41. 急転

文字数 5,611文字




 レヴィとディガロはエルレの宿場町をうろついている間に、案の定、エール軍の宿営地で身分の高い使者が捕えられたらしいという情報を手に入れた。
 乱暴者で名高いエールの公子は地元の酒場では上客としてよく知られており、彼の部下も頻繁にこの町へ出入りするということで、キャンプで起きたことはその日の晩には宿場町の噂として広まっているというような有様だった。
 公子はその使者を殺そうとしたが、結局使者は王都へ送られることになったらしい。ただ王都へ送られた使者がエール王に謁見するのかそこで処刑されるのか、その結末まで知っている者はエルレにはいなかった。二人は噂を追ってエルレを出て、アストルガスへの道を南下することにした。
 ビブラクとトローズという二つの町を経由して、二人組はエールの王都へ到着した。もとより旅人である二人は過去にもこの都市を訪れたことがあり、彼らは多少見覚えのある街並みと雑踏の隙間を縫いながら、ここでも噂話を拾って歩いた。
 流石に、噂の使者が到着したのはまだ昨日の出来事らしく、あまり情報は転がっていない。彼らは休憩を兼ねて、酒場で昼食をとることにした。
「しかしまずは、坊ちゃんたちが無事にこの町までたどり着けてよかったなって言うべきかね」
 ディガロは山羊の肉に噛みつきながら、もごもごと言った。テーブルの向かいでパンをむしっていたレヴィが頷く。
「そうかもな。でもまだ安心できない。旦那がフランツの王様だってことは知られてるみたいだけど、そこからあっちが交渉に応じてくれるかどうか」
「そこは、運と、坊ちゃんの力量だろ。俺たちがいくら気を揉んでも仕方ねえ」
「でもその結果次第で、アスカとネイがどうなるかも決まるんだよ?」
 少し前から判明したことだったが、このジプシーは結構な心配性らしい。ディガロは首を捻った。「最悪の場合、交渉決裂で全員処刑ってことか?」
 パンをむしる手を、レヴィが止める。ディガロは構わずに続けた。「その場合、公開処刑になりゃあ、もしかしたら助け出せるかもな。処刑台に突っこんでいきゃあいい」
 黒いジプシーの瞳が、恐々と彼を見つめた。「そういうことした経験でもあるのかい?」
「ねえよ。でもせっかくここまで来たんだし、やれることは全部やるだろ。お前も手伝うよな?まあ、その前に坊ちゃんが無事に交渉成立させてくれりゃあ一番だけどな」
 ジプシーは視線を食べ物へ戻すと、うん、と声を固くして頷いた。
 昼食のあと、先に夜を明かす宿を抑えておくため、二人はアストルガスの宿場町へ向かった。
 段差の多い路地を歩いているレヴィの肩の上には、サリーから送られてきたワタリガラスが乗っている。レヴィは歩きながら、肩の上に乗せた鳥に、先ほどの酒場で出されたパンの残りをちぎっては与えていた。
 手元にあったパンがなくなった時、ふとジプシーが言った。
「でもさ、アイリーンの手紙にあった、ブロントの手下で旦那を狙ってるかもってやつ、今のところそれらしいのは見かけてないよな」
「あの、オークもどきが何だったのかもわかんねえまんまだろ。いやもしかして、地下ギルドで賞金でも懸けたのか……いや、流石にそんな不用心なこと、フランツの偉い役人様はしねえよな」
 色々頭を巡らせるものの、政治がらみのいざこざのことなど知りようもない彼らの頭には、何の手がかりも浮かんでこない。
「まあでもどっちにしろ、旦那は今王宮の中に入っちゃってるわけだから、あいつが何者だろうと、もう旦那に手出しはできないよな」
 ここ数日の間では珍しく、レヴィが楽観的な口調で言った。しかしその時ディガロの頭に思いついたのは、むしろそれに水を差すような考えだった。
「でもよ、万が一その刺客ってやつがエール側から送られてきた奴だったら…」
 レヴィの眉間が不安げに寄せられる。しかしそのジプシーの顔の向こう側、路地の片隅に現れた人影に、不意にディガロの視線は吸い寄せられた。
 革の鎧を着た上から外套を羽織り、フードを目深に被っている冒険者風の男。背に巨大な斧を負っており、ゆったりとした足取りで人混みを抜けてゆく。
「おい、あいつだ」
 声を低くしてディガロは言った。鋭く睨んだ彼の視線の先を追い、レヴィがはっとしたように息を呑む。
「もしかして、あいつも旦那がまだ生きてるって…」
 言いかけたジプシーを遮って、ディガロは大股で歩き始めた。彼は例の男を視界から外さないように、前を見据えている。
