48. 悪夢/行動原理

文字数 4,197文字

 紺のピンストライプのスーツに身を包んだ男が拳銃を手に、アオイの前に立っていた。男の腹にはどす黒い血の染みができている。男が肩で息をつきながら声を絞り出した。
「お前ら、良く戦ったな。部下は、みな、殺された。そして、私の命も、もう、長くない。だが、この銃には、まだ、弾が一発残っている。お前たちの一人は、あの世に道連れにしてやれる」

「あたし達は、四人だ。一斉に飛びかかれば、あんたが引き金を引く前にあの世に送ってやれる」
 聞き慣れた声が隣でして、目を向けると、カスミが立っていた。霊魂ではなく、自らの肉体を備えたカスミ。姉のミツキとは違ってボーイッシュな美少女で、つやつやした黒髪をボブにまとめている。
 カスミのとなりに、ミツキが拳を握りしめて立っている。これで三人。
 
 カスミは四人と言った。あと一人は誰だ? アオイが右を見ると、幸田が立っていた。顔色が紙のように白く、上体が前後に揺れている。良く見ると、わき腹が鮮血に染まり、そこから血が滴り落ちていた。

 幸田と目が合う。
「しくじったよ。一瞬油断したばかりに、このザマだ。アオイ、私がダメな時は、君が守ってくれると約束してくれたよな。頼む。これ以上弾を食らわないように、守ってくれ」
幸田が涙声で訴えてくる。
 アオイが答えに困っていると、カスミが「幸田、そんなに気が弱ってるなら、あんたは、もう、闘わなくていい。あたし達三人で十分だ」と強い口調で言い切った。
「私の時間は、もうなくなってきた。命の火が消える前に、お前らの一人を道連れにしてやる」
男が銃をアオイに向けた、と、思った。

 アオイは、とっさに幸田の陰に飛び込み、全身の力で、幸田の身体を男に向けて押し出した。腹に響くような銃声がして、幸田の背中の真ん中で鮮血が花火のように飛び散った。
 幸田がアオイを振り向いた。
「アオイ、君は!」

 アオイは幸田を無視して、男に向かって電光を放った。男の身体が後方に弾かれながら火を噴く。男が背中から着地してぼっと燃え上がり、あたりに肉の焦げる匂いが漂い始めた。
「アオイ、あんた、なんてことしたの!」カスミが叫び、アオイは横面を張られて床に倒れた。
「卑怯者!」
「人でなし!」
カスミとミツキの怒りの声が頭上から降ってきた。

 そこで、アオイは目覚めた。真冬だというのに、全身が汗でぐっしょり濡れ、心臓がバクバクしていた。
「幸田、幸田」とわめきながら、幸田の寝袋を揺さぶった。
幸田が「うう」とうめく。
「アオイさん、どうしたの?」と「M」の声がした。「M」が寝袋から抜け出す音がして、アオイは「M」に抱きしめられた。
「悪い夢を見て、うなされたのね。あら、こんなに汗をかいて。ちょっと待っていて」
 
「M」にタオルで身体を拭いてもらい、下着を替えてもらっている間も、幸田から目を離すことができなかった。
「『M』さん、幸田は……?」
「大丈夫、疲れてぐっすり眠っているだけよ」
「ケガ? ケガは?」
「幸田君が負傷する夢を見たのね。大丈夫、彼は無事。疲れて眠っているだけ。だから、あなたも、眠りなさい」
「M」に優しく髪をなでてもらっているうちに、あんな事があった後だと言うのに、眠気が襲ってきた。あぁ、あたしは、本当に人でなしだと思いながら、アオイは眠りに落ちていった。

 パンが焼ける香ばしい匂いで目が覚めた。夢の中とは言え、あんな事をしたあたしが食べ物に反応するなんて……
「アオイさん、目が覚めた? 今朝は、私がココアを淹れたわ。アオイさんと幸田君ほど上手にいかなかったかもしれないけど、飲んで」
「M」が優しく声をかけてきた。

