6.  傷モノ/暗殺者

文字数 5,250文字

 午後六時四五分、炊飯器の米が炊けた。幸田は冷凍庫から作り置きのカレ―を取り出し電子レンジで温める。
 アオイの保護者を任された時、上司―幸田の組織では「世話役」と呼び、実際にも、上司というより相談相手だが―の「M」から、「上手でなくてもいいから、毎日、幸田君が手をかけた温かい食事を食べさせてあげてね」と言われたが、最初の半年を過ぎた頃から、作り置きのカレーとシチューをチンして食べさせることが、ほとんどになった。
 アオイには「わざわざ手をかけてこんなマズイものを作るなら、レトルトのカレーとシチューを出せ。その方が、幸田も楽で、あたしは、よほど幸せだ」と言われるが、ともかく、最初は自分が手をかけるという所にはこだわっている。
 冷蔵庫からコンビニで買ってきたサラダを出して、皿に盛りつけなおす。冷たいものは自分で手をかけずに済ますことにしている。六時五五分、夕食の支度ができた。

 七時ジャストに、アオイがダイニングに現れた。アオイは、どんなに機嫌が悪くても、風邪で三八度台の熱があっても、食欲は落ちない。マズイ、マズイと文句をたれながら幸田の手料理(もしくは、その解凍版)を食べる。今夜は、「マズイ」すら言わずに、黙って食べ終え、部屋に帰って行った。
 幸田が皿洗いを済ませ、ダイニングのテーブルで本を開いて一〇分ほど経った頃、アオイがダイニングに現れ、幸田の斜前の壁ぎわに立った。
 幸田が本のページをめくりながら上目で見やると、アオイはモジモジしているようったが、そのうち、
「おい、これ、独り言だけどな……」
 と、幸田に聞こえるような声で切り出した。
「あたしがミツキになぐられたのは、あたしが、フリースクールのことを、『傷モノのたまり場』って言ったからだ。ミツキは、『イジメにあう子供は『傷モノ』ですか! 不登校になる子供は、どこか壊れてるんですか! 自閉症とかで生きにくい子も、『傷モノ』ですか!』と怒って、あたしを平手打ちした」

 幸田は、まだ反応しないことにした。
「なんにも、言わないのか?」
 とアオイが訊いてきた。
 幸田は本を開いたまま、アオイに目を移す。
「君は、独り言だと言った。他人の独り言に反応するのは、変だ」
「他人の独り言でも、耳に入ったら、なんか言いたくなることがあるだろう。今も、あんたは、言いたくて仕方がないことが、あるはずだ」
 これで、アオイがただ聴いて欲しいのではなく、意見も求めている―というより、許しを求めている―ことがわかった。

「そんなに言うなら、私が感じたことを言おう。私が知っている山科アオイは、フリースクールの仲間を『傷モノ』呼ばわりする人間ではない。君がそんな事を口走ったのだとしたら、よほどの理由があったはずだ」
「あんた、メガネをよく磨いたほうがいいよ。あたしは、偏見と差別の塊だ」
「そうなのか?」
「そうだ。ポリティカリィ・コレクトとは、程遠い人間だ」
「難しい言葉を知っているな」
「難しくなんかない。アメリカでは常識だ。『あいつ』が教えてくれた」
 なるほど。「あいつ」は国防総省内ではかなりの権限を持っていたようだが、アメリカに帰化した日本人だ。差別問題には敏感だったのかもしれない。

「それより、ミツキが言った事について、どう思う?」
「私は、ミツキは正論を言っていると思う」
「やっぱ、ミツキが正しいか……あたしも、帰りの道々考えたら、そんな気がしたんだ」
「どんな行きがかりがあったか知らないが、君は、言葉だけを捉えると、ヒドイことを言った。しかし、だからといって、ミツキが君を殴ったのは、やりすぎだ。君は、殴られて、コーヒーをこぼしたのではないか? 手に、軽いヤケドをしている」
「あたしは、きっと、ミツキのこともすごく傷つけちゃったんだと思う。あの子は、めったなことで他人に手を上げる子には見えない。ヤケドはした。だけど、この程度のヤケドは、自分でコーヒーをこぼして、よくしてるから、問題ない」
「そうか? 君がヤケドして帰ってきたのは、今日、初めて見た気がするが……まぁ、いい。それより、なぜ、君は、そんなヒドイことを言った。さっきも言ったが、私は、君がフリースクールの仲間を『傷モノ』と思っているとは、信じられない」
「幸田、あたしを買いかぶるな。実物以上に良く見られると、辛い。あたしは、この程度なんだから、その程度として見てくれ」
アオイが訴えるような目を向けてきた。
「わかった。私も実は偏見と差別の塊だ。かえって、ほっとした」

「ただ……」
と言いかけて、アオイが目を伏せた。
「ただ、どうした?」
「あたしが『傷モノ』なんて口走ったのは、誰のことより、あたし自身のことを『傷モノ』と感じてるからじゃないかって、思うんだ」
 うつむいているアオイの顔に暗い影がさした。
「どうして、自分のことを『傷モノ』だなんて、思うんだ?」
「あたしは、全身にメスを入れられ、電子部品を取り付けられ、おまけに、電気ウナギの遺伝子まで注入されてる。人間として、こんなひどい『傷モノ』はない」

