2. 葬列

文字数 2,283文字


 父が死んだ。
 そのことはエレンにとって、一人の父親を失った悲しみ以上の重みをもっていた。エレンの父は北岸の王国、フランツの国王であった。そして残された王の子は、たったひとり、エレンのみである。
 フランツ王国は今、十年も続く隣国エールとの戦争に疲れ切っている。二百年も昔からフランツの悩みの種は常に、北からやってくる海賊と草原に棲む魔物たち、そして南からやってくるエールの軍隊であった。隣国エールのデロイ王は貪欲な野心家でありながら優れた指揮官で、十年近く前から繰り返しフランツの国境に侵攻しては、いくつかの町や村を奪っていった。そして今もまだ、戦争は続いている。
 戦争の悲惨さを、エレンは知っている。戦場での殺し合いが無惨であることは言うまでもなく、それは戦に出ぬ者にも不幸を与える。妻や子は夫や父を奪われ、戦のために税は増し、人民の生活を苦しめる。慈愛に満ちた父王イアンは善政でもってフランツを富ませ人民に愛されたが、こういう世に王であり続けるには優しすぎたのだろう、エールが頻繁に仕掛けてくるようになった戦には度々敗北を喫し、とうとう二年前から悲しみのあまり胸を患って、床に伏すようになった。
「エレン、戦を終わらせるのだ」
 父王は最後にベッドの上でそう言い残して死んだ。
 葬儀の日、フランツの首都ミースの空は重く沈んだ。港湾都市であるミースは美しい海を臨み、特に秋の季節には空も歌うように澄んだ色をしている。しかしながら悲しみに暮れる人々の嘆きで空気は満たされ、またその人々の嘆きを見て、エレンは失われたものの大きさを感じずにはいられなかった。
 もちろん彼には王が残してくれた遺臣たちがいる。彼に従って棺を運んだ重臣たちは、誰もが豊かな才能でフランツとイアン王を支えてきた者たちだった。城下町の石畳には人々が捧げた白い花の束で道がつくられ、エレンと重臣たちはその上を葬列となって歩いた。
 彼の後を歩いていたカーラーは、ちらと振り返った彼の目を見ると悲しげに、それでも彼に励ますように微笑を送ってきた。彼女は王族の一人であり、若年で女性であるにも関わらず、内政、特に食糧政策の分野で大いに才能を発揮し、重臣の一人としてフランツに仕えてきた。エレンにとっては多少年が近いこともあって、王宮の中で最も親しみを抱ける存在である。
 そしてその後ろで棺を挟むようにして歩いていたのがブロントとアンゾ、フランツを支える双頭であった。アンゾはイアン王に忠誠を誓ったフランツの騎士団長であり、老年となった今でも彼の強靭な意志、決断力と鋭い槍捌きに衰えの兆しは見えない。この強面の老戦士はその妻でさえ泣く所を見たことがないというような男だったが、葬儀の日には顎から涙を滴らせながら、沈黙の中で棺を運んでいた。生涯命を賭して故国と王を守ると誓っていた彼は、そのうち一つを守り切れぬうちに失ってしまったことに、深い悲しみと後悔を抱えているようだった。
 一方でアンゾの隣でともに棺を支えていたのが、フランツの宰相ブロントである。
 この時既に、ブロントがこの先彼にとっての障壁となるであろうことを、エレンは予感していた。エレンは父の死の喪失感に抗いながらも、葬儀の日のブロントから目を離さずにいた。この宰相が今後フランツと新たな王をどう扱ってゆくつもりであるのか、エレンはそれを見究めようとしていた。
 ブロントは実に才能豊かで勤勉な大臣である。エールを追い払うという一事を除き、イアン王の理想と意図を政の上で見事に実現させてきたブロントは、イアン王が健在であるうちからフランツの内政と外交をほとんど一人で総覧していた。そしてイアン王が病に倒れた二年前からは、自然と政治の全権を握るようになった。この有能な大臣の態度に変化が見られるようになったのは、つい一年ほど前からである。
 長引く戦に終止符を打ってほしい、イアン王は病床からそう言うようになった。平和裏にことを収められるのならば、断腸の思いで都市のいくつかをエールに譲り、十年から二十年間の講和を取り付けてはどうだ――それが、エレンが聞いた父の意思だった。この時には既に、元来はエールに対して屈服することを嫌うアンゾまでもが、国庫の逼迫と王の悲嘆を見て、停戦を訴え始めていた。
 ブロントはしかしながらここで、否、と言ったのである。今までイアン王の意思を体現することに全力を注いできた大臣はこの時初めて主の言葉を跳ね返し、これ以来ブロントは抗戦派としての立場を貫いている。
 宰相は抗戦を主張するにあたり、もちろん正統な理由を述べ立てた。まず優位に立ちつつあるエールは停戦に応じないであろうこと、万に一停戦に漕ぎ着けても講和は裏切られるであろうこと、都市を一つ奪われることによってもたらされる地政学上の不利益と危険性について、等。それらはもちろん尤もな事実でもあった。しかしエレンや一部の臣たちは、それが理由の全てでないことを恐れている。恐らく宰相は一度手にした権力というものを、手放せなくなってしまったのではないか。そしてエレンが盗み見た葬列の中の大臣は、終始変わらぬ無表情であり、感情を見せない色の瞳でどこかを見据えながら、ただ棺の隣にあった。
 エレンは王位を継承したとはいえ、二十歳を過ぎた程度の青年にすぎない。ブロントは彼のことなど眼中にもないであろう。何が彼がとるべき道であるのか、どうしたら父の遺言を守ることができるのか、青年はそればかりを考えながら、白に埋もれた道の上を歩いていた。



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