26. 追憶

文字数 5,009文字




 今でも時々鞭に打たれて目覚めることがある。あるいはその鞭を持つ手に噛みついて、むせ返るような血の気配に目覚めることがある。いずれにしろそれは夢で、あるいは過去の記憶だ。
 彼の母親は、既に当時人間社会の中では滅多に見かけなくなった人狼の雌だった。人狼の雌という呼び方は人間が使う言葉だが、とにかくそういうもので、また彼の父親は、人間の雄だった。
 母親はまだ仔狼の頃に人間の狩人に捕まって、初めの十年ほどは彼女を買い取った好事家の金持ちどもの屋敷を転々としていたが、ある程度年をとるとサーカスへ売られた。彼女は何度か人間との間にできた仔を産んだが、それらは全て殺されるか売り払われるかして、彼女の手元に残らなかった。一度だけ例外があり、それが恐らく彼女が最後に人間との間に儲けた仔だった。その先のことはわからない、なぜなら彼女はそこで彼の前から失せ、きっとこの先も彼の人生の中に現れることはないからだ。そしてその最後の仔が彼だった。
 父親だった男は、サーカスの雑役だった。表舞台に出ることはなく、舞台裏でショウに使われる動物たちの世話をするのが男の仕事だった。男が餌をやって時々水浴びをさせなければいけない動物たちの中に彼の母が含まれており、普段は灰金色の狼の姿をしているが時々金髪の美女へ変わる生き物は、男の気を強く引いたようだった。
 彼女が産んだ男の仔は二匹だったが、一匹は狼に変身することができない人間の姿で生まれ、間もなく売られたのだか殺されたのだか、母親から引き離された。もう一匹は狼と人間の両方に変身することができたので、サーカスの座長は母親に仔狼を育てることを許可した。親子として見世物にできると考えたのだ。
 人狼は人間の倍近く生きると言われ、年を取るのも一般的に人間よりは遅いが、子供である期間は人間より短い。生まれて二年もした頃には、彼も人間の五歳児よりは随分大きくなっていた。彼の母がサーカスを逃げ出したのはその時期で、間抜けな男が情事のあとに酒を探して部屋を出ていく際に鍵を閉め忘れたのに気付いた彼女は、夜闇に紛れてサーカスのキャンプを抜け出し、森の中へ逃げ込んだ。男は座長から、放埓や動物たちへの虐待について始終注意を受けており、同時に人狼には常に鎖をつけておくようにと指示されていたのに、その晩は彼女の枷を外してしまっていた。
 母親が消えてしまった直後から仔狼が食事を受け付けなくなり、その問題を解決するために、サーカスのキャラバンの中からライラという名前の女が動物小屋へ送り込まれた。ライラは曲芸師の妻で、彼女自身にも当時二歳くらいの子供がいた。彼女は仔狼の世話を焼いてそれの食欲を取り戻すことに成功し、その後もしばらく彼の面倒をみていた。彼はライラを気に入って、彼女とコミュニケーションをとるために狼より人間の姿でいる時間の方が長くなり、またその時期に人間の言葉も随分たくさん覚えた。しかしライラが彼のそばにいてくれたのも一年程度のことで、ライラは彼や彼女の家族を残して、フィルノルドの寒い冬に、胸を患って死んでしまった。
 彼は六歳の時にサーカスから逃げ出す最後の瞬間まで、彼の父親とは折り合いが悪かった。父親は彼のことを獣だと思っていたのか、ほとんどまともに口をきかなかったし、彼はライラに色々なことを教わるまでは、『父親』とは人間の雄のうちでも、たちの悪い生き物を指す言葉なのだと思っていた。
 六歳の彼は人間の姿になるともう十五歳くらいの少年に見えたのだが、ある時男が彼の首輪を檻へつないでいる錠前の鍵を、彼の檻の隣へ落としてしまった。彼は素早く鉄格子の間から腕を伸ばしてそれを掴み、鎖を檻から外した。慌てると同時に怒った男は鞭を取って檻を開けた。扉が開いた瞬間、彼は男が鞭を振るより早く男に飛び掛かり、男が痩せた少年の体を弾き飛ばすより早く、男の喉笛に噛みついた。夥しい量の赤色が流れ出し、少年は男の生死を確認する間もなく跳ね起きると、一目散に駆け出した。鎖を引きずりながら逃げる獣を見つけたサーカスの男たちが後を追ったが、四つ足に変身して走る彼に、誰も追いつけなかった。
