第56話 胎動

文字数 2,372文字

 クアトロの前に座るエミリー王国国王ライトル三世は入室してきた時から、その厳しい顔つきを変えようとはしなかった。
 クアトロの横にはアストリア、ダース、ヴァンエディオ、そしてマルネロの姿がある。

「私を信用してお越し頂いたこと、嬉しく思います」

 ライトル三世は厳しい表情を崩すことはなかった。

「気にするな。何か仕掛けられているにしても、この面子であれば切り抜けられる。それよりも随分と思い詰めた顔だぞ」

 クアトロの言葉にもライトル三世は表情を緩めることはなかった。

「ベラージ帝国を中心とした周辺の国々で不穏な動きがあります」
「一体、どのような動きなのでしょうか? ライトル三世陛下」

 ライトル三世の言葉を受けて、ヴァンエディオが燃えるような赤い瞳をライトル三世に向けている。

 クアトロはまさかここでベラージ帝国の名が出てくるとは思っていなかった。ここでその名が出てくる以上、ろくでもない話しであろうことは想像がついた。アストリアをこの場に連れてきたことは早計だったかもしれない。クアトロの胸に後悔の文字が浮かび上がってくる。

「ベラージ帝国第四皇女アストリア様の奪還を目的とした魔族への侵攻です」

 ライトル三世の言葉にアストリアの息を飲む気配がクアトロに伝わってくる。

「アストリア様は不死者の王に殺められたことになっていたはずですが?」

 隣にアストリアがいるにもかかわらず、ヴァンエディオは表情を変えずに言う。

「アストリア様がご存命であることへの何らかの確証があるのでしょう」
「ふむ……」

 ヴァンエディオはそう言うと珍しく黙り込んだ。

「具体的な動きはどのようなものなのでしょうか?」

 マルネロが口を開いて、もっともな質問をする。

「近隣の諸国に対して、共に侵攻する旨の檄を飛ばしています。流石にベラージ帝国のみで、魔族の統一国家であるエミリアス王国へ攻め込むつもりはないのでしょう」
「呼応する国があるとも思えませんが……」

 マルネロの言葉にライトル三世は首を左右に振った。

「それがそうでもないのです。現時点でベラージ帝国周辺にある三つの国がそれに同調しています」
「ほう、それは意外ですね。ですが、仮にアストリア様が存命だとしても、我ら魔族と争ってまで取り戻す意義があるのでしょうか」
「……他に目的があるということか?」

 クアトロの言葉にヴァンエディオが頷く。

「例えばアストリア様の奪還を口実として、聖戦のように魔族の殲滅を目的としている……でしょうか」
「いや、それはないでしょうな」

 ライトル三世がヴァンエディオの言葉を否定した。

「人族の国家が三つ、四つ集まったぐらいで、魔族の殲滅などは不可能でしょう」

 確かにライトル三世の言う通りだとクアトロも思う。人族の国家が多少集まった所で、魔族全体の脅威にはなり得ない。となると……。

「ならばあの魔人と同じ目的ということか?」

 クアトロの言葉にヴァンエディオが頷いた。

「アストリア様の存在自体に意味があるとすれば、ベラージ帝国が躍起になってアストリア様を取り戻しにくる理由となるでしょうね」
「でも、私たち魔族との戦力の差は明らかよね」

 マルネロが腑に落ちないといった声を上げた。

「その差を埋める何かがあるのかもしれませんね。例えば……魔人と協力するとかでしょうか」
「人族と魔人が協力なんてあり得るの?」
「さあ、どうでしょうか。ただ魔人と人族は敵同士ということでもないですからね。魔人ではなく天使ということも考えられますが、それであれば聖戦のように大々的に宣伝されるかと思います。そうでないのであれば、対外的には余り口外できない力を得たということなのかもしれません」
「……なる程、確かに可能性としてはありますね。逆にそうでなければ、人族の数か国だけで魔族と争うなどとは考えないかもしれません」

 ライトル三世がヴァンエディオの言葉に感心したように言う。

「いずれにしても……大きな争いが始まるのですね」

 アストリアが口を開いた。自分が当事者となる争い。自分の存在で他者が争って血を流す。アストリアが抱く心理的苦痛を想像するのは難しくない。

「気に止むことはない。周りの馬鹿どもが勝手に始めたことだ」
「そうね。悪いのは周りの連中よ」

 マルネロもクアトロに続いて言う。アストリアという固有名詞は出さないものの、これではこの少女がアストリアだと言っているようなものだと思いつつもクアトロは、そしておそらくはマルネロにしてもアストリアをそう慰めずにはいられなかった。

「ライトル三世陛下には、これ以上人族の国家がベラージ帝国に同調することのないよう力添えをお願いしたい」

 ヴァンエディオの言葉にライトル三世が頷く。

「クアトロ国王には恩義があります。尽力しましょう。何、人族の国家同士は猜疑疑心で互いに満ちていますからね。そうそう同調する国が出てくることはないと思います」

 この会談が始まる前は随分と思い詰めた顔をしていたライトル三世だったが、今は多少表情が和らいでいた。

 一人で抱えていた物を吐き出して少しは精神的に楽になったのだろう。

 ライトル三世のように魔族と人族が手を結べるのであれば、魔人と人族も手を結べるということかとクアトロは思う。

 クアトロは横に座るアストリアの片手を握った。アストリアはクアトロに深緑色の瞳を向けると、ぎこちない笑みをその顔に浮かべる。

 アストリアを中心として何かが始まっている予感がクアトロにはあった。
 まあ、いいだろうとクアトロは思う。その何かはわからないか、何があろうと自分はこの少女を守るだけだ。アストリアをベラージ帝国から連れ出した時、そう決めたのだから。

「ヴァンエディオ、マルネロ、ダース、国に戻るぞ。ベラージ帝国に動きがあれば、すぐに兵を動かす」

 クアトロはそう宣言するのだった。
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