「どうだろうな。だが今こっちにゃ坊ちゃんも嬢ちゃんもいねえ。ちょっくら俺らでご挨拶して、直接事情をお聞きしてみようじゃねえか」
 本気かよ、とレヴィは怯えた声で呟きながら、しかしそれでもディガロの後を追ってきた。







 フードの男は裏路地へ入ると、細く薄暗い通りの階段を降り、いわゆる地下市場の連なる通りへ入って行った。巨大な都市には必ずと言っていいほど一つはある、非合法の店や商店ばかりが集まる裏の商店街である。
 まばらに歩いている冒険者たちの中に混ざって、ディガロとレヴィも何気なく、男の足取りを辿った。男は伝書屋へ入る。二人は店の中へは入らず、隣にある質屋の前で立ち止まり、聞き耳を立てた。
「『赤目の巨岩』宛ての仕事はあるか」
 低い、岩を転がすような男の声がした。赤目の巨岩というのは、恐らく男が情報の授受のために使っている通り名だろうとディガロにはわかる。地下市場に出入りするような輩には本名を使うことに支障があるため、そういった綽名を代わりに使う奴が多くいる。続いて彼は、店主の声を聞いた。
「赤目……ええと、仕事か知らねえが、一件伝言があったぜ。しかもついさっきだ。『王者の遣い』から、もし赤目がここへ来たら、三番目通りのイヴァの店へ来いってよ」
 その言葉から間もなく、フードの男は伝書屋から出ると、再度ゆったりした足取りで、裏通りをさらに奥に向かって歩き始めた。ディガロとレヴィものんびりとその後を追う。レヴィの瞳が何か言いたげだったが、今は会話する時ではないと伝えるつもりで、ディガロはそれを黙殺した。
 男が三番目通りへ入り、「イヴァの酒場」と書かれた看板の下へ差し掛かった時、そのフードの人影に声をかけた男がいた。痩せ気味の輪郭の上にエールの下級役人の、しかもサイズ違いの制服を着た新たな登場人物は、男の背を押すと店ではなく店の脇、建物と建物の隙間へ入ってゆく。ディガロとレヴィもその後を追い、連中の視界に入らない位置で足を止めた。
「貴様が赤目の巨岩か」
 神経質そうな男の声がする。訛りからしてフランツ人、しかも商人か役人、多少の教養を備えた人間の話し方だった。実はディガロ達には知りようもないが、この痩せぎすのフランツ人は、アイリーンがヘスの酒場で問い詰めたブロントの使用人ギャレイである。ところで名前を尋ねられた赤目の巨岩は、短く「そうだ」と頷いた。
「そうか、やっと見つけたぞ。貴様、半分金を受け取っておきながら、仕事をしとらんではないか」
 使用人の問い詰めるような言葉に対して、しばし間があった。
「何のことだ。お前は誰だ」
「私は、キースでお前に仕事を依頼した男の上司だ。エレンを殺すようにとお前に金を払ったのは私だ」
 再度間が空き、低い声が答える。
「仕事なら、した。フランツ王は殺した」
 それに、苛立ちを含んだ声が被る。
「していない。エレンは生きているぞ。奴はなんと無事に、あろうことかこのアストルガス、デロイ王の元まで到着している!ふざけるな、貴様が殺したとすれば、それは別の男か何かだったのだ。おかげで私はデロイの前で恥をかき、あの王に大きな借りを作ってしまった。我が宰相に何と顔向けすればいいかわからない。部下を連中に殺され、騎士団長の小娘にまで欺かれる始末だ、こんなことを貴様に言ったところで分かりはしないだろうが――少なくとも契約不履行だ、払った金を返してもらおう。そうでなければ、貴様の名前をギルドへ訴えてやる」
 王者の遣いとやらは早口で長々とまくし立てた。刺客の方はしばらく黙って聞いていたが、やがて答える。
「標的が生きていたのは、意外だ。それは確かに、俺の過ちだろう。では、今度こそフランツ王を殺す。可能ならば、エール王も殺してやろう」
「間抜けめ、お前程度ではエール王を殺すことなど叶わぬわ。今あの狸は決して城から出てこない。しかし、エレンを殺す手段ならあるかもしれん。デロイ王が約束を守るかわからんが、エレンは明日移送されて幽閉先のヴェノールへ向かうはずだ。その道中で移送隊を襲って殺せ。馬車には多く兵が付けられるから、町から出る荷車を見張っていればわかるだろう。これをうまくやってのければ、半分の前金は貴様に預けたままにしておいてやろう」
 その時点でディガロは、普段あまり酷使しない脳味噌を全力で回転させ、何が起きているのかを想像しようとした。
