5. 参集

文字数 4,062文字




 昼食を終えてから、アスカとアイリーンは、酒場でカーラーと別れた。尾行や監視を警戒しなければならないカーラーは、恐らくどこかで着替え直してから一人で王宮へ戻るのだろう。本来なら味方であるはずの同僚たちを疑わなければいけないという王宮の現状を今更ながらに再認識し、アスカの心は沈んだ。しかし一方でアイリーンはその湿気を吹き飛ばすように楽しそうな声で、もう一人の旅の仲間が誰であるか、アスカに話してくれた。
 彼女たちの旅先案内人は、何とジプシーの青年である。しかもアスカも、その青年を知っていた。レヴィと呼ばれているジプシーは、毎年夏から秋の季節にミースの街へやってきて、城下町の端で商売とも言えないような小さな仕事をして小銭を稼いでいる。なぜ彼女がそんなならず者と知り合いなのかと言えば、幼い頃から毎日のように下町へ出ていたアイリーンがレヴィと知り合い、彼をアスカにも紹介したからだ。アスカはもともと孤児でもあり、ジプシーに対してそれほど偏見を持っていたわけでもなかったし、温厚で剽軽な性格のレヴィとは、今は親友である。
 レヴィは子供の頃から国と国の間を行ったり来たりしている。そのジプシーの青年なら、案内人には最適かもしれない。ジプシーは国家や権力の間の争いには興味がなく、彼らを動かすものがあるとしたら金銭と友情、そしてジプシーでない者たちが知りえない彼らの中の不思議なルールだけだ。
 アイリーンはこの旅に対して、相当に乗り気なようだった。彼女は騎士団長の子でありながら兄たちのように部隊を任されたことは一度もなく、それを悔しく思っている。第一彼女やアスカが王の付き人に選ばれたのも、彼女たちなら王宮から消えてもブロントに気付かれぬであろうという配慮の結果の人事であろう。今回の旅は、彼女にとっては自分の能力と存在を証明するためのものなのかもしれないと、アスカは思った。それにアイリーンは友人のアスカが彼女に同行することを、これ以上ないくらいに喜んでくれた。さらに言うと、案内人にレヴィを推薦したのも、アイリーンのようだった。
 その日の夕方までに、アスカは荷造りをして旅装に着替え、アイリーンの案内に従って使用人用の裏門から王宮を出た。
 夕闇に溶けかけている裏門は、彼女たちと同じように粗末な平服を着た使用人たちが忙しく出入りしており、二人が抜け出たことを気に留める者もいなかった。
 王宮を出て見知っているミースの城下町を歩いている間、アスカは自分が今秘密を抱え、遠くアストルガスまで旅しようとしているのだと思った途端、見慣れているはずの小道や商店街が、どうしてだか始めて訪れた場所のように異質に感じられた。彼女の浮かない表情を見て取ったのか、彼女の斜め前を歩いていたアイリーンが歩調を遅らせると、彼女の手を握った。
「大丈夫だよ。あたし達ならできる。アスカは誰より頑張り屋だし、あたしは逃げ足が速いから、いざとなったら王様を引っ張って走るし。あたしたちで戦争をやめさせて、フランツを救うんだよ」
 これってすごいことだよ、と瞳を輝かせてアイリーンは言った。アスカは思わず微笑んだ。そういうことを躊躇いなく言えるアイリーンの素直さと勇気を、アスカはいつも羨ましく思っている。
 やがて彼女たちは、城下町でも外れの方にある宿場町へやってきた。この辺りは旅人が多く彼女たちの顔見知りも少ないために、アンゾの指示でアイリーンはここを待ち合わせ場所に選んだらしい。建物の間の入り組んだ路地を何度か曲がり、小さな噴水のある場所へたどり着くと、その前に見覚えのある人影が佇んでいた。
「こんばんは」
 彼女たちを待っていたらしいその人は、二人の姿を見るとにこりと微笑んでそう言った。夕闇の中に沈みそうな浅黒い肌にビーズを括りつけた黒い髪はどこからどう見ても、アスカもよく知るジプシーのレヴィだった。
「レヴィ、ひさしぶりね」
 アスカが言うと、青年は大きな黒い瞳を瞬かせて笑った。
「アスカ、ほんとに君まで現れるなんて!どうやらこれはほんとに真面目な話みたいだね」
 何言ってんの、とアイリーンが口を挟む。
「真面目じゃなきゃなんだってのよ」
「今の今までずっと、俺はリーンにおもちゃにされてるんじゃないかって疑いが晴れなくてさ。でもアスカがいるなら嘘じゃないんだろうね。これでちょっと安心したよ」
 おどけるように言うレヴィにつられて、一瞬緊張を忘れたアスカは微笑んだ。しかしレヴィはそこで何かを思い出したようにはっと息を呑む。
「ってことは、もしかして今二階にいるのって、本物のおうさ…むぐぐ」
 そこで咄嗟にレヴィに飛びついたアイリーンが、彼の口を塞いだ。「お喋り禁止」とアイリーンが声を低くして言う。
「当たり前でしょ。あたしの話も本物、二階にいるお客様も本物!ほら、さっさと案内してよ。こんなとこでまごついてたら怪しまれちゃうじゃん」
