13: 休息

文字数 3,529文字



 旅の一行はキースの街へたどり着いた。
 キースは首都であるミースを除けば、フランツで最も大きな都市である。大陸の南方と北東を繋ぐ陸上の交通の要衝であり、南北から集まった人や品物が入り乱れ、戦時下の現在でもやかましいほどの賑わいを見せている。
 エレンの一行は馬を曳いて宿へ向かうと、いったん馬を繋ぎ部屋を取ったところで、昼食のために街へ出た。
 やはりできるだけ目立ちたくない彼らは中規模な食堂を選び、そこでテーブルを囲んだ。しかし実際のところ、ここでは彼らはそれほど神経を尖らせていなかった。キースの雑多な人混みの中には、ミース近郊では見かけないような風変わりな通行人もちらほらと見かけられたし、それにディガロという旅人然とした顔ぶれが加わったことで、彼らは以前ほど人目を引くグループではなくなっていた。
 昼食をとりながら、彼らは夜までの予定について話し合った。まず重要なのはキースから次の都市までの物資の確保だ。潰したポテトのスープを啜りながら、レヴィが言った。
「それじゃ、俺は夜までに全部買い物を済ませときますよ。薬と燃料と食べ物ね」
 それに向かいのエレンが頷いた。
「その他で入り用なものは各自で揃えよう。僕もここで剣の手入れをしておきたい」
「あたしも矢を買い足さないと」と言ったのはアイリーンだった。すると彼女の隣で、レヴィが思いついたようににこりとした。
「そうだ、アスカとアイリーンで織物市場へ行ってきたら?南東から入ってきた珍しくてきれいなスカーフやドレスが安く買えるんだよ。地元のおねえさんたちは毎週みたいに出掛けてる場所だし、旅人にもあそこで恋人への贈り物を買う奴が多いよ」
 ふとアスカがレヴィの頭に巻かれた鮮やかな色のターバンを見て、「それもそこで買ったの?」と訊ねた。レヴィは「いや、これは違うんだけど」と答える。
 一方でエレンはレヴィの隣でチキンの足にかぶりついているディガロを見た。
「君はどうするんだ」
 どうやら言葉が自分に向けられたものらしいと気が付いたディガロは、チキンを皿の上に戻すと、まだ肉で口をもごもごさせながら答えた。
「俺は護衛だ。あんたの行く場所へついてくが、一人にしてほしいってんなら酒でも飲みに行くかな……じゃなきゃ闘技場か」
 なるほどとエレンは頷いた。彼はそれについて聞いたことしかなかったが、キースの郊外にはコロセウムがあり、それは闘技場と呼ばれるギャンブル会場でもある。腕自慢のファイターたちが自らエントリーして力を競い合い、見物客はその勝敗を巡って金を賭けるのである。エレンの父のイアン王は時に死人を出すこの賭けパーティを嫌い、何度か闘技場を閉鎖させようとしたが、コロセウムからキース市に入る巨額の税金のために、とうとう彼の理想は実現しなかった。
「それじゃあ僕も、闘技場へ行こうかな」
 エレンがそう言うと、ディガロを含めた全員が目をぱちくりさせた。早速声を上げたのはやはりというか何というか、アイリーンである。
「そんな!闘技場なんて野蛮人しかいないような場所、危ないですよエレン様!あたしも一緒に行きます」
 いやいや、とエレンは首を振った。
「大丈夫だよ。スリには気をつけないといけないかもしれないけれど、ボディガードと一緒に行くんだ」
「だからそのボディガードも当てにならないかもって……だってあんた、どうせ賭けるだけじゃなくて、ファイターとしてエントリーするんじゃないの」
 ぎろりとアイリーンはディガロを睨んだ。なぜ俺が睨まれなきゃならないんだと言いたげに眉を寄せると、ディガロは答える。
「そうだが、悪いかよ。その方が俺には稼げる。まぁやめろって言うならやめとくが…その場合でもボーナスは出ねえんだろう、どうせ」
 今度はディガロの顰め面がエレンを向く。エレンは苦笑しながら回ってきたボールをアイリーンへ返した。
「大丈夫だよ、僕だって自分の面倒くらいは見れるさ。それよりアイリーン、アスカをその織物市場へ連れて行ってもらえないかな?折角の旅なんだ。もちろん目的はあるしお遊びではないけれど、何もそれは楽しんじゃいけないって意味じゃない」
 そう言われて、アイリーンがむうう、と唸り声を上げた。するとまたチキンにかぶりついていたディガロが、ちらりと視線を上げてアイリーンを見遣る。
「あのな、男には男の用事てもんがあんだよ。…そのくらい察しとけ」
 一瞬何のことだろうかと思ったエレンより早く、彼の隣ではっとしたアスカの顔が赤くなり、それを見てアイリーンとエレンはやっと理解した。なぜかアイリーンが驚愕に近い表情で彼を振り返ったので、エレンは思わず首を振った。
「いや、僕は…」
 そういう店に行く気はないし興味もない、王としての規範と貞節というものがあるし、それ以前にもしかしたら不衛生的だ。なんて口にしたものかどうか彼が迷った一瞬の間に、この短いが気まずい沈黙を打ち消そうと気を利かせたのだろう、今まで黙って彼らのやり取りを見守っていたアスカが突如口を開いた。
「あっ、大丈夫ですそれじゃあ、私アイリーンと一緒に、市場を見に行きます!レヴィ、場所だけ教えてもらってもいい?キースは広くて、案内なしじゃ迷ってしまいそうだから」
 いつの間にか勝手に一人で蚊帳の外へ出てスープを啜っていたレヴィは顔を上げると、へらりと頷いた。
「もちろん。それに織物市場の隣には、ベーカリー市場もあるんだよ。地元のおばちゃんたちが売ってる焼きたてのビスケットやプレッツェルが最高なんだよね」
 そこからレヴィがキースで食せる様々な菓子の種類について語り始めたので、エレンは開きかけた口から弁解を発する機会を失い、静かに口を閉じたのだった。まあそのうち、誤解を解くチャンスはあるだろう。若い王は咳払いをしてそう独りごちると、静かに水を啜った。







