8. 野盗

文字数 3,042文字


 間もなく戻ってきたアイリーンも含め、夕方になると、彼らはティプトの繁華街へ繰り出した。
「大丈夫だった?」
 歩きながら、アスカがアイリーンに訊ねる。アイリーンはうんと頷いた。
「でも町のそこらじゅうに連中のお友達がいてさ、どこに逃げても誰か追っかけてくんの。めんどくさい奴に絡んじゃったよ。まあ明日の朝にはここを出てくからいいんだけど」
 女性二人の会話を背後に聞きつつ、エレンとレヴィは店を探して通りを見回していた。ティプトはそれなりに大きな都市なので店も多い。夜を前にして賑わいつつある繁華街の中でも落ち着いた雰囲気の店を選び、彼らはそこへ入ることにした。
 それはテーブルが三組とカウンターが四席しかない小さな店で、彼らの他には二人掛けの小さな席に、男が一人いるだけだった。男は椅子の隣に大きな剣を立てかけており、ならず者の風体をしていたが、足元に置かれている荷物の大きさから旅人だろうと思われた。とりあえず地元のごろつきというわけではなさそうなので、彼らはそのまま一番大きいテーブルにつくと、それぞれ料理を注文した。
 やがて料理が届き、彼らは食事をしながら、翌日からの行程について確認していた。順調に進めば二晩でキースに辿り着けるだろうこと、道中で盗賊が出るかもしれないので、有事の際にはどういった対応をとるかといったことなどである。
 そして彼らが皿を空にして、エレンが店主に食後の茶――は普通の店では出さないそうなので、水を注文したところで、店の扉が開いた。
「あ!てめえ!」
 入ってきた客が彼らを見るなり声を上げた。その瞬間、彼の向かいに座っていたアイリーンの表情が強張ったので、エレンは嫌なものを感じた。
 新しい客は三人組の男で、宿で暴れていた男たちではなかったが、アイリーンを追いかけていたその仲間かもしれない。男の一人がずかずかと彼らのテーブルへ歩み寄ってきた。
「おいチビ、てめえが始めた喧嘩の後始末をしようぜ。表に出ろや」
 大柄ではないが少なくともアイリーンよりは随分嵩のある男である。アイリーンが口を開くよりも早く、レヴィが声を上げた。
「お兄さん、このお嬢さんが何をしたか知らないけど、俺たちは羊みたいに無力な旅人ですよ。羊を殴ってもあなたの男前を証明するわけでもなし、どうかそっとしといてやってくださいよ」
 男はやはりレヴィを無視すると、アイリーンを睨みつけた。
「いいから片をつけさせろよ。俺は差別はしないんでね、生意気な奴はガキだろうが姉ちゃんだろうがけりをつけさせる」
 いつの間にか両目に怒りの炎を燃やし始めていたアイリーンが立ち上がろうとしたところで、エレンは制止のために腕を上げた。
「私の連れが失礼を働いたのなら私の責任だ。それについては私からあなたに謝罪しよう。しかし暴力沙汰はやめよう、個人間の紛争を暴力で解決することは法でも禁じられている。処罰や罰金を望むのなら明日私と一緒に裁判所へ行こう」
 彼の意見は尤もなのだが、尤もすぎる提案はやはり男の意には沿わなかったらしく、男はむしろ逆上したのか顔を赤くして喚き始めた。
「兄ちゃん、俺はてめえに話をしてるんじゃねえんだよ」
 男が興奮して殴りかかってくるようだったら応対するしかない、エレンは腰に下げていた剣のベルトに触れた。しかしその時、男の連れの一人が声を挟んできた。
「おい、その辺にしとけよ。その兄ちゃんの言う通りだ。暴力はまずいし、そのちっちゃな姉ちゃんを殴ったっててめえの男が上がるわけでもねえだろう」
 余裕のある笑みを浮かべている男は、連中の兄貴格らしかった。食って掛かろうとしていた男はぐっと声を抑えて体を固くする。リーダーらしき男は、彼らのテーブルに歩み寄ってきた。
「悪ぃな、短気な奴が多いんでね。ところであんたらは旅人かい?見ない顔だもんなあ」
 男の妙に馴れ馴れしい口調に、エレンは警戒心を抱いた。こういう輩が親切顔をしてすり寄ってくるのは何か下心があるからではないかと、彼は疑ってしまう。
「ああ、私たちは旅人だ。しかも道を急いでいてね、できれば無用な争いは避けたかった。貴方には礼を言うよ」
 行先などは明かさずに、エレンはシンプルな微笑を繕った。男は腕を組んで、彼らの顔をじろじろと見回す。
「しかし言っちゃ悪ぃが、随分貧相な面子だなあ。坊ちゃん、あんたは見たところ貴族かなんかだろうが、立派なボディガードはどこだよ?まさかこれで全員ってわけじゃねえだろう」
 エレンの隣でアイリーンの眉間に皺が寄る。プライドを傷つけられた彼女には申し訳ないが、旅をより安全に進めるのも自分の仕事だとエレンは思っている。
「ああ、一応腕の立つ男を二人ほど雇っているよ。彼らは今別の酒場へ飲みに行っているけれど」
 ほう、と男は頷いた。
「そうかい、そりゃあよかった。いや、そうでなきゃ俺たちがあんたのボディガードに立候補しようと思ってたところだ。いつも仕事に困ってるもんでね。いや、それならよかった。無事な旅路を祈るよ」
 男は一通りにたつくと、舎弟を連れて、彼らの席から離れていった。そして唯一空いているテーブルへ座る。
 エレンたちは顔を見合わせた。アスカの顔には、案の定、ありありと不安が映し出されている。
 どうにも居心地の悪くなった彼らは早々に水を飲み干すと、その店を出た。

