17. 窃取

文字数 4,131文字



 ピクシーの救出を決めるなり、アイリーンは手ぶらで敵地へ突っ込もうとしたが、アスカはそのアイリーンを止めて、その前にごく簡単なものでいいので作戦を立てようと提案した。この先彼女たちがどんな状況に遭遇するかはわからないが、少なくとも助け出したピクシーをサーカスの人間に悟られないように連れ出さなければならないのは確実である。話し合った結果、彼女たちはピクシーを変装させることにした。男手があれば小柄な魔物を袋にでも入れて担ぎ、荷物のように持ち出すことができるだろうが、彼女たちではそうはいかない。二人は露店を回って子供用の鍵編み帽子と大きめのケープを買った。
「しまった、レヴィを連れてくればよかった」
 ケープと帽子を小さなバッグに詰め込みながら、アイリーンは言った。レヴィはどういう経緯でそれを身に付けたのだか知らないが、錠前開けをすることができるという。残念ながらレヴィは買い物へ行ってしまっているため、檻や鍵をこじ開けなければならなくなった場合のために、アイリーンは大きめの釘抜きまで買った。
 準備を整えた二人は何気ない見物客を装って、キャンプサイトの内側に入り込んだ。ジプシーたちが輪を作って囲んでいる焚火やキャラバンの荷馬車の間をすり抜けて、目的の場所へ近づいて行く。二人はこの場所にとって異邦人に違いなかったが、全く怪しまれることなくうろつくことができた。キャンプサイトの中には、サーカスの団員たち以外にも、取引に訪れている商人や勝手に迷い込んだらしい子供など様々な人々が行きかっており、よそ者が紛れ込んでいても誰も気に留める者はいなかった。
 そしてここで役に立ったのが、アスカの結界師としての能力だった。彼女は集中すればかなり的確に、魔物の気配の位置を掴むことができる。似たような小屋やテントが立ち並ぶ中で彼女はピクシーの気配を察知し、どうやら魔物がいるらしい小屋を絞り込んだ。丸太を組んで作った簡易な小屋はどうやら動物などの見世物を収容しておくための場所らしく、中からは猿か何かがキーキーと鳴く声がしていた。
 二人は小屋に近付き、小さな窓から中を覗いた。中にはいくつもの檻があり、その中の一つに、膝を抱えてうずくまる子供のような影が見えた。アスカは胸の奥で何かが軋むのを感じたが、同時に見張りなど他の人影が見えなかったことに安堵した。
 幸運にも入り口に鍵の類はかかっておらず、簡単な閂がかけられているだけだった。その辺りには物置小屋が密集して建てられており、二人がいる場所は、周囲を歩いている通行人の視界に入ることはない。アスカが閂を外して部屋の中へ入り、アイリーンは打ち合わせ通り、入口の外に見張りとして残った。
 地面の砂を、アスカのブーツの底が擦った。その音が聞こえなかったはずはなかろうが、檻の中でうずくまっている影は、顔を上げなかった。
 その檻は狭い小屋の中の中央あたりに置かれており、白い猿と孔雀の檻に挟まれていた。檻はとても小さく、高さはアスカの腰までしかなかった。ピクシーはこの中では立ち上がることもできないだろう。
 ピクシーの髪はほとんど黒く、縺れた癖毛のところどころに金や銀の束が混じっているのが特徴的だった。アスカは恐る恐る檻に近付くと、伏せられた頭に向かって、話し掛けた。
「ねえ」
 返事はない。彼女はもう一度言った。
「こんにちは。ねえ、こっちを向いて」
 穏やかな女性の声は、もしかしたら魔物には珍しいものだったのかもしれない。ゆっくりと、小さな頭が持ち上がった。灰色がかった茶色い皮膚をした顔がアスカの方を向き、木の実のような大きな茶色の目が、彼女を見つめた。しかしまだその目に、感情は見えない。アスカは駆け出そうとする心臓を抑えようとしながら、静かに話した。
「驚かないで聞いてちょうだい。私は、あなたをここから出しにきたの。…ここから出たく、ない?」
 初めから大きかった茶色い両目が、こぼれ落ちそうに見開かれた。次に魔物はきょろきょろと辺りを見回す。疑問に思うのも無理はないとアスカは思う。
「サーカスの人には秘密なの。私たちはあなたを傷つけないわ。ただ街の外へあなたを連れていって、自由にするだけ。ここにいたいんだったら、それで構わない。でも、もしここから出たいんだったら、私の言うことを聞いて?」
 次の瞬間、アスカの眼前で檻の扉が開いたかと思うと、中からピクシーが飛び出してきた。驚いたアスカだったが、次の瞬間には檻は元のように閉じており、ピクシーは檻の中に残ったままだった。ただピクシーの口が開いている。いつの間にかピクシーは、言葉を使う代わりに彼女に幻術を見せることで、意思を伝えたのだった。
 一瞬身構えたアスカだったが、すぐに頷くと、アイリーンから預かったバッグからL字型の釘抜きを取り出した。先ほど友人から教わった通りに、細くなっている先端を組込み式の檻の扉の下に差し込むと、それを梃にして扉を持ち上げる。
