32. 再開

文字数 3,562文字



 エレンは鹿の肉のシチューをぼんやりとかき回しながら、食堂でテーブルについている面々を見つめていた。
 彼の左側にアスカ、その隣に魔法使いの娘が座っており、彼女を挟むようにディガロ、ディガロとエレンの間にはレヴィが座っている。ツィエトは食事の準備だけすると、どこかへ引っ込んでいった。テーブルは五人で使うのが精一杯に見えるので、そのためかもしれないと彼は考えた。
 ディガロは魔法使いの娘、ネイとお喋りをしている。話題は何か、年齢に関することのようだった。お互いにふざけてじじいだのばばあだのと罵り合っている。酷かったというディガロの傷はほとんど癒えたようで、今の彼の外見は元と同じ人間の姿に戻っていた。レヴィが、人狼に変身した時に裂けてしまったディガロの服を彼が縫ったのだと愚痴をこぼしていた。
 アスカの胸に見慣れないペンダントが下がっているのにエレンは気がついており、恐らくあの魔法使いが彼女に与えたものだろうと思った。魔法使いの親子は彼女の説得を受け入れた。結界師としての才能を持つ彼女には、俗世の人間が気付かない何かがあるのかもしれないと、彼は思う。あるいは彼らを動かした何かは、単純に彼女の真摯さかもしれない。人間社会では権力の足しにも金稼ぎの手段にもならないが、それが信頼を買い、人を惹きつけることはある。そしてエレンも、彼女のことは好きだった。
「アスカ、ありがとう」
 彼がそう言うと、ディガロとネイのやり取りを見て笑っていたアスカが振り向いた。彼女は慌てて首を振った。「いえ、私は何もしていません」
「君の説得の力だよ」エレンは笑う。「そのネックレスは?」
 これは、と彼女はつまんで見せてくれた。
「ツィエトさんがくれたんです。詳しい説明は何ももらえなかったんですけれど、多分、お守りだと思います」
「そうか。君が持っていてくれれば、僕らにもご加護がありそうだ」
 目的を果たし、全員が無事にミースへ戻ることができる確率はどの程度だろうと考え、しかしすぐに、確率で今回の出来事を図ろうとする間違いを思い出す。確率ははじめから高くない。しかしそれでも彼らは一手一手を繋げていかなければならない。
 卓上の会話が落ち着くのを待って、エレンは声を上げた。
「皆、」
 四つの顔が振り返る。エレンはそれぞれの顔を順に見ながら、言葉を続けた。
「アスカ、レヴィ、ここまで僕を支えてきてくれた、君たちの忠誠と献身に心から感謝している。僕は本来なら死人になっていたはずだが、君たちが僕をここまで生き長らえさせている。ディガロ、君にも感謝している。君が何者であろうと、僕は君への恩を忘れないだろうし、謝礼は必ず支払おう。既に知っての通り、僕は国王だ」
 ひゅう、とディガロが口笛を吹いた。エレンはそれに苦笑で答え、台詞を再開する。
「僕は君たちの行為に報いるためにも、故郷を救いたいと思う。フランツの政権内部で起きている争いは一度置いておいて、まずエールとの戦争を終わらせたい。この先何があるかわからないし、僕は君たちにもこの後の計画を共有しておこうと思う。ブロントの刺客は僕を死んだものと思っているはずだから連中に狙われる危険は失せたが、これから敵国へ侵入する以上、今までよりも危険な道のりになる。最後まで僕の話を聞いて辞退したいと感じたら、申し出てほしい」
 そうして彼は、この先の計画について話した。案内人であるレヴィには既に一部説明してあったが、それを全員に共有した。
 彼の計画は、エールの王都であるアストルガスへ侵入し、フランツの王族と遠戚関係にあるエール貴族の屋敷を訪れ、彼にエール王デロイへの謁見の席を設けてもらうというものだった。件の貴族には既に密書を送ってある。アストルガスへ向かうには、主戦場となっているローエンの町を含め湖の沿岸は避け、森の中にある小さな集落で舟渡を使って川を渡る。アストルガスの北方にあるエルレの町に着いたら道具を買い揃えて商人に偽装し、そのまま王都へ入るというのが筋書きとなっている。
 エレンはデロイ王との交渉の中身までは仲間に話さなかったが、彼は敵国の王と会い、彼の王がもともと欲しがっていたローエンの町を明け渡す代わりに戦の矛を収めてくれと交渉をするつもりだった。具体的には、沿岸部全域に拡大している戦線からお互いの兵を全て退かせることになる。デロイ王はイアン王の死の前から、長引く戦での怪我がもとで病を患い、戦線を退いている。自分が抜けた後の指揮官には戦に強い彼の甥、公子クインを抜擢したが、クインは戦争好きなばかりで戦略を持たず、王の意図に反していたずらに戦線を拡大させた。デロイ王の本来の目的は速やかにローエンを奪取して損耗を避けることのはずなので、戦線のクインとフランツの政権を牛耳っているブロントの頭越しに停戦協定を取り付ければ、デロイ王は面目を保ったまま甥に撤兵を命じることができ、エレンも中身のある成果をもって凱旋し、ブロントの勢力を押さえつけることができる。デロイ王の性格上、戦場となって荒廃したローエンの復興に手を貸せと言ってくるなど追加の要求が発生する可能性も高いが、後は交渉次第、場合によっては多少の要求も呑む必要があるだろうとエレンは考えていた。
 デロイ王への謁見が叶えば、ネイを除く彼の仲間たちの任務はそこで終わる。往路は公式な旅になるはずなので、デロイ王から護衛を、友人のエール貴族に供を借りてミースまで戻ることになる。エレンさえいなければ一行の旅はお忍びでなくなるし、人目を気にする必要も刺客を心配する必要もない。レヴィには元から往路までアスカと、今は抜けてしまったがアイリーンの案内を頼んであったし、エレンはこの時ディガロに、ミースまで二人の供をしてくれないかと頼んだ。
「それで取り分が増えるなら、嫌だって言う理由なんざねえわな。どうせ俺は暇人だ。あんたの金でミースまで旅行ができるんなら儲けもんだぜ」
 浪人はいつもの調子でそう言った。アスカはもちろんレヴィも彼の予想通り、アストルガスまで彼に付き合うと申し出たので、この二人に人狼が付き添ってくれるのは、エレンにとって大きな安心材料になった。魔法使いの娘だけが、「あたしだけ王様の護衛と旅しなきゃいけないなんて退屈」と愚痴をこぼしたが、幸い彼女は、約束は守ってくれるようだった。







