18. 真相/一目ぼれ?
文字数 3,963文字
「大事な話とは、なんだ?」
幸田がアオイとミツキを見渡すと、ミツキが居心地悪そうに顔を伏せた。
「マンションの前で何が起こったか、見当がついた」というアオイの言葉に幸田が少し身を乗り出した。
「あの時、ミツキは、ミツキじゃなかったんだ」
「はぁ?」と、幸田が椅子に身体を戻し、疑わし気な目でアオイを見る。
アオイは幸田の反応にはお構いなしに、「アオイの妹のカスミが、ミツキの身体を乗っ取っていたんだ」と続ける。
「妹の、カ・ス・ミ……?」
幸田が噛みしめるように言い、室内を見回す。
「そんな人間、どこにもいないぞ」
「人間じゃない、霊魂だ。アオイに取り憑いてるんだ」
「プッ」幸田が吹き出した。
「本気か? 霊魂に取り憑かれてそれに乗っ取られる。フィクションでは定番だが、現実に起こるわけがない」
「それが、現実に、起こったんだ」とアオイが答える。
幸田が顔全体をクエスチョンマークにしてミツキを見た。
「幸田さんとやら、あんた、頭が固いな。霊魂は実在する。そして、生体兵器・田之上ミツキの力を借りると、こんなことができる」
幸田が突然、両手で頭を抱えた。
ミツキが今まで聞いたことのない、激しい口調で「カスミ、止めなさい」と言う。
幸田が右手で拳銃を抜いた。ミツキに銃を向けようとする手を、アオイがつかんで放電し、幸田はぶるっと震えて、胸からテーブルに倒れこんだ。
ミツキの表情が変わっていた。さきほどアオイと衝突した時と同じカスミの顔になっている。
「カスミ、あんた、ミツキの身体を完全に乗っ取らなくても、ミツキを使って悪さができて、その上、しゃべれんのか?」
「前はできなかったが、今、初めて、出来た。これは、便利だ」
アオイがミツキの腕をつかんだ。
「話に加わるなら、まず、名乗れ。勝手に割り込むと、ミツキが危険な目に遭う」
アオイが軽く電流を送って、ミツキも上半身からをテーブルに倒れこんだ。
アオイは、幸田とミツキが気を失っている間に、パンケーキを焼いた。アオイが作れる唯一の料理だ。コーヒーか紅茶か考えたが、ココアが心を和ませてくれそうな気がして、ココアにした。
まず気を取り戻したのは、幸田だった。慌てて拳銃を取り直そうとするが、拳銃はアオイが取り上げてある。
「幸田、慌てるな。あたしがいれば、カスミはあんたを攻撃しない」
確信はなかったが、今は幸田を安心させて話し合いのテーブルに戻すのが優先だろう。
幸田が、怯えたような目を向けてきた。二年間一緒に暮らしてきて、暗く沈んだ幸田を見たことはあったが、何かを恐れているような幸田を見るのは、これが初めてだった。アオイは幸田の目を見つめ返した。
「大丈夫だ。あたしが、幸田を守る」
幸田が黙ってうなずいた。
ミツキも意識を取り戻した。
「アオイさん、ごめんなさい。それから、幸田さんも、ごめんなさい」と深々と頭を下げる。
「ああ、まだ紹介してなかったな。この男は、幸田 幸太郎。苗字でも名前でも幸せをおねだりしている切ない中年男だ」
幸田が音を立てずに舌打ちするのが見えた。
「ミツキ、今の騒ぎだけど、カスミが急に話に割り込んできたせいで起こった。カスミに勝手にしゃべらせないでくれるか?」
「はい、気をつけます。今まで、あんなことはなかったものだから、油断していました。ちゃんと警戒します」
「頼んだ。では、あたし自慢の手料理パンケーキと温かいココアでくつろいでから、話を再開だ」
「パンケーキは料理か?」と、幸田。
「パンケーキを侮るな。アメリカには、世界中の観光客が集まる有名なパンケーキ店がある。知らないのか?」
「私は、『君が作るパンケーキ』のことを言っている」
「幸田、人間がちっちゃいぞ。黙って、食べろ」
アオイは、二人の前にパンケーキとココアを並べた。
三人とも、腹が減っていたから、パンケーキはアッというみなの腹に収まった。アオイは自分も入れて三人のカップにココアをつぎ足し、「ミツキ、話せるか? あんたが話せれば、あんたから話してもらった方がいいと思う」と尋ねた。
「話せます」とミツキが覚悟したように言う。
「私とカスミは二歳ちがいです。父の仕事の関係で、私たちはアメリカで育ちました。二年前、私が一五歳、カスミが一三歳の時、父が日本に帰ることになり、最後の記念に、両親と四人でアメリカ横断の自動車旅行に出ました。ところが、カリフォルニアとネヴァダの州境でセンターラインを飛び出してきたトレーラーに正面衝突されて、父と母は即死。カスミと私はドクターヘリで病院に運ばれたのですが、それが、国防総省の特殊医療センターだったのです」
