3.登校/新入生

文字数 3,259文字

 アオイは少女を不良から救って疲れていた上に、幸田との不愉快な会話を忘れたかったので、その夜は、ぐっすり眠った。アオイには、嫌なことが気になって眠れないということがない。反対に、忘れるためにグッスリ眠る。そして、ほとんどの場合、目が覚めたら忘れている。今朝も、昨夜の幸田との会話はすっかり忘れて、腹を減らしてダイニングキッチンに入った。

 異臭がした。幸田がトースターから取り出している食パンを見て、アオイはまたかと呆れる。
「パンを焦がした」幸田が当たり前のように言う。
「ってか、炭になってる」
それは、当たり前じゃないだろう。
「トースターにクセがあって、日によって、焼き上がりが違う」
「だったら、そのクセを理解して、使え」
「私の頭は、そんなことを理解するためにあるのではない。他に、もっと、考えることがある。イヤだったら、食べなくていい」
「コンビニで、なんか買って食う・・・・・・と言いたいが、財布がスカスカだ。この炭を食べる。マーガリンをちょうだい、それから、コーヒーも」

 アオイは黒焦げのパンにマーガリンを分厚く塗り付けて口に運んだ。マーガリンの脂分のおかげで、なんとか、食べられる。パンを喉に流し込もうとコーヒーをすすったとたん、吐き出しそうになった。
「うげっ、酸っぱ!」
「それは、昨日の朝淹れた残りだ」
「大切な朝の出だしに、コーヒーくらい、新しく、淹れんのか」
「私には・・・・・・」

 幸田が言いかけた後を、アオイが引き取る。
「そんなことに使ってる時間は、ない。そう言いたいんだろ」
「その通り。淹れたてのコーヒーが飲みたかったら、君が早起きして、自分で淹れろ。炭になったパンを食べるのが嫌なら、君がトースターのクセを理解して使いこなせ」
「あたしこそ、トースターの気まぐれに付き合ってる頭も、コーヒーを淹れてる時間も、ない」
「なら、君は、頭と時間を、何に、使っているのだ? 私には、何に使っているようにも見えないが」
「思春期の乙女は、中年のオッサンにはわかんない大切なことに、頭と時間を使ってるんだ」

 五分後には、黒焦げの食パン二枚と酸っぱいコーヒー一杯がアオイの腹に収まっていた。
「じゃあ、行ってくるわ」
「帰り道にブラブラするな。昨日みたいなトラブルに巻き込まれると、困る」
 玄関に向かっていたアオイは、足を止め、振り向いた。
「あたしに早く帰って来いとか言って、あんた、独りが寂しいんだろう? 中身は別として、とりあえず見た目はイケてるんだ。自分の彼女を作りな」
 幸田は、さほど長身ではないが、プロポーションが整っていて、一応カッコイイ部類に入ると、アオイは思っている。
「あんたに彼女ができたら、あたしは、うるさく世話を焼かれないで、助かる」
 そう言いおいて、アオイは家を出た。

 アオイは、住宅街を通り抜け、商店街の中心まで来た。太い通りから狭い路地に入った奥の右側に、倉庫のような建物がある。実際、昔は、大規模な小売店の倉庫に使われていたらしい。そこに、小学生くらいの五、六人の子どもが入っていく。
 アオイが通っているフリースクール、「あすなろ園」だ。アオイは一一歳でCIAに拉致されたので、日本の小学校を卒業していない。中学は、通ってもいない。
 それでも、CIAの秘密研究所にいた四年の間、「スイート・セブンティーン」 を教えてくれた「あいつ」が勉強をみてくれたので、国語・英語・数学だけは、中卒程度の学力がある。「あいつ」は、勉強を教えるのが上手かった。 
 ただ、さすがに一七歳、高校二年生の学力はないから、幸田が中卒の履歴を偽造して押し込んでくれたのが、この「あすなろ園」だ。表向きは、中三から高一まで不登校だったことになっている。

「あすなろ園」の玄関を入ると、九歳の真一が立っていた。身体つきが小さく、顔も幼いので、六歳くらいに見える。
 真一が頬を赤くして「アオイお姉ちゃん、おはよう」と言う。アオイが来るのを待っていたらしい。
「あの……これ……」
真一がもじもじしながら寄ってきて、後ろ手に持っていた画用紙を差し出す。アオイを描いた絵だった。マンガ的だが、アオイの特徴を見事にとらえている。というか、実物より美しく描けていると、アオイはい想う。整形前のあたしみたいだ。
「うわっ、すっごい上手。あたしに、そっくり。てか、あたしより美人」
「そ、それ・・・・・・アオイお姉ちゃんに・・・・・・あげる」
「うわー、真一君、ありがとう。傷まないように、大切に持って帰らなきゃ。太一先生に紙の筒をもらって、それに入れるね。真一君、あたしの絵じゃなくてもいいから、また、絵を描いたら見せてね」
「うん、また、見せるね」
 真一は嬉しそうに言うと、アオイに背を向けて、廊下をバタバタと駆けていった。

 アオイは、学習室を通り越して、奥の教員室に向かう。
「太一先生、おはようございます」
「あ、アオイ君、おはよう」
 朝のこの時間、教員室には、スクール長の太一先生しかいない。「あすなろ園」に常にいるのは、スクール長の太一先生だけで、あとは、ボランティアの大学生数人が、日替わりでやってくる。

