第38話 苦悩

文字数 2,019文字

 やり場のない怒りと自己嫌悪。そして、焦燥がぐるぐると順番に際限なくクアトロを責め立てていた。まさに何事かを叫びだしたい気分だった。

 あそこまで容易く片腕を斬り飛ばされ、なす術もなく魔人にアストリアを奪われてしまったのだ。その怒りと自己嫌悪は今まで経験したことがないほどに大きいものだった。

「そんな顔をするな、クアトロ。マルネロとスタシアナが困ってるぞ」

 エネギオスの言葉にクアトロがマルネロとスタシアナの顔を見ると、二人とも珍しくうなだれていた。

 二人に罪があるなどと言うつもりはない。クアトロ自身も右腕を斬り落とされて、アストリアが連れ去られるのを阻止できなかったのだ。アストリアの騎士を自称するダースに至っては、今にも死にそうな青い顔をしていて、放っておけばそのまま腹の一つでも斬りそうな様子だった。

「クアトロ、ごめん」
「クアトロ、ごめんなのー」

 何度目かのマルネロとスタシアナの言葉だった。

「気にするな。次は俺も遅れを取ることはない」

 そうは言ったものの、内心は焦りしかなかった。それに、トルネオからの報告を待つ以外に打つ手がないのも焦りを大きくさせる一因だった。

 そのような中でヴァンエディオを伴ってトルネオが玉座の前に姿を見せた。

「ゾンビカメムシが戻って参りました。ギニカ山脈の神殿にアストリア様が連れて行かれたとのことです」
「ギニカ山脈の神殿というと、古代に建てられたと言われているパラン神殿ですね」

 ヴァンエディオは合点がいった顔をしている。どういうことだといった顔をクアトロがすると、ヴァンエディオは言葉を続けた。

「伝承では、あの神殿は神や天使が邪神と戦った頃の遺物だと言われています。アストリア様と同様に邪神の封印に関係しているのかもしれません」
「ろりろり姫が封印とやらにどう関与しているのかは知らんが、どちらにせよ急いだ方がいいだろうな。で、どうするよ、ヴァンエディオ?」

 エネギオスがそうヴァンエディオに尋ねた。

「相手があの魔人と古代種のドラゴンだけとは限らないでしょうね。ここは一万の軍を持って神殿を包囲。神殿への突入は我ら四将とトルネオさん、エリンさん、そしてダース卿が妥当かと」
「ま、軍を動かすのはともかく、いつもの面子ではあるがな。どうだ、クアトロ?」

 エネギオスにそう訊かれてクアトロは口を開いた。

「異論はない。半日後に王都を出立するぞ。エネギオス、準備を頼む」

 エネギオスは軽く頷くと踵を返して玉座を後にした。それを無言で見送った後、スタシアナが口を開いた。

「クアトロ、もう大丈夫なの? 沢山の血が出たんですよー?」
「大丈夫だ。元々、血の気も多いからな。それよりもアストリアが心配だ」

 クアトロの言葉にスタシアナがたちまち、むーといった顔になる。

「ぼくはクアトロの心配をしてるんです。アストリアも心配だけど、今は関係ないんですよー」

 スタシアナはそう言って、ぷーっと膨れて横を向く。さっきまでは珍しく萎れていたくせにと思ったクアトロだったが、流石にそう口には出せなかった。

「あらあら、魔族の王は本当に女心が分かってないのね」

 そう言ったエリンが、すぐさまスタシアナにぽてっと頭を叩かれる。

「エリンは少しうるさいのです。アストリアは大丈夫です。クアトロをあんな目に合わせたんです。あの魔人をゆっくりと消滅の刑にして、ぼくが助けるんですから」

 今度はそう言ってスタシアナは、ぷんすかと怒り始める。ゆっくりと消滅の刑……よく分からないが何だか嫌な刑だとクアトロは思う。

「ちょっと待って下さい、スタシアナさん。あの魔人はわたしの獲物です。我が主を傷つけたこと、その代償は払って頂きます」
「不浄な者のくせに生意気なのー。びよーんですよー」

 スタシアナがそう言って両手をぶんぶん振り回すと、トルネオが大仰にのけ反ってみせた。それを見てクアトロは思わず苦笑を漏らした。そもそも、自分はトルネオの主などになったつもりはないのだ。

 苦笑を浮かべたクアトロを見て、マルネロが微笑みかけた。

「大丈夫よ、クアトロ。アストリアを直ぐに殺すつもりなら連れ出したりはしないはず。連れ出した以上はあの魔人にそれなりの目的があって、それが終わるまではアストリアに手をださないから。だから、アストリアは私が絶対に助けるんだから」

 そう言うマルネロにエリンが皮肉めいた視線を向けた。

「マルネロとやら、珍しくクアトロに色目を使うわね」
「はあ? 何を言ってるのかしら、そこの天使は? もう少しでドラゴンの炎で丸焼け天使の出来上がりだったのに」
「はあ? 随分と生意気ね。おっぱいだけが取り柄の第百夫人のくせに」
「誰がおっぱいだけが取り柄なのよ! 膨らみのかけらもない平坦天使に言われたくないわね」
「はあ? 消すわよ!」
「はあ? 燃やすわよ?」

 彼らにもいつもの調子が戻ってきたようだった。クアトロは焦る気持ちを抑えながら、出立の時を待つのだった。
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