「M」、幸田と一緒にテーブルについても、まともに幸田の顔を見ることができない。
幸田がパンをかじりながら話しかけてきた。
「悪い夢を見て起きたらしいじゃないか。鈍感な君でも、そんな事があるんだな。実に珍しい。夢の内容を覚えていて、話すのが嫌でなかったら、聞かせてくれないか?」
幸田の話し方が元気な時に戻っている。ただ、幸田がアオイの内面に立ち入るようなことを訊いてくるのは、珍しい。
「嫌だ、夢はあたしのプライバシーだ」
「そうか、そうだな」
幸田はそれで引き下がった。「M」は口出しせずにココアのお代わりを淹れに台所に立った。

 あんな夢は、あたしが自分で飲み込んで墓まで持ってく。絶対に、人に話すもんじゃない。
 ところが、ココアのお代わりをすすっている幸田を見ていると、あの夢を秘密にしたまま幸田と一緒にいることはできないという切迫した感情が沸き起こってきて、抑えられなくなってきた。
 あたしが話したくないのは、あたしの本性を幸田に知られて嫌われたくないからだ。見放されたくないからだ。
 でも、幸田には、自分が守っている相手が本当はどんな人間か、知る権利がある。あたしが自分を守るために幸田を見捨てるかもしれないことを、幸田には知らせておくのがスジだ。

「幸田、気が変わった。夢の中身を話してやる……いや、聞いてくれ」
「おぉ」と言って、幸田が椅子の上で坐りなおした。
「ちょっと買い物に行ってくるわね」と言って、「M」が出て行った。
 
 アオイは、自分が見た夢のすべてを幸田に語った。幸田は、アオイの目を見ながら黙って聴いていたが、アオイが話し終わると、穏やかな声で
「私が夢の中のアオイでも、同じことをした」
と言った。
「えっ?」
「世の中には、ミツキとカスミのように、信念に基づき誰かのため・何かのために命を投げ出せる人間が、確かに存在する。『人間性善説』のと根拠となる人たちだ」

 アオイは、幸田の話がどこに向かっていくのかわからないまま、ただ耳を傾ける。
「しかし、私は、多くの人間は、置かれた状況次第で善にもなれば悪にもなると思っている」
「あたしは、撃ち殺されるかもしれない状居で悪人になったということか?」
「そういうことを言っているのではない。私の話を最後まで聞け」

 アオイは黙ってうなずく。
「ミツキとカスミのような特別な人間を除いた、全ての人間に共通したひとつの行動原理がある。何だと思う?」
「なんだ?」
「夢の中で、どうして君が私を盾にして自分を守ったのか、考えてみろ。作戦会議で君がミツキ達と決裂した理由を考えてみるんだ」
「それは、あたしが卑怯で人でなしだからだ」
「それは違う。ミツキとカスミのような例外的な人間の事は、忘れろ。『善人であれ』とか『立派になれ』とかいう世間の要求を一度脇に置いて、あるがままの自分を見つめるんだ」

 善人でも立派な人間でもないあたしが望んでいることは、なんだ? 考え続けるアオイの肚の底から一つの言葉が立ち昇ってきた。
「生きていたい」

 幸田がめったに見せたことのない大きな笑みを浮かべた。
「そうだ。生きていたい。それが、圧倒的多数の人間の行動原理だ。君は、夢の中でも、作戦会議でも、その原理に忠実に行動した。人間として、それを恥じる必要はない。そのことで自分を責めてはいけない」

「待ってくれ。あたし達一人ひとりが、自分が生きる事だけを第一に行動したら、自分が生き残るためなら、他人を犠牲にしてもかまわないことになって、この世界は争いだらけになってしまう!」
「原理的には、アオイの言う通りだ。だが、他人を犠牲にしないと自分が生き残れないような場面が、現実に、たくさんあるか?」

 アオイは考える。
「戦争とか、大災害とか、特別な事態以外では、ほとんどないと思う」
「では、戦争では、兵士が自分だけ生き残ろうとして勝手な行動をとっているか? 大災害にあった人たちが、自分だけ生き残ろうとして争うか?」
「そういう話は、あまり聞かない」
「なぜだと思う?」
「『性善説』が正しいからか?」
「それも、ある。人間は目を覆いたくなるような無残な事をするが、人類の将来に希望をもたせてくれるような愛と献身も見せる」
 アオイはルワンダ内戦の時に、虐殺されそうになった一〇〇〇人以上の人達を、身の危険を冒して自分のホテルにかくまった支配人の実話を描いた映画を思い出した。そうだ、あれも、慧子と二人で秘密研究所のミニシアターで観たんだ。