 彼がエレンから聞いた話を正しく記憶しており、かつ彼の当て推量が正しければ、あの役人風の男はどうやらフランツの悪大臣の手先である。男が刺客と直接顔を合わせたのはどうやら今日が初めてのことであったようだが、いずれにしろ男は間接的にこの刺客を雇っており、エレンの暗殺を企てていた。しかも話からするとヘスでアイリーンと接触した使用人はこの男で、詳しい事情はわからないが彼女の手紙と噛み合わない点があるように思われるのは、アイリーンが男に嘘をついていたのと同様に、この男も彼女に嘘をついていたためだろう。そして何より重要なのは、この悪大臣の使用人が、エール王と繋がっているらしいことである。先にエレンの暗殺を指示したのがそもそもエール王であったのかフランツの宰相であったのかはわからないが、両者は少なくとも以前から密かに繋がっていた様子である。
 エレンとデロイの間の交渉が済んでいるのかも不明だが、どうやらエールのデロイ王はフランツ王を幽閉することを大臣の使者へ約束したようである。しかもその大臣の使者もデロイ王との約束を反故にして、雇った刺客にエレンを護送する馬車を襲わせる腹積もりのようだ。いずれにしろこのままでは、フランツ王は本来の目的を果たすことができず、彼の故国は好戦派の大臣とやらに乗っ取られるのではないか。
 彼がそこまで考えを巡らせたところで、ふむ、と低い声が頷くような音がした。それから続けて突然、使用人の混乱した声が上がる。
「ぐうっ、何だ、何をず…」
 ディガロは背筋に悪いものを感じ、咄嗟に身を隠していた塀の影から飛び出した。彼の視界に二人の男が写るのと、四本の指をした分厚い手が痩せた男の首を折ったのとは、同時だった。
 使用人の、今は亡骸となった体が、地面の上にごろりと転がる。ディガロは自分の背後で、レヴィが声を殺しているのを感じた。
 いきなり目の前に現れた闖入者の姿を、フードの奥の無感情な両目が捉える。ディガロはその両目と対峙し、相手が人間でないかあるいは人としての正気を失っていることを、本能のどこかで感じた。
「よう、赤目の巨岩」
 彼は、できる限り軽い調子を装って言った。
「…お前は、フランツ王の護衛だ」
 低い声の主は、どうやら彼のことを覚えていたらしい。
「何でそこの下っ端を殺した。気に食わなかったか」
 ディガロが問うと、オークの血を引く男は死体に一度目を遣り、それから同じ瞳で、彼を見つめた。
「生かしておく理由がなかった」
「殺す理由もねえだろう。やっぱりてめえは、腹が立ったんじゃねえのか、そいつのキーキー声に」
 少し間を置いて、「どうでもいい」と男は答えた。
「…何の用だ、狼」
 どうやらこの岩のような男は、お喋りを楽しむ性質ではないらしい。会話を諦めたディガロは、相手の流儀に乗っとって、用件だけを述べることにした。
「エレンはいずれにしろ死ぬ」
 端的に、彼は言った。男の表情が変わらないので、彼は言葉を続ける。
「お前の呪いが効いてる。今は魔法使いって奴の力を借りて何とか生き延びてるが、デロイ王との交渉が終わってしばらくすりゃ、あの兄ちゃんは死ぬつもりだ。だからお前がわざわざ二回殺しに行く必要もねえよ。ところでなんだお前、あの坊ちゃんに恨みでもあんのか?じゃなきゃ獲物の首を絞めたのは、単なるお前の悪趣味か」
 男はほんの僅かだけ、首の角度を変えた。何かを考えているような仕草だった。
「俺はあいつを嫌いだ。エール王のことも。狼、お前も人間の味方をするなら、この人間と同じように殺すが」
 ディガロは肩を竦める。
「人間が嫌いってことか、そりゃあよくわかるぜ。人間の王様なんていったらそいつらの親玉だからな、腹も立って当然だろう。だが、さっきも言ったようにフランツの王様はもう死んだも同然だ、俺らが掛かりあって時間を無駄にする必要もねえよ。ただ、エールの王様なら、そいつを殺すために、俺たちは手を取り合えるかもしれない」
 そこで明らかに、背後のレヴィが混乱している気配を、ディガロは感じた。しかし彼はそれに構わず、目の前の対話相手の反応をじっとうかがう。フードの奥の目は一度地面へ向けられ、それからどこか遠くを見て、最後に彼の方へ戻ってきた。ディガロは自分の中の心臓が、わずかばかり跳ねているのを感じる。ここで打ち合うことになったら、厄介な相手であることは認識している。
 しかし、岩のような男は答えた。
「どうしたら、エール王を殺すことができる」
 それを聞いて、人狼は安堵を隠しながら、にやりと笑って見せた。彼はあるいは、フランツ王と魔法使いと、あの人間の娘の命を救うことができるかもしれない。



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