23.  夜のお茶/日向と日陰

文字数 3,448文字

 アオイがカスミというマイナスの「オマケ」を受け容れる肚をくくりなおした日の夕方、幸田は「M」との話し合いを終えて帰宅した。出迎えるアオイはいつも通りだったが、ミツキの顔色が悪く疲れて見えたので、何かあったなと思ったが、アオイもミツキも何も言わないので、問いただすのは止めた。

 アオイたちが早めにベッドルームに引き上げ、幸田がひとり居間に残って暖炉の火を見ながら「M」との会話を振り返っていると、階段がきしむ音がした。目を向けると、ミツキが階段の途中で立ち止まった。

「どうした?」と声をかけた時、ミツキが普段より引き締まってクールな顔をしているような気がした。「ひょっとして、これは?」と思ったら、カスミの声が「ちょっと、話していいか?」と問いかけてきた。
 幸田は一瞬、びくっとした。また、何か、しかけてくる気か?
 しかし、すぐに気づく。カスミには幸田だけを殺すことにメリットはない。それに、「ちょっと話していいか?」というカスミの口調に、幸田に近づきたがっている感じがうかがえた。
 幸田は「おぉ」と答え、四角いテーブルで自分の席と九〇度の位置にあるイスを引いてカスミを待った。

 カスミが落ち着かない様子で腰を下ろしながら、「お姉ちゃんが睡眠薬を飲んでぐっすり眠ったので、身体を借りてしまった」と、多少言い訳がましく言う。
「そうなんだ」
「無断で身体を借りてはいけないと思ってる。ただ……」
「ただ?」
「お姉ちゃんに聞えないところで、あんたと話したかった」

「そうか。何か、飲むか?」
「これはお姉ちゃんの身体だ。あたしの勝手で飲み物を口にするのはマズイ」
「それは一理あるが、身体を借りていれば、君が味わうことができるというメリットもある」
「身体を借りなくても、あたしは、お姉ちゃんが食べる物、飲む物をお姉ちゃんと同じように味わえる」
「そうなのか! 好きな物をどれだけ食べても太らないわけだ。それは、便利だ」
「あんた、バカか? あたしは太らないけど、お姉ちゃんが太る」
「おぉ、そうか。消化吸収するのは、ミツキ君の身体だからな。ティーバッグしかないけど、紅茶はどうだ? 紅茶なら、ミツキ君の身体に害はないだろう」
カスミが「じゃあ」とうなずく。

 カスミが紅茶にふぅーと息を吹きかけて一口すすると、真剣な顔で「お姉ちゃんがあたしの写真を持ってないのが残念だ」と言った。すぐに、いたずらっぽい笑顔に変わって続ける。
「あたしは、お姉ちゃんと違って美人だぞ」
 同じ田之上ミツキの顔を使っていても、中身がカスミに変わると表情が全く変わることに、幸田は驚いていた。カスミの表情には、大人びた憂いとウィットが感じられる。
「美人の顔を拝めなくて、実に残念だ」
「そうだ、残念がれ」
と言って笑ったと思うと、急に表情を曇らせた。
「でも、親からは、暗いって、言われてた」カスミの声が細る。
「暗い?」

「お姉ちゃんを見ていると、お日様に温められる気がするけど、あなたを見ていると冬の厳しい風にさらされている気がする。母は、そう言った」
どのような文脈での発言かわからないが、言葉だけとらえると、およそ母親が娘に言うべきセリフではないと幸田は感じた。
 しかし、それは表に出さず、「整いすぎた美人は、外見は冷たく見えるものだ」と応じた。
「そうか、そうなのか?」と身を乗り出してくるカスミの表情からは曇りが消え、一〇歳くらいの少女のように見える。この子は、よく表情が変わる。それだけ、感覚が鋭敏なのだろう。

「グレタ・ガルボは見た目、非常に冷たい感じだ。久我 美子は、笑わないとひんやりしている。岩下志麻は、笑っても冷たそうだ」
「そいつら、誰だ?」
カスミが、がっかりした顔になる。
 ジェネレーション・ギャップだなと幸田は思う。もっとも、幸田の好み自体、同世代の仲間と完全にずれている。DVDで昔の映画ばかり観て来たせいだ。
「最近の例を思いつかないのか?」とカスミに言われてニコール・キッドマンとシャーリーズ・セロンを挙げると、ミツキは少し考えて「わからないではない」と言った。

 カスミが手元のカップに目を落とした。
「あたしの家では、いつも、お姉ちゃんが日向で、あたしは日陰だった」
うつむいたまま、続ける。
「お姉ちゃんは、あたしのように美人じゃないけど、明るく可愛い。その上、よく気が付く。父や母が何をしてもらいたいのか、お姉ちゃんにはすぐわかって、それを先回りして、やってやるんだ」
うつむいたままそこまで言って、カスミはハッとしたように顔を上げた。
「言い方が悪かった。お姉ちゃんは、『やってやってた』わけじゃない。自然に、そうできたんだ。気に入ってもらおうとか、褒めてもらおうとかじゃない。無意識に出来ちゃう」
「そういうタイプの人は、いるな。そういう人は、周りから愛される。私は全然違うが」

「確かに、幸田は違う」とカスミが目を輝かせた。「幸田は、悪気〇パーセント・悪印象一二〇パーセントになるタイプだ」と言って、笑う。「悪気〇パーセント・悪印象一二〇パーセント」というのは、幸田にたとえてカスミ自身のことを言っているのだろうと、幸田は思った。
「カスミ君は、家族の中で、誤解されやすく損な役回りだったんだな」と言いかけ、おっといけないと、飲み込んだ。慌てて自分の解釈を口にするのが、自分の悪いクセだ。
 