 その後の十何年かを彼は森の中で狼として暮らし、別の何十年かを街の中で人間のふりをして暮らしていた。自分の同類に出会うことは全くなかった。人狼はもうずいぶん前に人間の集落の拡張とともに森の奥深くへ追いやられ、わずかな群れが狩人の手の届かない場所を探して渓谷の奥をさまよっているのだという話を聞いたが、それを探そうとも彼は思わなかった。結局彼は正しくは人狼でもないのだ。
 あれは獣だと、彼の母親のことを指して、彼の父親が言っているのを彼は何度か聞いたことがあった。なぜなら人狼は人間を食うからだという。人間を食う連中は獣だ。しかし彼は首を捻った。人間だって他の動物を食うではないか。そこに違いがあるとは思えない。ということは、人間は動物のうちでも自分たちのみを勝手に人間と呼び、それ以外のものを勝手に卑下して獣と呼んでいるというだけのことだ。少年だった彼はそう認識した。そして彼は、人間よりは他の獣の方がまだましだろうと思った。同種の間で自分以外の個体を奴隷と呼び、捕らえて嬲るような気違いは、少なくとも他の種には見受けられない。そう思ったので、彼は自由になってからしばらくの間は、森の中で暮らしていた。
 しかしながら間もなく彼が気づいたことは、人間も狼も、自分たちと異なる種に対して否定的だった。人間も狼も異なる生き物だが、彼らが生き物であるという以外に共通点を持つとすれば、その一事といっていい。彼は人間社会にいる時も狼社会に混ざっている時も、徹底してどちらかを演じなければいけなかった。結局自分は狼でもないのだという事実に飽きてしまった時、彼は人間の社会へ戻った。
 彼が人間社会へ戻った理由のひとつに、彼が少年の頃から身に着けている鉄の首輪がいい加減邪魔になってきていたということがあった。長い年月の間に首輪にぶら下がっていた鎖は脆くなり、彼自身の努力でかなり短くなっていたが、首輪だけは外すことができず、小さな輪が成体になった彼の首に合わなくなっていたが、森の中にはそれを外せる道具がなかった。
 人間社会の中にも彼と同じように首輪をつけている連中がおり、それらは皆奴隷か罪人だった。首輪をつけた彼を見て、人間たちは彼を逃亡奴隷だろうと考える。逃亡奴隷は奴隷売買を生業にしている連中から付け狙われるので、彼はフードのついた服を着たり布を巻いたりして、首輪を隠していた。彼は自分の身体能力がどんな人間や狼よりも随分優れていることに気が付いてていたので、やがて得体の知れない浪人どもに混ざって賞金稼ぎの仕事をするようになり、ある程度金が貯まった時に、闇市場の鍛冶屋へ頼んで、大きさの合わない首輪を外してもらった。
 彼は長いこと人間を嫌っていたが、意外にも、人間社会で長く暮らすうちに、その思いは徐々に薄れていった。もちろんその嫌悪が完全に彼の中から消え去ったかと言われると、それは今でもわからない。しかし色々な街を渡り歩き様々な人々に出会うにつれ、時に彼らの善意や愛情に触れる機会があり、またそうでなくとも、多くの人々が性根には何かしらの善性を抱いているのだということに彼は気が付くようになった。もちろん個人はそれぞれ完璧ではなく、時に殴り殺したくなる糞野郎に出会うこともあるが、その多様性も人間の特徴の一つであるのだろう。彼のような異種を獣と呼んで侮蔑したり忌避する人々の大半は悪意があるからそうするのではなく、むしろ彼らのそういった反応は、彼らの中に本能的に備わった、自らと異なる者に対する排斥欲求と、無知や無思慮の成果だといえた。今でも彼はそれに絶望を感じることはあるが、憎む気持ちはほとんど失せたといってよかった。