 そう言うとアイリーンはレヴィを解放し、どうやら今夜彼女たちが滞在することになるらしい噴水の前の宿屋を指さした。
「わかった、わかったよ。いや~、そっか、あれがそうなんだ。いやぁ、道理でなんだかオーラが違うと思ったよ」
 レヴィは一人で何かを思い出して感心したように頷くと、こっち、とひとこと言って彼女たちを宿屋の入口へいざなった。アイリーンとアスカは彼の背後に続いて宿へ入る。
 アイリーンの後について受付を通り過ぎ、ぎしぎしと軋む板張りの廊下を歩いていく間に、アスカは突然先ほどまで感じていた違和感とは違う何かが、彼女の胸を騒がせているのを感じた。
 今の二人の会話からすると、もう一人のメンバー――国王エレンは、彼女たちより先に集合場所へ着いていたようだ。
 彼女は今の国王エレンに会ったことはない。大きな祭りや何かの時に遠目に眺めたことならあったが、間近で彼を見るのはこれが初めてになるし、口をきいたことなどあるはずもない。カーラーとなら時々会って話すこともあるが、それはカーラーが王族でも王位とは離れた場所におり、気さくな性格だったからだ。普通はアスカ程度の使用人が王や王子と直接かかわる機会は全くと言っていいほどないし、アイリーンも王と口を利いたことはないらしい。
 先ほどまでに聞いたアイリーンの話では、彼らは没落して隣国へ逃れる貴族を装って旅をするということだった。国王が若い当主、アスカはその妹、アイリーンとレヴィは使用人という設定らしい。本物の貴族であるアイリーンと平民のアスカの立場が逆転しているのが妙だと彼女は言ったが、アイリーン曰く自分は全く貴族らしくないし、アスカと国王はどことなく似ているらしい。
 果たして自分は国王様をお兄さんなどと呼ぶことができるのだろうか。今更ながらそんなことを考えて緊張し始めたアスカは、気が付くと二階にある目的の部屋の前に辿り着いていた。
 レヴィが扉をノックする。
「俺です。妹さんをお連れしました。入りますね」
 ああ、と落ち着いた男性の声が聞こえた。アスカの心臓はますます元気よく働き出す。レヴィがドアを押し開けて、アスカとアイリーンに中へ入るように促した。
 古臭い部屋の中は案外と広く、四つあるベッドの一つに、男性が腰かけていた。格好は、全く華やかなところのない平民風の旅装である。しかしその青年の容姿に、アスカの目は引き付けられた。
 この若い国王を見た人の十人中十人が、この青年を美しいと評するだろうとアスカは思った。繊細な部品を最も正しい位置に集めて作った、という表現が当てはまる顔である。細い顎とハート型の輪郭は、どちらかというと女性らしい。白い額にかかる色の薄い髪が、印象にさらに柔らかさを加えている。そして何より特徴的なのは、落ち着いて理知的に微笑む瞳だった。なるほどこれではいくら装っても平民には見えないだろうと、アスカは変に納得した。
 最後に部屋に入ったレヴィが扉を閉めると、王はベッドから立ち上がった。
「こんばんは。君がアイリーンで、君が…アスカかな?」
 そう言って王はにこやかに手を差し出した。慌てたアイリーンは、「お会いできて光栄です陛下!」と早口にまくしたてると、そのまま王の手を掴んで跪こうとした。しかし王は彼女が握った手を握手の形に持ち変えると、アイリーンが彼の手の甲に接吻する前に彼女を立ち上がらせた。
「大丈夫だよ。今日ここではそんな儀式は必要ない。知っていると思うが、今夜から君たちと旅をする僕はただの落ちぶれ貴族だ。君たちにも、それ相応の振る舞いをしてもらわないと困る」
 そう言って王は、どこか悪戯っぽく笑った。アイリーンの顔が音を立てたと思わせる勢いで赤くなったが、アスカも彼女のことを責められなかった。そこで背後のレヴィが「リーンかっこい~、本物の騎士様みたい」と茶化すように言ったので、アイリーンは虎のような目付きでジプシーを振り返った。
 一方でアスカはエレンに手を差し出され、おずおずと握手を返した。王は言う。
「僕のことはエレンとでも呼んでくれ。珍しい名前じゃないから呼びにくいということはないだろうし、僕もお兄様と呼ばれるよりはずっと反応しやすい」
 何と返したらいいかわからず、アスカは彼女も顔を赤くしたまま「ありがとうございます」とだけ言って頷いた。
 王族や貴族には、庶民相手には挨拶もしなければ目もくれないような高慢な人物も多いが、アスカは王の謙虚さに驚いた。先代のイアン王も優しい人柄であり、王位を継いだエレン王も庶民派の人格者らしいと聞いてはいたが、ここまで気さくな人物だとは想像していなかった。しかも王はアスカと同じくらいの年齢の青年でありながら、祖国を思いやる気持ちから、危険をおかしてでもエールへ旅立とうと決意したのである。アスカはカーラーへの忠誠のためだけでなく、この王を守るためにも全力を尽くしたいと強く思った。



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