「生の身体に他人の手が入ったら『傷モノ』になるのだったら、私も『傷モノ』だ。私は、今までに三回、大きな手術をしている。中一から、メガネをかけている。この五年間は、血液中の向精神薬の濃度を一定に保つことで、今、君が見ているような『私』で、いられている。薬の力を借りても、調子の波を完全に防ぐことはできないのだが。だからといって、自分が『傷モノ』だと思ったことは、ない。『不便なところのある人間』だと思っている。世の中で『不便なところ』が全然ない人間を探す方が大変だと思う」
「そうだったのか……薬を飲んでるのは知ってた。あれは、精神科の薬だったのか……たまに、くら~い顔して、口もきかない時があるのは、調子が悪い時か?」
「君を守るのが仕事なのに、調子が落ちることがあるのは、申し訳ないと思っている」
「そんなことは、気にするな。あたしは、強い。『歩く兵器』だ。あんたの調子が悪い時は、あたしが、あんたを守る」
アオイが笑顔を作ってみせる。
「ありがとう。その時は、よろしく頼む」

 ところが、アオイの顔からたちまち笑顔が消えた。
「今、あたしのことを『歩く兵器だ』と威張ってみたけど、あたしは、『歩く兵器』としても、出来損ないの不良品だった。やっぱり『傷モノ』だ」
吐き出すように言うアオイの表情が痛々しい。
「暗殺用兵器として使えないことを言っているのか?」
「さんざん人の手を入れられて生体兵器に改造された意味がないじゃないか」
 
 アオイは「放電型生体兵器」の第五号機として改造された。「放電型生体兵器」は、標的とする人間から二〇メートル離れた地点から標的に向けて非接触放電して感電死させる。殺人の証拠は、一切残らず、アメリカ政府が暗殺に関与したとは、誰も思わない。
 国防総省は、一般市民に紛れているテロリストとその協力者を暗殺する切り札として「放電型生体兵器」を開発した。テロとの戦いでの仮想敵はイスラム過激派なので、「放電型生体兵器」の第一号機から第四号機までは、アラブ系米国軍人から密かに候補者を絞りだし、その中から志願者を募って生体兵器に改造した。
 しかし、イスラム過激派の活動は中東から東南アジア、さらに東アジアへと拡大する兆しを見せている。そこで、国防総省は、アジア系の、それも少女を「放電型生体兵器」に改造する計画に着手した。少女なら、人ごみにまぎれてテロリストに接近した時に、より警戒されにくいと考えたのだ。
 改造する対象は、米国軍人でも、米国市民でもなく、東南アジア、東アジア地区で拉致した民間人の少女とした。この計画に従って日本で拉致され改造されたのがアオイだ。アオイの生体兵器番号が21085なのは、アジア系少女の「放電型人間兵器」の初号機ということを意味する。

「あたしがニ〇メートル先のターゲットに向けて非接触放電すると、ターゲットの周囲五メートル以内の人に致命的なダメージを与えてしまう。その上、あたしの放電は、雷みたいに青白い稲光が出る。他の「放電型人間兵器」は放電していることが表に出ないのに、あたしは、バレバレだ。暗殺用兵器として、不良品もいいところだ」
 アオイは21081から21085まで五機の「放電型生体兵器』の中では最強のパワーを持っているにもかかわらず、今、アオイが言った理由のために、実戦に投入されることはなかった。
「しかし、君が設計通りに仕上がらなかったおかげで、誰も、君を暗殺兵器として使うことはできない」
「えっ?」
「君は、アメリカ政府の暗殺者として使われるのが嫌で、特殊研究所を逃げ出したのだろう?」
「いや、そこは、少し、違う。地下鉄やコンサート会場で自爆して罪もない人を何十人も殺そうとしてるテロリストを先手を打って殺すのは、正しいことだと思ってた。だけど……」
「だけど?」
「四年間も秘密研究所に閉じ込められて『あいつ』にあっちをイジられ、こっちをイジられしているうちに、たまらなくなってきた。外に出たくなった。自由になりたかった。だから、逃げた」

 幸田は、少し驚いた。アオイがテロリストを暗殺すること自体には大きな抵抗を感じていなかったことを、二年間、一緒に逃亡生活してきて、初めて知ったからだ。
 テロリストがテロを実行するのを防ぐのに予防拘禁という手があるが、個人の人権を尊重する民主主義社会では、テロ計画の確たる証拠がない限り、予防拘禁は許されない。テロリストたちは、民主主義社会の寛容さに付け込んでテロを起こす。そこで、民主主義社会を守るための超法規的措置として、テロリストを密かに抹殺してしまおうという発想が生れてくる。

