38. 捜索

文字数 2,525文字




 川に流されたディガロとレヴィは、下流の岸に流れ着き、無事に水から這い出していた。正確にはディガロがレヴィを掴んで、エール側の岸へ泳ぎ着いたのだったが。
 彼らはその後、集落のあった辺りまで歩いて戻り、ロープに括られた状態で水流に晒されていた荷物を回収した。その頃にはとうに日は落ちており、彼らは適当な空き家を見繕うと、その中で火を焚いて濡れた荷物や服を乾かし、夕食を取った。
「旅は終わりかな」
 豆と果物の夕食を終えて、他人の家の居間で暖炉の火を囲んでいる最中に、レヴィがぽつりと言った。明かりは暖炉の中に入れた焚火のみで、部屋の中を照らすのはゆらめく炎のみだった。
 ディガロは溜息を吐く。
「坊ちゃんも嬢ちゃんも魔法使いも、連中が連れてっちまったからな。軍隊に取られちまったら俺らが手出すのは無理だろうな」
 レヴィの眉は晴れない。
 国家間のいざこざには無関係のはずのジプシーがあれほどに献身的なのはなぜだろうとディガロは考え、アスカとアイリーンは子供の頃からのジプシーの親友なのだと、アスカが言っていたのを思い出した。それにジプシーといっても、長い時間をミースで過ごし、ミース市民たちに仲間のように扱われれば、そこを二つ目の故郷のように感じることは、当然あるのだろう。
「ディガロは、もしかしたら残りの給料をもらえないかもな」
 冗談を言おうとして失敗した口調だった。ディガロは肩を竦める。
「そこが問題だな。しかし、坊ちゃんの目的はエールの王様ってのに会って話すことなんだろ?運が良けりゃ、エールの連中が坊ちゃんを自分の王様んとこへ連れてくだろ」
「そうかもしれないけど…どれだけの人間が、旦那の話を信じると思う?旦那がフランツの王様だって信じなきゃ、ただの逃亡者や間者と思われて殺されるかもしれないし、旦那がフランツの王様だってわかったら、憎くて旦那を殺す奴がいるかもしれない。一緒にいるアスカとネイのことも。もちろん、こんなこと言っても何の解決にもならないって、わかってるんだけどさ」
 そう言うとレヴィは、ターバンを外したために下がってきている黒い髪ごと、額を手の平で押さえつけた。ディガロはレヴィの憂鬱な仕草を眺め、炎の明かりへ目を移す。彼自身、何かできることはないかと、ずっと考えていた。
 ディガロには、人間の軍隊に一般兵として従軍していた経験がある。先ほどエレンたちを攫って行った騎馬隊は国境付近を巡回する哨戒の兵だろうが、ああいう連中がいるということは近隣に大なり小なり基地があるということだ。基地に近付いても何も成果はないだろうが、基地に近い街には大体そこで起きていることについて噂や情報が流れてくる。
「エルレへ行ってみるか」ディガロは言った。
 ジプシーが振り返る。彼は続けた。
「多分、坊ちゃんたちが連れてかれたのはこの近所のキャンプだろうが、この辺から一番近い町はエルレだろ。ヴィーンも近いが、今は戦場になっちまって機能してないはずだ。エルレになら軍で何が起きてるか、噂ぐらい届いてくるはずだ。まあ、それ聞いて俺らがどうするかってのはまた別の話だが」
 しかしそれを聞いたレヴィの瞳に、いくらか生気が取り戻されてきたようだった。レヴィは頷く。
「居場所がわかれば、何か手を打てるかもしれない。夜が明けたら、エルレに向かって出発しよう」







 地平線が暗い濃紺から金色に染まり始めたころ、彼らは荷物を背負い、一晩限りの宿を出た。葉が落ちかけて天井の薄くなった森から仰げる空が白色に覆われた頃、ディガロは鳥の鳴き声を聞いた。森でよく見かける類の鳥が囀っているのではなく、不思議と彼らに呼び掛けるような声だった。すると彼の斜め前を歩いていたレヴィが顔を上げ、空を見回した。
 ジプシーの視線の先を辿ると、確かにそこには彼らに向かって空中を進んでくる生き物の姿が見えた。それは真っ黒なワタリガラスで、その大きな鳥類が真っすぐ近づいてくるのに合わせて、レヴィは長袖とグローブで覆われている腕を伸ばした。そしてその腕の上に、鴉が着地する。
「なんだこいつは」ディガロは言う。
「コナだ。サリーの鳥だよ。伝言だ」
 レヴィは答えながら、空いた方の手で鴉の足元を調べた。確かに鳥の足には、小さく丸められた紙が括りつけられていた。
 レヴィが手紙を取り外すと、鴉は彼の肩に飛び移った。ジプシーが紙を広げると、それは確かに文字の書き込まれた手紙だった。
 文面を読みながらレヴィが「アイリーンの字だ」と言った。ディガロは文字、少なくともフランツの言葉を読むことはできない。「なんて書いてある」と彼が尋ねると、ジプシーは文章を読み上げた。
「『私たちを襲った男は大臣の刺客ではなく、男は大臣の刺客も殺したようだ。大臣の使用人が男と私たちの足跡を追っている。男と刺客に注意されたし』。つまり……」
「つまり、キースとヘスで坊ちゃんに飛び掛かってきた奴は、お前らが警戒してた、フランツの大臣とやらが送った刺客ではなかったと、そういうことか」
 彼が言うと、ジプシーは頷いた。「そういうことになるな」
「じゃあ、あいつは何なんだ。オークもどきが、何でフランツの王様を狙ってる?誰か別に、坊ちゃんを殺したがっている奴がいるってことか?エールの王様か?」
 レヴィは首を振る。「わからない。俺もわからないけど、旦那を狙っているのはブロントだけじゃなくて、もしかしたら他にもいるかもしれないってことだ。正体も狙いもわからないけど、あいつを一度撒いたからって、気を抜いちゃダメだってことか」
 昨夜のように暗くなりかけたジプシーの表情を見て、ディガロは鴉の乗った背中を叩いた。
「まあ、いずれにしろ今俺らが心配したところで仕方ねえだろう。とりあえずアイリーンは文字が書けるくらいには元気んなってるってこった。心配させるとここまで来ちまうかもしんねえから、お前のお袋さんに、あのおてんば娘を寝かしつけといてくれって返事を書いとけよ」
 彼の軽口に、レヴィは黙ったまま頷いた。彼らはまずは、エルレへ向かって歩くことにした。



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