 食事の後、エレンはレヴィとディガロが滞在している客室を訪れた。賞金稼ぎは荷造りする荷物もほとんどなく、部屋でぼんやりと煙管をふかしていた。レヴィか魔法使いのものを借りているのだろう。ジプシーはこの時、部屋にいなかった。
 彼が開け放されていた戸口に立つと、男は椅子に座ったまま顔をそちらへ向けた。エレンは言う。
「黙っていてすまなかった」
 男は眉を上げた。
「まあ、何か訳ありだろうとは思ってたぜ。まさかフランツの王様だとは思わなかったけどな。あんたの妹、あの嬢ちゃんは、貴族の娘じゃなかったんだな。品がよろしいんで、すっかり騙されたぜ」
 煙を吐きながらディガロが笑い、エレンも笑った。
「それをわかった上での配役だったからな」
「あのアイリーンが、もうちょっとお嬢様らしきゃ俺も気がついたかもしれねえんだが。あっちがお貴族様だったとはな。面白え配役だよ」
 ジグザグの形をした煙が、煙管から立ち上っていく。エレンは密かに息を呑んでから、言葉を発した。
「……なあ、僕は余計な気遣いをする気はない。だが、君の出自が何であれ、君は今、恐らく住む家を持っていないだろう。君さえよければミースの郊外の家をやろう。もちろん、無事にアスカとレヴィを送り届けてもらった後の話ではあるが」
 すると狼は煙管を咥えたまま、薄い青色の瞳を、その瞳だけを見れば確かに彼は人間ではないのかもしれないと感じさせるそれを、エレンの方へ向けた。それからふんと、煙を吐きながら笑った。嫌味な感じはせず、楽しそうな声色だった。
「坊ちゃん、あんた魔法使いにゃ嫌われてるが、俺の見立てならあんたもあのお嬢ちゃんもよく似てるぜ。兄妹だって設定の方がしっくりくるくらいだ。ありがとよ、でも素敵な家をもらったところで、俺にはそこですることがねえだろうよ。もっと年食って、歩くのも億劫んなった頃にあんたの息子か娘のところへ行って物乞いさせてもらうぜ。あんたはあの魔法使いの娘におべっか使って、長生きする方法だけ考えてりゃいい。あ、その前にエールの王様とお喋りがあんのか。厄介だな」
 そこまで言い切ると、人狼は明後日の方向を向き、黙って煙をふかし始めた。エレンは小さく微笑むと、黙って戸口から歩き去った。



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み