9: 遭遇

文字数 4,752文字




 しかしながら、不運にも悪い予測は現実になってしまった。
 翌朝ティプトの町を出て馬を走らせ、一時間ほどたったところで、それは起きた。
 彼らは、アイリーン、エレン、アスカ、レヴィの順でほとんど縦に並んで走っていた。この辺りからアスカは、魔物が近づいて来たら察知できるように気を巡らせながら走っており、アイリーンは前方に現れるかもしれない盗賊を警戒していた。
 しかし彼らがその足音を聞いたのは後方からだった。けたたましい馬蹄の音に振り返ると、後方から五人ほどの男たちが近づいてきていた。男たちは見るからにごろつきで各々武器を携えており、馬に鞭打って彼らとの距離を縮めてくる。
「速度を上げろ!」
 エレンが叫ぶまでもなく、彼らも馬を急かした。しかし今度は横から矢が飛んできた。いつの間にか彼らの左手にも五人ほどの男たちが現れており、矢を放ったのはその連中だった。別働隊は彼らの前方へ回り込むように動いている。このまま進めば彼らがすぐに袋の鼠になるだろうことは、誰にでも予測ができた。
「先頭にいる人、あれって昨日酒場にいた男の人じゃない」
 アスカの声が聞こえ、エレンはああと頷いた。アイリーンが背負っていた弓を取りながら言った。
「打ち合わせ通り北へ迂回しましょう!陛下はアスカととにかくつっ走って下さい。あたしとレヴィは後から追いかけます」
 勇ましいアイリーンの声の向こうで、「にしてもいきなりこうなっちゃうなんて」、と困り果てたような声でレヴィが呟いたのが聞こえた。彼らは最悪のシナリオとして、手に負えない数の盗賊などに襲われた場合の作戦も打ち合わせていた。アイリーンとレヴィが敵を防いでいる間にアスカとエレンは逃げ、後ほど合流地点で落ち合うというものだが、エレンとアスカは逃げおおせることができたとしても、アイリーンとレヴィはそう上手くいくだろうか。
 既にアスカの顔が蒼白になっているのに気が付きながら、エレンは「頼んだぞ」と声を上げて馬の向きを変えた。アスカにも目線で促す。彼女は仲間を置き去りにすることに躊躇したに違いないが、それでも状況を理解した上でエレンに従った。
 馬に鞭を打ちながら、エレンはちらと振り返った。仲間の二人が遠ざかってゆく。アイリーンの放った矢が盗賊の一人を射落とし、彼女の隣のレヴィも小型の弓を構えた。二人にはみるみるうちに敵が近づいている。エレンは自分と同じように顔を背後へ向けているアスカに気が付き、「アスカ、前を見て走るんだ」と言った。
 彼女の困惑した瞳は一度彼を見た後、ようやく前方へ向いた。しかしそこで、アスカはあっと声を上げた。
 何と彼らの進行方向からも、一騎の馬が駆けてきていた。新たな敵だろうか、エレンは歯噛みした。しかし相手は一騎だ――エレンは打ち合うつもりで、馬の速度はそのままに腰の剣を抜いた。
 石と草ばかりの草原の中、相手はみるみるうちに接近してきた。馬上にあるのは大柄な冒険者風の男で、抜き身の大きな剣を片手で掲げている。獲物の長さも体格でも、あちらの方が勝っているのは一目瞭然だった。エレンはアスカに向かって「下がれ」と叫んだ。彼女の馬が彼の馬から離れる。
 敵が近づいてくる。エレンは接触の時を秒読みした。しかしすれ違うか否かという距離へ来て、その一騎は彼らを避けてその横をすり抜けていった。
 剣を構えたままエレンは振り返った。彼らとすれ違ったごろつきは大剣を握ったまま、今や乱闘を起こしている盗賊たちの群れへ向かって突っ込んでいった。
 後方では、既に馬から落ちたらしいレヴィが徒歩で馬の間を駆け回っている。アイリーンは馬が走るに任せながら矢を放っていたが、四人近くの男が彼女を追い回している。そこへ大剣を振りかざした男が斬り込んでいった。