 驚くほど簡単に扉が外れた。中でまだ信じられないというように目を見開いている生き物に向かって、アスカは手を差し伸べた。ピクシーは彼女の手を取らなかったが、ふらふらと縺れる足取りで、檻の中から這い出てきた。
 彼女は釘抜きをそのままにして、バッグの中から今度は帽子とケープを取り出した。
「耳と首を隠すわね」
 そう言ってピクシーの頭に帽子をかぶらせて、ケープを肩に巻き付けた。ピクシーの首には鉄の首輪がついたままだったが、ケープのたっぷりとした布は小柄なピクシーの首元からひざ下までを、すっぽりと覆い隠した。
 大きな瞳はまだ疑問そうに彼女を見上げていたが、アスカにはのんびりしている時間はない。案の定、扉の向こうから男の声が聞こえてきた。バッグの口を閉じていた彼女は身を固くして息を呑んだ。
「嬢ちゃん、見ねえ顔だな。こんなとこで何してんだい。逢引か?」
 続いてアイリーンが答える声が聞こえる。
「だったら何よ。あんたに関係ないでしょ、どっか行って」
「そう邪険にするなよ。相手は誰だよ」
「知って何かいいことあるわけ。とりあえずあんたよりハンサムだってことだけは言えるけど」
「なんだ、またロナンの野郎か、あのガキ」
「しつこいな、わかったらさっさとあっち行ってよ」
 そこでやっと男の足音が遠ざかる。アスカは溜息を吐きながら、やはり見張りをアイリーンにしたのは正解だったと思う。自分ではああもきれいに訪問者を追い払えたかわからない。
やがて閂が開けられる音がして、開いた扉からアイリーンの顔がのぞいた。
「アスカ、今なら行けるよ。大丈夫?」
 相棒に向かって大丈夫と返しながら、アスカはピクシーの手を握った。「行こう」と彼女が言うと、まだ目をきょろきょろさせながら、それでも小さな魔物は彼女に従って歩きだした。
 二人が素早く扉の間を滑り抜けると、アイリーンが扉を閉めて閂をかけた。アイリーンの目配せを合図にして、彼女たちは小屋の間から、開けたキャンプサイトへ向かって歩き出した。
 荷車の間で玉蹴りをして遊んでいる少年たちや、テントの側のベンチに腰掛けて酒を飲んでいる作業員たち、それらの間をすり抜けて、アイリーンとアスカは子供のような同伴者を間に挟み、怪しまれないようにできるだけゆったりと歩いていった。先ほど彼女たちが入ってきた時から変わらない位置で焚火を囲んでいるジプシーたちの一人が、ちらりと彼女たちを振り返った。
 アスカの胸の内で、先ほどから駆け足になっている心臓が、さらにその速度を増す。しかしその時彼女が握っている小さな手が、こころなしか強く彼女の手を握りなおした。彼女が視線を下ろすと、いつの間にか彼女が手を繋いでいる相手は、清潔な服を着て白い肌に金色の髪をした、人間の子供にすり替わっていた。一瞬驚いたアスカだったが、ピクシーは幻術を使えたのだと今更ながらに思い出した。周囲の人々にも、恐らく今は同じように見えているに違いない。
 誰にも呼び止められることなく、アスカとアイリーンはキャンプサイトを抜けた。露店が並ぶ広場も通過して、やがて元来た市場まで戻ってきて、やっとアイリーンが歩調を緩めた。彼女たちは、市場の端のほうへ寄っていく。
「やった!やったね!なんだ、全然簡単じゃん!」
 アイリーンはそう言うと、飛び跳ねながら、まだ手を繋いでいるアスカとピクシーを振り返った。悪戯が成功した子供の顔をしている。アスカもつられて笑ったが、すぐに視線を隣の同伴者へ落とす。茶色い瞳が疑問をあふれさせたまま、彼女を見上げていた。アスカは言った。
「上手くいって本当によかった。でも、まずはこの子をどこか安全なところまで連れてってあげないと。この子がいなくなったことに彼らが気付いたら、きっと探しに来るもの」
 確かに、とアイリーンが頷いた。
「でも、安全なとこってどこだろう?町の外まで送ってけばいいってわけじゃないよね。ピクシーの住処って森でしょ?キースから東の森へは、ちょっと距離があるし」
 ううんと唸りながら、アイリーンは腕組みする。アスカはいくつか彼女の考えを述べた。
「城門へ行って、今から東の森に向かうっていう人に、この子を連れて行ってもらうように頼むのは?親切そうな人が、一人や二人はいると思うんだけれど」
「でも、この子がピクシーだってばれないかな?森の中まで連れて行ってそこで置き去りにしてなんてお願い、どう考えても不自然じゃない?そうじゃなきゃ、レヴィかエレン様に相談してみるとか…だってあたしたちどうせ、ヘスに向かう時に森を通るでしょ。でも、もしかしたらエレン様、」
 そこまでアイリーンが言いかけた時、アスカはふと横顔に視線と、そして同時に知っている気配を感じたような気がして、通りを振り返った。
 するとそこには、噂をすれば、エレンが通行人の間を縫いながら、彼女たちの方へ歩みよってきているところだった。背後には、大剣を背負ったディガロもいる。
 アイリーンがあっと声をあげ、仲間たちに向かって手を振った。



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