 それから間もなく、エレンはディガロと並んで闘技場へ向かう道を歩いていた。
 街の外れだけあって中心街ほど人が溢れているわけでなく、石畳の道は比較的広々として歩きやすい。エレンはふと、自分の隣を歩く大柄な男を見上げた。
 先日から散々目にしているが、この男の戦闘能力は並のものではない。エレンは始めこそこの男がアンゾの送ってくれた護衛でなければブロントの刺客あるいは単なる金目当ての悪人ではないかと気を揉んでいたのだが、さすがに数日を経てそういう疑いは消えつつあった。ディガロが刺客や悪人ならば、エレンたちを皆殺しにできる機会はいくらでもあった。この粗雑で口が悪く一見凶悪そうな男はそう見えるだけで、実際には案外と良識的で実直な性格の持ち主ではないかと、エレンは感じ始めている。アイリーンには嫌われ、アスカには度々ちょっかいを出しているようではあるが、その程度のことで目立った問題もない。この男を旅の連れにできたことは、自分たちにとって幸運になるかもしれないとすら、エレンは思い始めていた。
「君は以前も、闘技場へ行ったことがあるんだろう?」
 エレンが訊ねると、ディガロは短く「ああ」と答えた。
「それで闘うのか?」
 彼が言ったのは、今もディガロが背に負っている大剣のことである。ディガロはあの獲物を片手で操るが、普通の男なら両手で振り回すのがやっとの代物のはずだ。
「いいや、こいつは目立ちすぎる。コロセウムでしょぼい剣を借りられるから、俺はそいつを使う」
「なるほど、観客や店側に顔を覚えられれば、君は店側と直接契約を迫られるか、出入り禁止になるってことだ。確実に君が勝つんじゃ賭けにならない」
 眉を片方上げて、ディガロがエレンを見下ろした。
「よくご存じじゃねえか。なんだ兄ちゃん、召使いや妹にはいい顔してっけどやっぱ不良貴族か」
「いいや、コロセウムにもそれ以外の賭場にも行ったことはないよ。でも考えてみればわかることだろう?」
「なるほど。育ちがいいと頭の回転もよくなるってか。まぁいいや貴族様よ、ついて来てくれんのは構わねぇが、察しのいいあんたならルールもわかるよな?」
 そう言ってディガロは、用心深そうに光らせた目をエレンへ向けた。恐らくディガロは偽名か何かを使ってエントリーするのだろうが、自分の正体を明かしたりしてくれるなよということだろう。エレンは頷いた。
「もちろん。それに君が闘っている間は、その獲物も預かっておいてあげよう」
 お前にこいつを抱えられるのか?といった不躾な質問は慎んだのだろう、護衛は一瞬怪訝そうな表情をしたものの、「じゃあ、お願いするぜ」とのみ、短く答えた。



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み