 幸田が「それとは別に、現実的な理由もある」と続ける。
「他の人間と協力した方が、自分が生き残る確率が高いと思った時は、人間は力を合わせる。戦争の場合は、国から強制されて組織の秩序を守っている面もあるが、災害の時に助け合うのは、協力した方が生き残りやすいからだ。もちろん、そこに『性善説』の要素も働く。助け合っているうちに、友情や愛情が生まれて、協力の絆は、ますます固いものになる」

「幸田」と言って、アオイが真剣そのものの眼差しで幸田を見つめてきた。
「なんだ?」
「あんた、何も考えてないような顔して、いろんな事、考えてたんだな」
幸田は何と答えていいかわからないので、ぎこちなく微笑んで返した。

 幸田から今まで聞いたことのないような話を色々聞けたのはよかったが、いったい何を話していたのか、アオイは、よくわからなくなってきた。
「幸田、それで、結論は、なんだ?」
「結論?」
「だから、あたしの夢についての結論だ。いや、あたしが人でなしかどうかってことの結論だ」
「あぁ、それか。アオイは人間として何も恥じることはない。カスミとミツキがアオイを人でなし呼ばわりする気持ちはわかるが、それをアオイが気にすることはない」

 カスミは、次の言葉を言うか言うまいか迷ったが、結局、口に出した。
「あたしは、自分の命を守るために、あんたを犠牲にするかもしれないんだぞ」
「おぉ、そういうことが絶対に起こらない保証はない。だけど、心配するな。その場では恨めしそうな顔をするかもしれないが、あの世に着いたら、アオイの立場を理解する。したがって、化けて出たりしない」
 
 幸田が自信たっぷりに言ってから、皮肉な笑みを浮かべて、続けた。
「それに、こういう事は、お互い様だしな」
「ダメだ、幸田は、あたしを裏切るな! あたしは、化けて出るぞ!」
「ははは、そうならないように、精一杯気をつけるよ」と幸田が笑った。


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登場人物紹介

山科 アオイ (17歳)


アメリカ国防総省の手で、放電型生体兵器に改造された17歳の少女。

直感派でやや思慮に欠けるところがあるが、果断で、懐が深く、肚が坐っている。

山科 アオイ は自ら選んだ偽名。本名は 道明寺 さくら。


両親とドライブ中に交通事故に遭う。両親は即死。アオイは、アメリカ国防総省が日本国内の山中深くに設置した秘密研究所で生体兵器に改造される。

秘密研究所が謎の武装集団に襲撃され混乱に陥った際に脱出。組織や国家に追われる内部通報者やジャーナリストをかくまう謎のグループに守られて2年間を過ごすが、不用意に放電能力を使ったため、CIAに居場所を突き止められてしまう。

幸田 幸一郎(年齢40台前半)


冷静沈着、不愛想な理屈屋だが、あるツボを押されると篤い人情家に変身する。

幸田幸太郎は偽名。本名は不明。


組織や国家から追われる内部通報者やジャーナリストなどを守る秘密グループの一員で、アオイのガードを担当する「保護者」。英語に堪能。銃器の取り扱いに慣れ、格闘技にも優れている。

田之上ミツキ(17歳)


アメリカ国防総省の手で、ターゲットの自律神経を破壊する「脳破壊型生体兵器」に改造された17歳の少女。知性に秀で、心優しく思慮深いが、果断さに欠ける。15歳までアメリカで育った。

田之上 ミツキは、本名。


両親、妹のカスミとアメリカ大陸横断ドライブ中に交通事故にあう。両親は即死。ミツキとカスミは生体兵器に改造されるために国防総省の特殊医療センターに運ばれるが、カスミは改造手術中に死亡。ミツキだけが生き残る。

国防総省を脱走したアオイを抹殺する殺し屋に起用されたが、アオイが通うフリースクールに転入してアオイと親しくなるほどに、任務への迷いが生まれる。

田之上 カスミ(15歳)


田之上ミツキの妹。ミツキと同時に人間兵器に改造される途中で死亡するが、霊魂となってミツキにとり憑いている。知的、クールで果断。肉体を失った経験からニヒルになりがち。


普段はミツキの脳内にいてミツキと会話しているだけだが、ここぞという場面では、ミツキの身体を乗っ取ることができる。

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