44. 交信

文字数 4,131文字



 ディガロとレヴィは、アストルガスの町の中でもごく王宮に近い通りを、何気ない旅人を装いつつ、ぶらぶらと歩いていた。目的は作戦現場の下見である。
 立ち聞きしたギャレイの言葉から、囚われたエレンがアストルガス郊外にある牢獄だか屋敷だかに幽閉されるかもしれないこと、そのために恐らく近々王宮から移送されるだろうということを知った彼らは、捕虜が王宮から出された瞬間を狙ってエレンたちを救出できないだろうかと計画を立てていた。
 搬送は馬車で行われるだろうから、馬車がアストルガスの都外へ出てからそれを襲撃するというのが一般的な方法に思えるが、こちらの手勢は仮にあのオークもどきを仲間に加えたとしても三人しかいない。フランツ王の搬送となれば警備はそれなりに手厚くなるのが当然と思われ、また現場が荒野であれば、王を奪取した後でも追撃を振り切るのが難しくなる。そこで相手の意表を突き、馬車が城壁から出る場所、王宮の門前で誘拐を強行しようという話になった。何よりこれが唯一あの殺戮者の協力を得られる方法であり、彼をエレン殺害という目的から遠ざける方法であった。
 あの魔物のような男は門の開いた王宮に突入し、謁見の間まで入って行ってデロイ王を殺すと宣言した。そんなことが実現可能かどうかは、正直なところディガロの心配してやることではない。彼らの目的はオルグォが王宮の衛兵を殺しまくっている間に、恐らく馬車の中に押し込められているだろうエレン、アスカ、ネイの三人を救出し、二手に分かれてアストルガスの外へ逃げ出すことだ。
 露店で買った林檎を齧り、それを肩の上のワタリガラスにも与えながら、レヴィが王宮を囲んでいる黒い石塀を目でなぞっている。林檎を咀嚼し終えたレヴィは、重い溜息を吐いた。
「入口、さっきの正門の他には、あの奥の裏門だけだ」
「そりゃ、さっきも話したろ。現場はその裏門になる。何が今更問題だよ?」
 先ほど昼食をとった食堂で食後用に給された薬草の茎を噛みながら、ディガロは単純に尋ねた。ジプシーは首を振る。
「…何でもない。悪い妄想しちゃっただけだよ。大丈夫、もう考えない、きっと上手くいく、きっと上手くいく……」
 呪文のように唱え始めたレヴィを、ディガロは眉を上げて見遣った。ジプシーはアスカやエレンたちと別れてからずっとこんな調子だ。もしかしたら川の中に飛び込んだのがよほど怖かったのだろうかなどとディガロは想像するが、いずれにしろ彼の分までレヴィが不安がってくれるので、ディガロは厄介な計画を目前にしても酷く冷静でいられた。目の前に混乱している奴がいると、こちらはかえって冷静になるものだ。
 しかしその時、ぼやいていたジプシーの声が唐突に止むと同時に、その足が止まった。つられて歩みを止めたディガロが友人を振り返ると、浅黒い顔からは表情が消えており、黒い瞳はどこか虚空を見つめていた。林檎を持っている手は、腰の横にだらりとぶら下っている。
「おい…」
 相棒の様子がおかしい。立ち止まっている彼らの横を、通行人がすり抜けていく。
「おい」
 いよいよ不気味に思った彼が相手の顔の前で指を弾いてみようと手を持ち上げた時、ジプシーの顔が上向き、黒い両目がディガロを見上げた。その瞬間、彼は目の前の人型がレヴィではない、正確には別のものが彼の体に入り込んだのだということを理解した。
「お前……」
 俄かには信じがたかったが、彼の勘は、今彼が対面しているのがあの魔法使いの少女だと彼に告げている。なぜそう思うのかはわからないが、ただ彼はそう感じた。
「ネイか?」
 彼がそう訊ねると、ジプシーの両目はやっと瞬きし、今目が覚めたように辺りを見回してからディガロに向き直った。「うん、よくわかったじゃん」
 やはりディガロの想像は正しかったようだ。声はもちろんレヴィのものだが、話す抑揚も速度もネイのものだ。これも魔法使いが行う手品の一つだろうと自分を納得させたディガロは細かいことを質問するのを避け、まずは突っ立ったままになっているレヴィ、もといネイの背を押して、「まずは歩こうぜ、立ち止まってると目立つ」と、声を低くして言った。
 了解、と答えた少女は歩きながら、早速お喋りを始めた。「あんたらもここまで来てたんだね。ねえ、何この鳥さんは」
 彼女が自分の肩に乗っているワタリガラスを見遣る。鳥の方も、様子の変わった主人を疑問そうに見つめ返している。
「そいつは、レヴィがあいつのお袋さんと使ってる伝書鳩だよ。それより、坊ちゃんが取っ捕まってアストルガスの王様んとこに送られたって聞いたぜ。だから俺らもここまで来てたんだ。そっちはどうだ。今どこにいんだよ。坊ちゃんと嬢ちゃんは」
 魔法使いは、普段のジプシーより背筋を伸ばして随分早足で歩く。矢継ぎ早に発された質問に対して、彼女は順番に答えた。