 それだから彼は自由になって首輪を外した後も、サーカスや奴隷市場で過去の自分と同じように苦しんでいる連中を見かけても、運の悪い連中だと思うことはあっても、それ以上の何かを感じることはないか、あえて感じることを避けた。そういった仕組みや出来事は人間社会というものの一部を成している部品の一つであり、彼らはたまたまそこへ嵌まってしまっていたというだけに過ぎない。同じ花壇に生えている蔓にも日当たりのいいものとそうでないものがあるのと同じであり、人間社会の外でもそれは共通のことだが、世界は決して平等にはつくられておらず、何よりそれについて彼が為せることは何もない。
 ところで彼は、フランツを訪れて初めて、奴隷の保有に反対意見を持つ人間たちがいることを知った。フランツは大陸の中東に位置する穏健な国家で、西の帝国ほど様々な分野で優れた技術を持つわけではないが、北東のフィルノルドやそのさらに東側の国々と比べれば随分と豊かな場所だった。当時から国王だったイアン王は慈愛の深さで知られており、自分の膝元であるミースの中に限ってだが、奴隷の保有と売買を禁じていた。それは恐らく経済的にはずいぶん無茶な政策であったに違いないが、国民の王への支持の厚さから、王都ではそういったルールがまかり通っていた。もちろん他都市からやってくる連中は奴隷を護衛や従者として連れているが、ミースに入る時だけは彼らの首輪を外し、どこかに宿泊する時も最低限屋根のある場所に寝泊まりさせなければならないので、今でも一部ではこれは随分な悪法として名高い。
 さらに彼にとって興味深かったのが、奴隷の定義である。通常奴隷と言うと、奴隷の子として生まれたか、契約や破産、犯罪などのために奴隷の身分に落ちた人間のことを言う。しかしある時ミースのある市民が、自分の娘がドワーフと恋に落ちてしまったので、そのドワーフを奴隷認定した上で奴隷の身分から解放してほしいという訴えを裁判所へ持ち込んだ。ドワーフは実質的に奴隷としてミースにある細工屋で三十年以上も労働に従事させられていたが、彼が人間でないために例の政策が法定化されても彼の主人はドワーフを手放さなかった。裁判は議論を呼び議論は紛糾したが、最終的にドワーフは細工屋の所有する奴隷であると判断され、自由市民となったドワーフは娘の家に婿入りした。
 法律は対象とする生き物を「人間の言葉を話すだけの知性を有する、二足歩行の生き物」と定義するように改定された。しかしすると今度は、「人間でも、病や障害のために言葉も話せず、二本足で歩けない者もいる」といったような意見が巷で言われるようになった。再度議論は紛糾し、最終的に条文は「人間の言葉を話すだけの知性を有する、二足歩行の生き物。ただし例外は常に存在し、我々はそれを我々の良心と知性によって判断する」と書き換えられた上、市井に公表された。要は、よくわからなかったら裁判所へ問い合わせて許可を得ろということだ。曖昧ではあるが、この条文からはミース市民の善意と判断を信頼する制定者側の意図を感じられると、彼は思う。
 彼がしばらく行動を共にしている一行は、そういう街からやってきた連中である。アスカという娘が、サーカスからピクシーを連れ出したのを見て、正直彼は驚いていた。彼女のことを、世間知らずの、人の良さそうなお嬢さんだとは思った。それにしたって一体何のために、何が彼女にあんなことをさせたのかと彼は考え、そういえば彼女がミース市民であったことを思い出したのだった。無力な人狼には社会を変える力も奴隷となった同胞を救う力もないが、恐らく彼女のような人々が、そういった力を有しているのだろう。
 ピクシーと並んで歩いている時の彼女を眺めながら、彼は彼女の瞳の中に、人間が持っている最も美しいものを見ていた。それは素朴な善意や愛情というものだ。それは一般的に人間の好きな権力か財産といったものに換えられるものでないし、それで飯を食えるものでもないのだが、不思議と彼だけでなく、本来なら全ての人間の中には、それを美しいと感じる感性が備わっているはずである。容姿や肉体の健康などは加齢や病によっていずれ確実に奪われるものだが、人間は死ぬ時まで善性だけは手放すかどうかの選択肢を、常に与えられている。



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