 太一先生は本名・宮本太一だが、宮本先生と呼ぶ生徒は、誰もいない。みんな、親しみをこめて「太一先生」と呼ぶ。優しい童顔で子ども達にもお兄さんのように接するのでボランティアの大学生と同じように見えるが、実は三四歳で、社会人経験があるらしい。
「太一先生、この絵、真一君が描いてくれたんです。傷まないように紙の筒に入れて持って帰りたいんですけど、表彰状を入れる筒みたいなの、ありませんか?」
 言葉使いの荒いアオイだが、太一先生には、丁寧に話す。
 太一先生は、教員室の隣の備品庫に入り、すぐ戻ってきた。
「はい、これ、紙筒。おっ、上手な絵だなぁ~。アオイ君に、そっくりだ。というより、少し、盛ってあるかな?」
 太一先生がいたずらっぽく笑う。
「あれ、気がついちゃいました」

 画用紙を丁寧に丸めて紙筒に収めているアオイの横で、太一先生が言う。
「真一君、小学校でひどいイジメにあって、ここに来た時は、ビクビクして誰とも話せなかった。アオイ君のおかげで、ずいぶん明るくなった。ありがとう」
「太一先生、『あたしのおかげ』と言うのは、真一君に失礼です。真一君は、自分で、自分を助けたんです」
「自分で自分を助けた・・・・・・か。イイこと、言うね」
「おだてても、何も出ませんよ。あたし、今日、財布、スカスカですから」

「ははは」と笑ってから、太一先生が真剣な顔になる。
「アオイ君、今日でなくていいんだけど、近々、時間とれるかな?  高卒認定試験のことで、ゆっくり話し合いたいんだ」
「そのことなら、もう少し、考えさせてください。伯父の意見も、聞いておきたいし」
「そっか、そうだね。急ぐことじゃなかった。気が向いたら、声をかけてね」
「はい、そうさせてください」

「ところで、今日から、新しい仲間が入るんだ。後でみんなに紹介するけど、アオイ君と同じ一七歳なので、アオイ君には先に紹介しておく。今、面談室で待ってもらっているから、会いに行こう」
「あ、はい」
 太一先生が面談室のドアをノックすると、中から、かぼそい少女の声が「はい、どうぞ」と答えた。
 太一先生がドアを開けて中に入る。少女の姿は太一先生の陰になって見えない。
「田之上さん、君と同い歳の仲間がいるので、先に紹介しておくね」
 アオイは、太一先生に押されて一歩前に出て「山科アオイです。よろしく」と頭を下げる。

 顔を上げた瞬間、アオイは、息が止まりそうになった。目の前に立っているのは、昨日、不良どもから助けた少女だった。
「田之上ミツキです。こちらこそ、よろしくお願いします」
 少女が、一緒に「スイート・セブンティーン」 を歌った、あの声で応えた。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

山科 アオイ (17歳)


アメリカ国防総省の手で、放電型生体兵器に改造された17歳の少女。

直感派でやや思慮に欠けるところがあるが、果断で、懐が深く、肚が坐っている。

山科 アオイ は自ら選んだ偽名。本名は 道明寺 さくら。


両親とドライブ中に交通事故に遭う。両親は即死。アオイは、アメリカ国防総省が日本国内の山中深くに設置した秘密研究所で生体兵器に改造される。

秘密研究所が謎の武装集団に襲撃され混乱に陥った際に脱出。組織や国家に追われる内部通報者やジャーナリストをかくまう謎のグループに守られて2年間を過ごすが、不用意に放電能力を使ったため、CIAに居場所を突き止められてしまう。

幸田 幸一郎(年齢40台前半)


冷静沈着、不愛想な理屈屋だが、あるツボを押されると篤い人情家に変身する。

幸田幸太郎は偽名。本名は不明。


組織や国家から追われる内部通報者やジャーナリストなどを守る秘密グループの一員で、アオイのガードを担当する「保護者」。英語に堪能。銃器の取り扱いに慣れ、格闘技にも優れている。

田之上ミツキ(17歳)


アメリカ国防総省の手で、ターゲットの自律神経を破壊する「脳破壊型生体兵器」に改造された17歳の少女。知性に秀で、心優しく思慮深いが、果断さに欠ける。15歳までアメリカで育った。

田之上 ミツキは、本名。


両親、妹のカスミとアメリカ大陸横断ドライブ中に交通事故にあう。両親は即死。ミツキとカスミは生体兵器に改造されるために国防総省の特殊医療センターに運ばれるが、カスミは改造手術中に死亡。ミツキだけが生き残る。

国防総省を脱走したアオイを抹殺する殺し屋に起用されたが、アオイが通うフリースクールに転入してアオイと親しくなるほどに、任務への迷いが生まれる。

田之上 カスミ(15歳)


田之上ミツキの妹。ミツキと同時に人間兵器に改造される途中で死亡するが、霊魂となってミツキにとり憑いている。知的、クールで果断。肉体を失った経験からニヒルになりがち。


普段はミツキの脳内にいてミツキと会話しているだけだが、ここぞという場面では、ミツキの身体を乗っ取ることができる。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み