「三人とも一緒にいるよ。お城の、お客様用の部屋ってとこかな。アスカがね、近くにあんたの気配がするっていうからあたしが捜索の魔法で、君たちを見つけたの。ちなみにあたしが今レヴィの体を借りてるこれは二次憑依っていう、魔法っていうか呪いの一種なんだけど。あたしのレベルじゃ誰相手にも使えるわけじゃないから、たまたまレヴィに入れて助かったよ」
 ディガロはへっと、短く息を吐いて笑った。アスカがディガロの気配について、妙な感じがすると言っていた。その妙な気配が、役に立ったということだ。
「まあ何にしろ、そっちも無事で何よりだ」
 ネイは頷く。「ほんと、奇跡的にね。とりあえず、王様の交渉はまとまったみたいだし」
「つまり、エールの王様は停戦に同意したってことか」
「まあね。こないだ言ってたみたいに、和平協定を結んで、その中の条件にローエンをあげるってのが含まれてるみたい。ただ、王様は実家にいる悪大臣と話を付けなきゃいけないから、その計画がまとまるまでうちらはヴェルノールにある離宮に滞在することになるらしいんだけど。でもちょっと、気になることもあるんだけどね」
 そこで、魔法使いの視線が泳ぐ。ディガロが眉を顰めると、ネイは続きを付け足した。「エール王はフランツの悪大臣と繋がってたらしいんだよね。悪大臣は随分前から、隠れてデロイ王と使者のやり取りをしてたみたいなんだよ」
 それを聞いてディガロは、彼の頭の中に先日から漂っていた疑問が音を立てて解けるのを聞くと同時に、腹の中身が急速に冷えてゆくのを感じた。アストルガスの南西にある都市ヴェルノールには、確かにエール王族の離宮があるが、その郊外には王の丘と呼ばれる丘陵地帯があり、そこに累代の王族の陵墓の他に監獄があるのは有名な話だった。歴代その監獄には、一般の犯罪者ではなく、身分の高い政治犯や政争に破れた王族が幽閉されてきた。先日立ち聞きしたギャレイの言葉は、悪い現実となって彼らの前へ戻ってきたというわけだ。悪い想像をしているのは、ディガロだけではないだろう。
「そいつは、穏やかじゃねえな。……おい、計画だと、アストルガスに着いて話がまとまれば、その内容が何だろうとアスカや他の連中は、先にミースへ返されるって話だったよな。旅をしねえんだから、結界師は王様の同伴に不要だろ」
 彼が疑ったのは当然、デロイ王が実はブロントとの交渉を先に成立させており、宰相の意図に従ってエレンを幽閉あるいは殺害する可能性だった。彼は回答を待つ前に更に質問を続ける。「そもそもなんでエールの王様とフランツの悪大臣が繋がってるってわかったんだ」
 レヴィ、もといネイは口を開きかけ、しかしびくりと体を震わせると、突然焦点の合わなくなった目がどこか遠くに向けられた。同時にジプシーの足が止まり、それに合わせてディガロも立ち止まる。彼が「おい」と言いかけたところで、一瞬だけ意識の戻った瞳が彼を見上げた。魔法使いが早口に言う。「人が来る。もう話せない。ねえ、レヴィの鳥を借りてもいい?」
「ちょっと待て、ヴェルノールへの移送はいつだ」彼は慌てて捲し立てた。
「明日の夜明けの時。だめだ、またねディガロ」
 ネイが早口に言い終えると、再びジプシーの目が遠くなった。魔法使いが彼の体を離れたのだろう。同時に、レヴィの肩にの上にいたワタリガラスが、突然何かに呼ばれたように飛び立った。ディガロは思わず鳥を見上げるが、コナは羽ばたくと、あっという間に石の城壁の向こうへ消え、見えなくなってしまった。その間にジプシーの両目が瞬きし、黒い瞳がきょろきょろと辺りを見回してから疑問そうに眇められ、手に持ったままだった齧りかけの林檎を見下ろした。レヴィが戻ってきたらしかった。
「よう、…ああと…覚えてるかよ?」
 ディガロが訊ねると、ジプシーは曖昧に答えた。「女の人の声が聞こえた気がしたんだ。でも……」
「そりゃ多分、ネイの声だ。今魔法使いがお前の体を乗っ取って、俺と話してた」
 それを聞いてジプシーはげっと声を上げた。「そんな、勝手だよ。俺は許可した覚えない。すごい魔法だと思うけど、なんで俺なんだ」ついでに彼は、自分の肩の上に乗っていた相棒が消えていることにも気が付く。「それに、コナがいない」
「ネイが、貸してくれっつってたからだろ、飛んでっちまった。喚くなよ、非常事態だろ。それより、悪い知らせといい知らせがある」
 一度黙ったレヴィは愚痴を言うのは諦めたのか、不安そうに仲間を見遣った。「悪い知らせは?」心配性の人間は、先に悪いほうについて確認した。ディガロは彼の中で騒ぎだそうとする焦燥を抑え、静かな声で言った。
「フランツの悪大臣とエール王はやっぱり前から繋がってたらしい」
「えっ」
 一気に青ざめる顔を宥めるように、ディガロは先を続ける。
「良い知らせもある。あっちは三人とも無事だ。予想通り郊外へ運ばれるらしいが、ついでに移送のタイミングもわかった」
 彼が意味ありげにそう言うと、意図は伝わったらしく、レヴィははっと息を詰めた。ディガロは頷く。
「そうだよ。あのオーク野郎に、明日決行だって伝えに行こうぜ」



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