50. 捨て身/手術室
文字数 2,116文字
ミツキが全身麻酔をかけられて意識を失い身体活動も著しく低下しているのに自分の意識がハッキリしていることに、カスミは驚いていた。
あたしは、たまたまお姉ちゃんの身体にとり憑いているだけで、霊魂だから自由に浮遊することも出来るのかもしれない。そんな気がしてくる。
今朝、ミツキは「BMI応用医療研究所」の警備員が配置につき門があくと同時に、警備員に自分がミツキだと名乗り、リケルメに会いに来たと告げた。すぐに、ミツキは、地下三階の生体兵器改造工場に連れて行かれた。
カスミは、姉の肚が座った捨て身の態度に驚かされた。
ミツキはアオイは来ないと言い切り、自分は太一先生が無事解放されるのを見届けたら、直ちに解体されても良いと宣言した。
リケルメから、太一を解放したら脳破壊能力を使って脱出を図るつもりだろうと疑いをかけられたミツキは、「私が逃げられないように、両足のひざを撃ちなさい」と切り返した。
リケルメは、本当にミツキの右ひざを撃った。生まれて初めて銃弾を浴びた痛みで、カスミは気を失いそうになった。
ところが、ミツキは、激痛の中、声を絞り出すように「私が完全に動けなくなるように、左ひざも撃ちなさい」と言ったのだ。
その直後、カスミをもっと驚かせる事が起こった。「あいつ」が、レノックス慧子が、ミツキとリケルメの間に立ちはだかったのだ。
「ミツキの覚悟はわかったはず。これ以上撃つというなら、私があなたの相手になる。殺される前に、パンチの一発か二発は叩き込んでみせる」
「あいつ」は、そう言った。
リケルメは折れた。カスミ達は、太一先生が解放され、「あすなろ園」で子ども達に出迎えられる映像を見せられた。画面の中の時計は、今日の午前八時三〇分を示していた。
お姉ちゃんは、ひざの怪我の応急処置を受け、こうして手術台に載せられている。
ところが、ここで思いがけない事が起こった。リケルメに、お姉ちゃんを解体するつもりがなかったのだ。そうではなく、お姉ちゃんがリケルメに逆らえなくするために、体内に爆弾を埋め込もうとしている。
今、あたしは、お姉ちゃんの身体を離れて、手術室の中を見渡す事が出来る。ステンレスのトレイの上で、赤いプラスチック容器に入っているのが体内爆弾だ。あたしの握り拳の半分くらいのサイズ。
解体されて直ちに命を失う危険は免れたが、お姉ちゃんはリケルメの言いなりに暗殺兵器として使われる事を拒んで、爆破される道を選ぶだろう。お姉ちゃんがせっかく拾った命を捨てさせたくない。だけど、あたしは、どうしたらいいんだ?
手術室には、手術着に身を包んでいても、あたしに見分けがつく人間が二人いる。一人は「あいつ」、レノックス博士だ。もう一人は、お姉ちゃんの稼働試験を見に来たことがある白人の女だ。透き通るようなエメラルドグリーンの瞳が印象的だった。
「あいつ」は、お姉ちゃんを助けるために、何かしてくれるだろうか? 隣の男に銃を突きつけられているが、また、自分が撃たれる覚悟で動いてくれるだろうか? 白人の女は銃を向けられていないから、完全にリケルメ側についているのだろう。
あたしは、どうする? いったい、何が出来る?
慧子は、隣の男から銃を奪うタイミングを計っていた。この手術室で武装しているのは、この男一人と見える。
ただ、この男から銃を奪っても、一丁の銃で手術室内の全員を制圧するのは難しいだろう。医療スタッフとはいっても、リケルメが雇った人間達だ。銃を恐れずに向かって来る者がいるかもしれない。四、五人にかかってこられたら、全員を射殺する前に、私が取り押さえられてしまう。
やはり、あれしかない。慧子は、手術台の反対側のステンレストレイに載っている体内爆弾に目を向ける。体内爆弾といっても、ミツキが生体兵器だという証拠を残さないために、ミツキの全身を飛散させる威力がある。そして、その事を、ここにいるスタッフは知っている。
大切なのはスピードだ。周りの連中に落ち着いて考えさせる余裕を与えない速さで動く。慧子は、銃と生体爆弾を奪い、爆弾で周りの連中を脅して、ミツキと二人で廊下に逃げ出すまでのシミュレーションを頭の中で、 何度も繰り返してあった。
たいてい、現実はシミュレーションどおりに行かないのだが、かと言って、シミュレーションから大きく外れるものでもない。
周到なシミュレーションと事が始まってからの反射神経が成功の鍵なのだ。
慧子は、準備は整ったと思った。後は、ここにいる面々を慌てさせるような事が起こってくれると言う事はないのだが。
そこまで望むのはぜいたくだと自分をたしなめたその時、手術室内に非常警報が鳴り響いた。