 幸田は、アオイに、椅子に座るよう促した。真向かいに座ったアオイに幸田は話しかけた。
「正しい人殺しがあるかどうかは、簡単に答えられる問いではない。もう一歩でヒトラー暗殺に成功しかけた時計職人がいたのを知っているか?」
「あぁ、『あいつ』と一緒に秘密研究所のミニ・シアターで映画を観た」
「彼が成功していたら、ホロコーストを防げたかもしれない。第二次大戦そのものを、防げたかもしれない」
「時計職人が偶然の理由で失敗したのは、残念だった」
「私も、そう思う。しかし、アメリカ人から、日本本土上陸作戦で想定される一〇〇万人の戦死を防ぐために広島、長崎の市民二〇万人を犠牲にしたと言われると、腹が立つ。広島、長崎の二〇万人は、ほとんどすべてが非戦闘員だった」

「多数の戦死者を出さないためというのは後付けの言い訳で、本当の理由は違うと、『あいつ』は、言ってた」
「そうだな。多分、本当の理由は、違う。ただ、一〇〇万の命を救うために広島・長崎の命二〇万人を犠牲にしたと言いつくろうと、その二〇万人が非戦闘員だったことを忘れて、原爆投下が必要悪だったように思えてしまうアメリカ人が多数派だ。そのことが、恐い。それは『最大多数の幸福のために少数者を犠牲にするのは止むを得ない』という考え方なのだが、それを推し進めていくと、助かる人数が犠牲者数より一人でも多ければ許されるという所まで行ってしまいかねない」
「だから?」とアオイが訊いてきた。
「だから、君が暗殺者として使えないのは、君にとっても、人類にとっても、良いことだと、私は思っている」
「はぁ? 今いち、わからないぞ」
「うん、確かに、わかりにくい説明だったな。今度、もっとわかりやすく説明する。ともかく、私は、君が兵器として『不良品』で良かったと思っている」
「『不良品が良かった?』幸田、今日は、頭の調子がおかしくないか?」

 幸田は、ここらが話の切り替え時だと思った。
「新しく来たミツキという子のことだが」と切り出した。アオイがツバを飲むのがわかった。
「考えてみると、CIAの殺し屋がフリースクールの仲間が侮辱されたと言って怒るのは、変な話だ」
「そうだぞ。あの時、あの子は、目に一杯涙を溜めていた。あたしは、ボロボロ泣き出されたらどうしようと、気が気でなかった」
「泣く子に勝てない君が殺し屋になれないのと同じで、フリースクールの仲間のために本気で怒るミツキという子も、殺し屋に向いては、いないだろう」
「わかってくれたか。じゃぁ、あたしは、このまま、『あすなろ園』に通っていいな?」
「せっかく馴染んだ学校を今すぐ変わるほどの危険は、ないと考える」
「良かった」
「ちょっと待て。私は、ミツキを疑うのを止めたわけではない。君も、ミツキには気をつけろ。気を許し過ぎないことだ」
「はいはい、心配性の叔父様、お言葉はありがたく受け取っておきますね」
アオイが明るさを取り戻し、お茶目な調子で言った。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

山科 アオイ (17歳)


アメリカ国防総省の手で、放電型生体兵器に改造された17歳の少女。

直感派でやや思慮に欠けるところがあるが、果断で、懐が深く、肚が坐っている。

山科 アオイ は自ら選んだ偽名。本名は 道明寺 さくら。


両親とドライブ中に交通事故に遭う。両親は即死。アオイは、アメリカ国防総省が日本国内の山中深くに設置した秘密研究所で生体兵器に改造される。

秘密研究所が謎の武装集団に襲撃され混乱に陥った際に脱出。組織や国家に追われる内部通報者やジャーナリストをかくまう謎のグループに守られて2年間を過ごすが、不用意に放電能力を使ったため、CIAに居場所を突き止められてしまう。

幸田 幸一郎(年齢40台前半)


冷静沈着、不愛想な理屈屋だが、あるツボを押されると篤い人情家に変身する。

幸田幸太郎は偽名。本名は不明。


組織や国家から追われる内部通報者やジャーナリストなどを守る秘密グループの一員で、アオイのガードを担当する「保護者」。英語に堪能。銃器の取り扱いに慣れ、格闘技にも優れている。

田之上ミツキ(17歳)


アメリカ国防総省の手で、ターゲットの自律神経を破壊する「脳破壊型生体兵器」に改造された17歳の少女。知性に秀で、心優しく思慮深いが、果断さに欠ける。15歳までアメリカで育った。

田之上 ミツキは、本名。


両親、妹のカスミとアメリカ大陸横断ドライブ中に交通事故にあう。両親は即死。ミツキとカスミは生体兵器に改造されるために国防総省の特殊医療センターに運ばれるが、カスミは改造手術中に死亡。ミツキだけが生き残る。

国防総省を脱走したアオイを抹殺する殺し屋に起用されたが、アオイが通うフリースクールに転入してアオイと親しくなるほどに、任務への迷いが生まれる。

田之上 カスミ(15歳)


田之上ミツキの妹。ミツキと同時に人間兵器に改造される途中で死亡するが、霊魂となってミツキにとり憑いている。知的、クールで果断。肉体を失った経験からニヒルになりがち。


普段はミツキの脳内にいてミツキと会話しているだけだが、ここぞという場面では、ミツキの身体を乗っ取ることができる。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み