 盗賊どもが男を見て驚いているところを見ると、突然現れた闖入者は盗賊の一味ではないようだった。さらに盗賊どもを驚かせたのは男の剣撃だった。男は初めの一振りで盗賊の一人を馬ごと斬り落としたのである。目を瞠るエレンの横でアスカが速度を落とした。
 盗賊たちが闖入者を敵と判断してやっと男に襲い掛かるまでに、男は二人の盗賊を切り捨てていた。男の大剣は彼と打ち合った敵を武器もろとも切り伏せた。四騎が男を囲み、二人が同時に男に切りかかった。男は片手で剣を振り回すとすぐに突き出された棍棒をもう片手で掴み、相手の手からからむしり取った武器で持ち主の頭を叩き割った。
 思わずエレンも、馬を返して唖然と戦場を見つめた。アスカはもう随分前に馬を止めている。
 包囲から逃れたアイリーンが弓を構え直して男の援護を始めた。いつの間にかレヴィは弓も失って逃げ回っていたが、彼を追っていた男が仲間の加勢に向かったので落とした弓を拾いに走って行った。
 始めは十人以上いた盗賊が、気が付けば三人ほどに減っていた。アスカが仲間のもとへ向かって駆け出した。
「アスカ、待つんだ」
 エレンはそう言いつつ、自身も彼女の後を追った。突然現れた男は確かに今彼らを救ったが、その正体も目的もまだ全くわかっていない。
 とうとう盗賊どもは敗北を悟ったらしく、怪我人も含め逃げられる連中だけで逃げ散って行った。アイリーンがその後ろ姿に矢を射かけながら「二度と来んな!」と叫んでいた。
 そして闖入者はというと、敵が去るが早いか馬を下り、地面に大剣を放った。レヴィが黒々と見開いた目で男の動向を見つめている。男は地面に転がっている盗賊の一人に歩み寄ると、その胴体を蹴り転がした。レヴィが弓を抱えたまま、恐る恐る男へ近づいた。
「やあ、ありがとう、助かったよ。…あんたもこの連中に恨みでもあったのかい?知り合い?」
 男はレヴィの質問には答えずに、転がした怪我人の懐に手を突っ込むと、そこから財布と思しきものを掴み出した。ただの追い剥ぎだというのがもしかしたら正しい回答かもしれない。馬に乗ったまま、アイリーンがレヴィに向かって言った。
「レヴィ、したいようにさせときなよ。それより早く行かないと」
 すると追い剥ぎ男はゆらりと立ち上がり、アイリーンとレヴィ、そして近づいてくる二頭の馬の上の顔を見比べた。立ち上がった男は随分と背が高く、無造作に束ねられた髪と顎を覆う無精髭は、灰色がかった金色をしていた。エレンはこの男とこの男の武器に見覚えがあった。この男は昨夜彼らが使った食堂にいた、もう一人の客だった。
 アスカがアイリーンのそばまで行って馬を止め、追いついたエレンは男の数歩手前で馬を止めた。エレンは男を警戒していないわけではなかったが、今男は剣から手を離しており、武器は数歩離れた地面の上に横たわっている。
「君は誰だ。なぜ僕らを助けた?」
 ただの追い剥ぎならエレンたちのことも斬り捨てればよかったはずだ。エレンの中では疑問が膨らんでいる。男の腕前を見て、まさかアンゾが後から送り込んでくれた護衛ではないかとすら考え始めていた。そうであれば、これ以上頼もしいことはない。
 男は鋭く表情の読みにくい目をしており、何か獣を思い起こさせるそれが、しかしエレンのその発想を否定していた。その目はエレンを値踏みするように見つめていたが、すぐに男は口を開いた。
「俺を護衛に雇わねぇか」
 そこでアイリーンの眉間に皺が寄った。彼女は弓に矢をつがえたままだ。エレンは首を傾げた。
「…それを言いにここまで僕らを追って来たのか?君は、昨夜酒場にいた客だろう」
「ああ。あんたらを見た。で、そのあと八つ頭の連中が、今日ここであんたらを待ち伏せしてとっつかまえようって会議してたのも聞いた」
「…僕らのことも殺して金を取れば早いんじゃないか?」
 彼の物騒な物言いに、アスカやレヴィの方が緊張した面持ちをした。ならず者の男は鼻息を吐いて笑った。