「気持ち悪い!何なのあれ」
 すっかり夜の中に落ちた通りを歩きながら、アイリーンが言った。彼女の隣を歩いているアスカが答える。
「あの人は、本当に仕事が欲しかったのかも。戦から逃げ出した脱走兵は故郷へ帰らずにああしてごろつきになることがあるらしいけど、大概は仕事に困っているというし」
レヴィも頷いた。
「実際そういう人は多いよ。エレンはどう見てもお金持ちだしね。仕事をくれると思ったんじゃないかな」
 自分は粗末な平服を着ていてもやはり金持ちに見えるのだろうか。エレンは首を捻りつつ、ぽつりと異議を口にした。
「どうだろう。ボディガードになると言ってついてきて、人気のない草原に入ったら僕らを皆殺しにして、金だけ持って逃げるつもりだったなんてことはないかな」
 彼の隣でレヴィが閉口した。
「…まあ、十分にそれもあり得る話だけど…旦那、おぼっちゃんのくせして疑り深い上に、えげつないこと言いますねぇ」
「猜疑心を育むのに出自は関係あるかな?でも、ありえない話じゃないだろう?」
「まあそうなんですけど、なんていうか、旦那の外見と中身のギャップの話…」
 そこでレヴィがもごもごと不明瞭なことを言いだしたので、アイリーンがレヴィを押しのけてエレンの隣へ入ってきた。
「あたしはエレン様の意見は正しいと思いますよ!あいつの目、見ただけで悪人ってわかりましたもん。あぁ気持ち悪い!レヴィはジプシーのくせにまるで勘が働かないから、へいか…エレン様のことはあたしたちが守らないとね!」
 そう言って彼女は、なぜかアスカまで引っ張ってきて自分の隣を歩かせた。アスカは苦笑し、エレンもつられて笑った。
 旅は危険で厄介に違いないが、新しい仲間たちは愉快である。この旅自体を楽しみだと感じ始めている自分に気づいて、エレンは更に苦笑するしかなかった。自戒しなければいけない、それはそうなのだが、一瞬の余暇を楽しむくらいのことは許してほしいと、エレンは誰にともなく願った。



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