ミツキは落ち着いて、淡々と話す。
「そこで、君は、生体兵器に改造されたわけだ」
「はい。ところが、改造手術の途中で、カスミは死んでしまいました。私の生体兵器への改造が完了して、訓練が始まったころ、私の頭の中でカスミの霊魂が話しかけてくるようになったのです」
「幸田、『解離性同一性障害』じゃないかなんて、つまらない屁理屈を言うなよ。カスミは、間違いなく霊魂だ。闘ったあたしが、確信をもって言う」
「『解離性同一性障害』などと、難しいコトバを知っているじゃないか」
「あたしは、心理学には明かるい……ちょっとだけな」
「ちょっと待て、アオイ、今、君は、闘ったと言ったな。だが、マンション前で君は非接触放電していないぞ。していたら、私も巻き込まれていたはずだが、何も、感じなかった」
そこを指摘されても、アオイには放電した記憶そのものがないのだから、なんとも答えようがない。
代わりにミツキが説明してくれる。
「アオイさんは、正確にカスミを狙って放電したはずです。マンション前では、私は完全にカスミに乗っ取られていて、そのことに気づきませんでした。でも、この山小屋でカスミがアオイさんを攻撃した時は、私の意識も残っていたから、わかります。カスミはアオイさんと離れた所で、電流を受けました」
「アオイは、どうなのだ? 狙って放電したのか?」
「それが、わからない。頭が真っ白になって、気が付いたら、ミツキが倒れてた」
「無意識に攻撃して、攻撃した記憶もないって? 簡単には信じられない」
「幸田さん、そういう事がありうると思います」とミツキが確信ありそうに言う。
「私たちは、自分の身体を動かそうと思って動かすと感じています。でも、脳科学によると、違うんです。まず、脳の中で身体を動かす準備ができます。次に、身体が動いたという意識が生まれて、その後に、脳から身体に動けという指示が出るんです」
「ミツキ、本当か? 常識的には信じられないぞ」アオイは驚く。心理学にはちょっと明るいつもりだったが、こんな話は初耳だ。
「常識的には信じられないことだから、初めて実験で示された時は、脳科学者の間でも大論争になりました。でも、今では、脳科学の世界で、ほぼ常識になっています」
「あぁ、聞いた覚えがある。最初に実験で示したのは、鉄板と鉄板をつなぎあわせる鋲みたいな名前の脳科学者ではなかったか?」
「そうです。つづりは違いますが、リベット。ベンジャミン・リベットです。アオイさんは、カスミに乗っ取られた私の脳内で攻撃準備が始まる瞬間に、それを察知して反撃してきたのだと思います。しかも、アオイさんの場合、脳から身体への放電指示がものすごく速くて、『放電した』と意識する暇もないのだと思います」
「アオイ、そうなのか? 君の放電は、そんなに速いのか?」と幸田。
「だから、わからないんだって。放電しようとも、したとも、まるで感じないんだから」
「お姉ちゃん、話すぞ」とげのあるカスミの声がした。
「ダメ、あなたは、黙ってらっしゃい」とミツキ。
「あたしは、カスミの話が聞きたい。実際に闘った相手はカスミだから」
「悔しいけど、アオイは、速い。あたしがあんたの脳を壊そうと思った時には、もう、電気を食らってた」
「そうなんだ」とアオイは、我ながら驚く。
「ちょっと待て。今、カスミ君は、『脳を破壊しようと思った』と言った。君たちは、放電型生体兵器ではないのか?」
「呆れたね。あたしたちが、どんな能力を持ってるかも知らずに、迎え撃とうとしてたのか。呑気な奴らだ」とカスミ。
「カスミ、そんな言い方は止めなさい。アオイさんたちに、失礼でしょ」とミツキ。
「同じ人間の舌で二人がしゃべると、混乱するぞ」と幸田が、困り切った顔で言う。
「幸田、よく見てれば、表情が替わるのがわかる。あたしは、もう、どっちが話しているか見当がつく。人相が悪い方がカスミだ」
「失礼なことを言うな」と、カスミ。
アオイは「失礼は、お互い様だ」と言い返す。
「もう一度訊くが、君たちは、アオイと同じ放電型生体兵器ではないのだな」
「違います。私たちは、脳破壊型生体兵器です。脳内に埋め込まれたチップの助けを借りて脳神経に特殊な興奮を起こさせると、それがターゲットの脳に衝撃波のように伝わって自律神経の働きを止めます。私たちの攻撃を受けた人は、ほとんど即死してしまいます」
「即死……だって? だが、さっき、私は猛烈に頭が痛くなっただけだった」
「あんたを殺す気が、なかったからさ。あんた、ちょっとイイ男だから」とカスミが照れたように言う。
「ゲッ」とアオイがうめき、ミツキが「カスミ、あなた」と言って、言葉を失った。