくテロリストだった」
「あなたは、テロを正当化するつもり」
「いや。単に、歴史の事実を述べているだけだ。私には信仰も思想も信条もない。あるのは金への執着と多少の好き嫌いだけだ」
「味気ない人柄ね」
「偽善や虚飾のないシンプルな人間と言って欲しいな」
「そのシンプルなお方が、私に何の用?」
「私のために生体兵器を作ってもらう。既存の放電型や近距離からの脳破壊型ではない。君が 現在開発中の遠距離脳破壊型だ。開発費ならいくらでも出す。国防総省では、生体兵器に改造 する人間に制約もあったようだが、私のもとでは、何の制約もない。インド人、中国人、日本人、老若男女を問わず、誰でも改造できる。稼動試験に用いるターゲットも、ダミー人形などではない。生身の人間だ。私なら、何十人でも用意できる」
リケルメは、そこで言葉を切り、蛇が笑ったらこんな顔になるだろうという表情を向けて きた。
「どうだね。生体兵器の開発者にとって、これほど魅力的な環境はないだろう?」
「私は、アメリカ合衆国のために身命を捧げている。あなたのような拝金主義の武器商人のために生体兵器を作るくらいなら、死んだ方がマシ」
「『死んだ方がマシ』―そういう事を言う人間は、みな、頭を一発で撃ち抜かれて痛みも感じずに死ねると、勝手に希望している。しかし、世の中には『緩慢な死』というものもある。君が私の脚にとりすがって、『これ以上の痛みを味わわせるくらいなら、今すぐ殺してください』と懇願するような、長い、長い、苦痛の時間の果ての死だ」
カレンの頭に、CIAがテロリストの「協力者」を訊問する場に立ち会った記憶がよみがえった。
爪を一枚一枚はがされるたびに「協力者」が上げた悲鳴が頭の中で鳴る。手の爪を一〇枚、足の爪を一〇枚剥がされても、「協力者」は、何も吐かなかった。
そもそも、彼には、吐くべき内容がなかったのだ。彼は、協力者でもなんでもなかった。CIAの人違いだったのだ。あの後、CIAが彼をどう始末したのか知らないし、知りたくもない。
リケルメが楽しそうにカレンを見た。
「しかし、君を痛めつけて私に従わせたとしても、傷を癒やすのに時間がかかる。君にすぐに 働いてもらうことができない。それは、時間のムダだ。だから、私は、もっと効率的な方法を 選ぶことにした」
と言ってリケルメがポケットに手を入れて何かを操作した。
カレンの正面の壁が左右に開いて、大型の液晶画面が現れた。瑞々しい芝生の庭で、五歳くらいの女の子が、自分の身体よりも大きなゴールデンレトリバーと戯れている。女の子の笑い声がはじけ、レトリバーの尾がちぎれそうになる。
レトリバーの陰になっていた女の子の顔が画面にハッキリ映ったとき、カレンは、思わず「あっ」と声を出していた。
明か
「シンシア・ブラウニング。君が国防総省はもちろん、親しい友人に対して隠し通している君の実のお嬢さん。国防総省随一の美人の娘さんだけあって、五歳にして、将来の美女の片鱗が現れている」
画面の中に狙撃用ライフルのスコープの十字線が現れ、その中央がシンシアの頭部にピタリと据えられた。
「私の命令ひとつで、大口径ライフル弾が彼女の頭を粉々に吹き飛ばす。それでも、私のために生体兵器を作らないと言い張るかね?」
シンシア……。やられた・・・・・・と思った。