 解釈するのは、私ではない。カスミが、話しながら何か気づけばいいのだ。イヤ、何も気づかなくても、気持を吐き出すだけで、十分だ。
「私の場合、悪気マイナス一〇パーセント・悪印象プラス一五〇パーセントという出来事もあった」
「悪気がマイナスって、どういう意味だ?」
「『善意でやった』ってことだ」
「アハハ、それ、幸田なら、ありそうだ」カスミが一五歳の少女らしい弾けるような笑顔を見せた。

 カスミが、また真顔に戻る。
「お姉ちゃんは、勉強ができる。あたしも学年では上位一〇パーセントに入ってた。だけど、お姉ちゃんがいつもトップだったから、あたしは、勉強のことで、親から褒められたことがない」
「そうなのか?」
「そうだ。あたしだって、いつも、頑張って勉強してたんだ」
「頑張ってることを認めて褒めて欲しいところだな。それに、学年の上位一〇パーセントは、結果としても立派だ」
「幸田は、勉強は出来たのか?」
「出来たか、出来なかったかと訊かれたら、出来たな」
「どのくらい出来た?」
「全科目を平均すると学年の上位五パーセントくらいかな。ただし、数学が全然ダメだった。今でも、数字は苦手だ」
「あたしは、数学が一番得意だ。それから言っておくが、数学が出来ることと数字を扱えることは、無関係とは言わないが、イコールではない」
「そうなんだ」
「そうだ」

「私は、数学が出来る人間が羨ましい。いや、尊敬する」
「じゃ、私を尊敬しろ。今度、数学を教えてやってもいいぞ」
そういうカスミの言葉は自信に溢れている。何かに自信を持てるのはいいことだ。
 ただ、数学が苦手だからといって、今さら学び直したいわけではない。それなのに、口では「おぉ、今の危機を乗り切って落ち着いたら、是非、教えてくれ」と言ってしまう。幸田は、あまりひんぱんではないが、その場の流れで相手に迎合することがある。

「任せとけ、ビシビシしごいてやるぞ」
カスミが目を輝かせて笑う。これは、本当に、本気だ。ゲッ、今さら、教えてもらわなくてもいいとは言い出せないし、実にマズイ展開だ。
 こうなったら、本当に落ち着くことができて、その時カスミが数学を教えると言い出したら、教わるしかない。本当に数学がわかるようになったら、新しい世界が開けるかもしれない。幸田は良い方に考えて覚悟を決めることにした。

「紅茶、お代わりするか?」
「ありがとう。でも、もう、戻って寝る。お姉ちゃん、今日は、精神的に相当疲れてた。こういう時は、身体もゆっくり休ませてやらないとな」
「そうだな」
カスミが立ち上がり、「じゃ、おやすみ」と言った。席に着いた時よりも、ずいぶん表情が和らいでいると幸田は感じた。
 階段に足をかけたカスミが、ちらりと視線を投げて寄越した。幸田が軽く右手を上げてみせると、カスミは腰のあたりで手を小さく動かし、まっすぐ前を向いて階段を上っていった。
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登場人物紹介

山科 アオイ (17歳)


アメリカ国防総省の手で、放電型生体兵器に改造された17歳の少女。

直感派でやや思慮に欠けるところがあるが、果断で、懐が深く、肚が坐っている。

山科 アオイ は自ら選んだ偽名。本名は 道明寺 さくら。


両親とドライブ中に交通事故に遭う。両親は即死。アオイは、アメリカ国防総省が日本国内の山中深くに設置した秘密研究所で生体兵器に改造される。

秘密研究所が謎の武装集団に襲撃され混乱に陥った際に脱出。組織や国家に追われる内部通報者やジャーナリストをかくまう謎のグループに守られて2年間を過ごすが、不用意に放電能力を使ったため、CIAに居場所を突き止められてしまう。

幸田 幸一郎(年齢40台前半)


冷静沈着、不愛想な理屈屋だが、あるツボを押されると篤い人情家に変身する。

幸田幸太郎は偽名。本名は不明。


組織や国家から追われる内部通報者やジャーナリストなどを守る秘密グループの一員で、アオイのガードを担当する「保護者」。英語に堪能。銃器の取り扱いに慣れ、格闘技にも優れている。

田之上ミツキ(17歳)


アメリカ国防総省の手で、ターゲットの自律神経を破壊する「脳破壊型生体兵器」に改造された17歳の少女。知性に秀で、心優しく思慮深いが、果断さに欠ける。15歳までアメリカで育った。

田之上 ミツキは、本名。


両親、妹のカスミとアメリカ大陸横断ドライブ中に交通事故にあう。両親は即死。ミツキとカスミは生体兵器に改造されるために国防総省の特殊医療センターに運ばれるが、カスミは改造手術中に死亡。ミツキだけが生き残る。

国防総省を脱走したアオイを抹殺する殺し屋に起用されたが、アオイが通うフリースクールに転入してアオイと親しくなるほどに、任務への迷いが生まれる。

田之上 カスミ(15歳)


田之上ミツキの妹。ミツキと同時に人間兵器に改造される途中で死亡するが、霊魂となってミツキにとり憑いている。知的、クールで果断。肉体を失った経験からニヒルになりがち。


普段はミツキの脳内にいてミツキと会話しているだけだが、ここぞという場面では、ミツキの身体を乗っ取ることができる。

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