「そりゃ阿呆のすることだ。あんたみたいな連中は、ずる賢くギルドに金を預けてて行く先々で金を下ろしながら移動するだろ。くっついてって一緒に飯を食わせてもらった方が儲けは上がるってもんだ。ここの死人どもみたいなおまけもついてくるしな」
 男の言葉に納得する一方で、エレンは内心どきりとしていた。今回彼らは旅の貴族を装っているがもちろん旅先で金貸しなどと接触することはできないので、路銀はまとめて現金で持ち運んでいるのである。
「なるほど。これは君の実力を僕らに示すための絶好の機会だったというわけか。確かに効果的だよ」
 今彼らの周りには、七、八人の男が転がっている。アンゾだってこうはいかないのではないかとエレンは思った。男は手の平の上で汚い財布を弾ませながら、にやりと笑った。「一日三十ノールでどうだ?」
「ちょっと、ふざけないでよ!」
 横から声を上げたのはアイリーンだった。三十ノールは平民の感覚からすればかなりの大金である。例えば彼らが昨夜使った宿は一人一泊二ノールだったし、平均的な農民の一家が一か月に稼げる貨幣がせいぜい五十ノールであるから、男の要求は法外な金額といえる。エレンは頭の端を回転させつつ答える。
「一日三十はいくらなんでも高すぎる。一週間で三十五でどうかな?」
「えっ、ていうかこんな奴雇うんですか!」アイリーンが叫んだ。その隣ではアスカが緊張した面持ちで、エレンと男を見比べている。一方で男は構わず会話を続けた。
「そりゃどケチってもんだろ。持ってんなら惜しみなく出せよ」
「金持ちが豊かなのは、できる限り出費を省くからということもある。宿代や食費は別に出そう」
「週六十はどうだ?見たところ他に護衛らしい奴は雇ってないんだろ?」
「夜逃げなのであまり余裕がなくてね。なら四十九でどうだろう。気に食わなければ今ここで僕らを殺して財布を奪ってもいいが、キースに着くまでの僕らの路銀は十五ノール足らずだ」
 男の眉が僅かに動いたのを見て、エレンは勝ちを予測した。案の定男は舌を鳴らすと鋭い両目の上に眉を寄せて、「仕方ねぇ」と頷いた。
「そんな!」とアイリーンが叫び、アスカの不安気な瞳が彼を見つめる。
 実際にエレンも、この男を胡散臭いと思っていないわけではない。しかし今この男を追い払ったところで、この男はその気になればいつでも彼らに追いつくか忍び寄るかして彼らを殺すことができる。むしろここで男の申し出を断り、たかだか十五ノールかそこらの金目当てに皆殺しにされては元も子もないのである。
 エレンはそこで馬を下りると、男の前に立った。並んで立つと男はますます大きく見え、エレンより頭一つ分近く背が高かった。しかし近くで見る顔にはあまり皺がなく、存外若そうに思えた。彼は言った。
「七日間で四十九で決まりだな。護衛を申し出たからには契約はきちんと守ってもらおう。支払いは旅の最後の日に行う。君の役目は、僕ら四人を怪我のないように目的地まで送り届けることだ。僕らはアストルガスへ向かっている。君は嫌になればいつでも仕事を放棄できるが、その時の賃金は日割りで計算しよう。僕らの中に怪我人が出れば治療費を君の給料から差し引く。死人が出れば君は給料を半額だけ受け取った上で解雇される。異存ないかな?」
 彼の長い口上を聞いて、男は眉をひん曲げ、もう一度舌打ちした。
「あんた、貴族かと思ったが成り上がり商人か?まぁ何でもいいが、あんたらのドジで出た怪我人死人は俺の責任じゃねぇからな」
「いいだろう。ところで、僕はエレンだ。君の名前は?」
 そう言ってエレンは、右手を差し出した。男は億劫そうというのが正しい動作で握手を返し、ディガロだ、と短く答えた。



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